義務、名誉、国家プランディ・デュインターBased on the text FictionMania Translated by Rino Maebashi chapter 4 Trapped? chapter 5 Tragedy! chapter 6 Tranquil? chapter 7 Trance? chapter 8 Trail's End? chapter 1 Tradition? ‥‥伝統? 広大なコンクリート舗装からの照り返しが、太陽光線をさらに凶暴なものにする中、軍服の男たちはしんぼう強く整列していた。 文句を言ってもしかたない。命令は命令なのだ。 そんな中、隊列二列目の端近くにいる歩兵連隊の新兵がかすかに体をぐらつかせた。19歳のサンフォード(“サンディ”)・ビーチ二等兵である。身を焼かれるような暑さの中に立ちつづけ、汗が目にしみ、背中にもしたたり落ちているというのに、あやうく居眠りしかかったのだ。 ビーチは、ここに居並ぶ多くの連中ほど落ちこぼれの軍隊バカではない。進学の道を閉ざされた結果として、陸軍に「就職」せざるを得なかったのだ。私学に行くほど裕福ではないにしろ、公立大学には進むつもりだったし、親もそれを望んでいた。ところが、その両親が、一人の酔っぱらいドライバーのせいで、あっけなくこの世から消し去られてしまった。それが、今の状況をつくり出しているのである。 だからビーチは、したたりつづける汗が軍服をぐっしょり濡らし、折り目を台なしにしていくのを感じながら、陸軍独特のこの伝統が、現代の軍隊にとっていかに無意味なものか、考えざるを得なかった。 そもそも「閲兵」というのは、近代国家とその正規軍が誕生する過程で始まったものだ。それ以前、諸侯領ごとに別々だった軍事組織を、一人の将軍(多くの場合、皇太子だったりしたわけだが)の傘下に組み入れ、体制ができあがっていった。 だから将軍は、各地の隊長たちの申告――うちの隊には、目の見えない者や、ひどい病気持ちや、体に障害のある人間はいない――が正しいかどうか、直接現地に赴いて視察する必要があった。兵士たちの持つ銃器が万全かどうかを点検する必要もあった。また、戦場での陣形が戦略上の重大問題だった当時、整列の迅速さや正確さは、軍の強さを示す指標にもなったろう。さらに、各地ばらばらだった軍服の装着基準を点検し統一することで、全軍の規律を高めることにもなったわけだ。 ところが、命令と訓練という軍隊特有の性格が、それを、おかしな方向へとねじ曲げていった。軍服にシワがないかとか、軍靴を毎日ぴかぴかに磨いているかといったことは、本来の戦闘能力とはほとんど関係ないだろう。 それはまあ、軍人の美徳として認めてもいい。しかし、少なくとも、照りつける太陽とコンクリートからの照り返しの中、1時間以上も整列させておくことに、どんな意味があるのか? そんなことは、なんの戦闘能力の証明にもならないはずだ。 今や、軍服は全軍にわたる統一基準で支給されているのだし、武器弾薬はそれぞれの担当部署が日常的に整備している。戦略は、単なる整列では測れないほど高度でフレキシブルなものになっている。身体的に不適格な者など、そもそも最初から採用されてはいないのだ。 要するに、現代において、閲兵などということは、塹壕掘り訓練(疲れさせ、ものを考えない習慣をつけるためとしか思えない)や、訓練時の新兵への罵倒(軍曹自身がいびられてきたことへの腹いせでしかない)と同様、時代錯誤の無用の長物なのだ。 こんなことで汗まみれになるくらいなら、たとえハードでも、何らかの戦闘訓練で汗をかく方がずっとましだとビーチには思えた。 さらに長時間の待機の末、やっと、ヘリコプターらしい轟音が近づいてくるのが聞こえた。 音につられて振り向くやつがいないかと、軍曹長が目を光らせたが、よく訓練された兵士たちの中に、隊列を乱す者はなかった。 そのブラックホークは、100ヤード(約90メートル)ほど前方に着陸したのだが、そのせいで舗装の上に積もった砂ぼこりが吹き飛び、兵士たちの軍服の上に降り注いだ。 自軍に浴びせられたこの侮辱に、連隊長はちょっとむっとした顔をしたが、彼もまたよく訓練された軍人だったので、ヘリのルーターが静まり風圧がおさまるまで、直立不動で待っていた。 やがて、ヘリの後部スライドドアが開いたところで、彼はそちらに近づいた。 兵士たちが立っている位置からでは、最初に降りてきた男の階級章は確認できなかったが、着ているのが――式典用の正式な軍服でなく――迷彩服であることはまちがいなかった。しかも、適度に着崩された涼しそうなものだ。 その将校らしい男は、連隊長と並ぶとずいぶん小柄に見えた。背は何インチも低く、その上やせている。 快適そうなその軍服以上に、兵士たちをムカつかせたのは、彼がパイロット用のサングラスをしていることだった。これも本来、式典での着用は許されていないはずだ。 しかし、次の瞬間、兵士たちはそんな腹立ちをすっかり忘れていた。その男が振り向き、つづいて降りてきた人物に手を差しのべたからだ。 彼女――100ヤード離れた位置からでも、それが「彼女」であることは明らかだった――がヘリを降りるためには、たしかに手助けが必要だろう。短いタイトスカートと、細くとがったヒールでは、さほど高くない機床からでもひとりでは降りられそうにない。 連隊の600人の兵士たちが、彼女の姿を見て鼓動を速めていた。うち596人は、彼女と仲よくなりたくて。あとの4人は、同僚の男たちが、女などに目を奪われているのにやきもきして。 へりを離れ、こちらに近づいてくるその女性に気を取られていたせいで、兵士たちは、自分たちの連隊長が奇妙な命令を発したことにさえ、気もそぞろだった。 「全員、上半身の服を脱いで、休めッ!」 その命令は、通常の閲兵なら考えられないものだ。 ‥‥軍服を脱ぐ? その上、「休め」だと? いったい何をしようっていうんだ? 下士官たちと、そしてビーチだけは、わけがわからず、首を傾げた。 しかし、他の兵士たちが機械的に命令に従ったのを見て、ビーチもあわてて上着とシャツを脱ぎ、それを脇にかかえた。 兵士たちが服を脱ぎ終わったときには、例の将校と連れの女性は、隊列一列目の端までたどり着いていた。 こんな正式な閲兵(少なくともそう聞かされていた)では、身長を基準に並ぶのがきまりとなっている。各横列の中央に背の高い兵士が立ち、両端に行くに従って背が低くなる並び方だ。 将校は、すぐに近くの兵士から閲兵らしきことを始めた。兵士の姿を点検するように見ては、連れの女性になにかささやいている。 これまでの閲兵でも、何人かの兵士の前で将校が立ち止まり、名を尋ねることはあった。しかしそれは、たいていの場合、彼が兵士一人一人に関心を持っているのだというポーズに過ぎないものだ。 ところが、どうも今回は様子がちがった。将校がきいた兵士の名を、女性の方が書き留めているのだ。 その将校――それにしても、本当に将校なのか? 階級章もつけていないようだし――は、なぜか、長身の兵士たちのところに達すると、彼らにあまり関心を示さず通り過ぎた。そして、一列目のもう一方の端近くまで来たところで、また、そこに並ぶ背の低い兵士たちをじっくり観察し始めた。 2列目の端近くにいるのだから、ビーチも5フィート7インチ(約170センチ)と、さほど高くない。その前まで来ると、将校…?…は、やはり熱心にビーチの姿を眺めているようだった。そして連れの女性に何か耳打ちした。その内容は、ビーチにはよく聞きとれなかったが、女性の方は、ちょっとの間ビーチの顔を見て、うなずいた。 もし、彼女が自分の何に好意を抱いたか知ることができるなら、ビーチは1週間分の給料をまわりの兵士たちに譲ってもいいと思った。もっとも、彼女の口もとに浮かんだ微笑は、その手の関心ではなく、将校への同意にすぎないのかもしれないが。 「君、名前は?」 将校が、予期したような武骨な口調でなく、ソフトな声音できいてきた。 服を抱えているせいもあり、いつもより不格好にはなったが、「気をつけ」の姿勢をとってビーチは声を張り上げた。 「はっ、サンフォード・ビーチ二等兵であります」 それに将校がうなずくと、女性の方が持っていたメモにペンを走らせた。そして、ビーチの前を去って行った。 気のせいかもしれないが、ビーチが怒鳴るように名乗ったとき、彼女はまた、サングラス越しに女らしいかわいい笑顔を向けたように感じた。 ‥‥ああ、どうか、もう一度戻ってきて、僕をもっと閲兵して‥‥あなたのお望みどおりに。 ビーチは、秘かにそう願ったが、もちろん、そうはならなかった。 残りの閲兵も、同じような奇妙さとともに進行した。 背の低い兵士、ことに――将校自身やビーチのように――細身の兵士にばかり関心が向けられている。6フィート(約182センチ)近いか、それ以上の者は前を素通りされていた。 2時間近く待っていたというのに、閲兵は15分で終わった。 そこで、軍曹長が服を着るように命令し、さらに「気をつけッ!」と叫んだ。そしてもうひとつ、わけのわからない――少なくとも「わけ」など抜きの――命令を発した。 「次に呼ぶ者は、12号格納庫に集合すること」 そう言ったあと、例の女性から渡されたらしいメモを読み上げたのだ。 その十数人の中に自分の名前があるのを聞き、ビーチは、言われた格納庫へと走った。 背後で「解散」の号令が響き、その奇妙な閲兵式は、正式に終了したようだ。 がらんとした格納庫の中で、1ダースほどの兵士たちが、道に迷ったようにたたずんでいた。陸軍の神聖なる伝統にのっとり「直ちに行動し、待機せよ」を実行した結果、なんだか手持ちぶさたな状態になってしまったのだ。 なんとなく他の兵士たちを眺めていたビーチは、その中に「かれら」のうちの一人がいることに気がついた。「かれら」‥‥つまり‥‥ホモセクシャルということだ。 ビーチは、成人した人間ならプライベートでどんな欲望を持とうがかまわないと思っているし、「かれら」の存在自体を否定する気はない。でも、頭でそう思っているからといって、「かれら」を受け入れるということにはならない。いっしょにいると、どうにも落ち着かないのだ。 「かれら」と友達になりたいとは思わないし、任務でどうしてもいっしょになるような時は、仕事上の関わりにとどめ、適度な距離を保とうとしてきた。シャワールームなどでも、「かれら」が背後に近づかないか警戒している。 そう、たしかに、成人ならプライベートでどんな欲望を持ってもかまわないが、そもそも、軍隊にプライバシーなどないのだ。 今、格納庫にいる他の兵士たちが、ビーチ同様、彼に近づこうとしないのは、なにより「お仲間」と思われたくはないからだろう。それが、仲間意識と友愛を信条とする組織の、もう一面の真実なのだ。 そう思いながら、その男…?…がつけているネームプレートの「フォックス」という姓をちらりと見て、彼が同じ小隊の人間から「ティム」だったか「ジム」だったか、そんな名で呼ばれていたことを思い出した。 そんなことを考えていてもしょうがないと感じたビーチが目を移すと、格納庫の事務室らしいドアがあり、その前に大男のMPが二人立っていた。しかし、そのMPたちの「ごつさ」もまた、ビーチを不快にした。 彼らは、こちらに対し、見下すような、そして、いかにも底意地悪そうな視線を送っている。たとえば、「つまらん言い訳でもしてみろ。すぐに、この警棒を尻にお見舞いしてやるぞ」とでも言いたげな尊大さだ。 ビーチの目には、その姿が、かつてのワルたちと同じように見えた。 誰が、あんなやつらと関わりたいものか! かつてビーチは、いつも、ワルたちの標的になっていた。 それは、ビーチが、ずっとチビでやせっぽちだったからだ。人から「たくましい」などと言われた経験はただの一度もない。 高校に入った頃、彼は、なんとかそんな見かけを変えられないかと、髪の長さをいろいろ変えてみた。 しかし、その試みは、結局、不愉快な結果しか招かなかった。短くすれば、ひどく子供っぽく見えてしまうし、長くすれば、今度は女々しくなってしまうのだ。 結局、肩の上で揺れる感じと手触りが好きで、ずっと――入隊の際、軍人としてふさわしくないという理由で丸刈りにされるまで――長髪にしていたのだが、その間、何の悪気もない親切な人からさえ、よく女の子と間違われた。ましてや、ワルたちからは、いつも「オカマ」などとからかわれ、ちょっかいを出されていたのだ。 そんな状態から抜け出すため、真の「自己防衛」を考えなければいけないと思ったビーチは、武道を習おうと、これもいろいろ試してみた。 空手は、ちょっとやっただけですぐにひどいタコができてしまい、彼の貧弱な手と骨格構造では、耐えられないことがわかった。 しかし、合気道は、彼に合っているようだった。それは、ひたすら攻撃するのではなく、相手の力をいかに利用するかに主眼を置いたものだったからだ。 合気道を習ったおかげで、高校を卒業する頃には、もう誰も、彼のことを「オカマ」などとは‥‥まあ、以前ほどには‥‥呼ばなくなった。 そんな、ワルに対する憎しみの思いは、当のMPが「気をつけ!」と叫んだせいで、中断させられた。 ところが、それとほぼ同時に、別の方向から「休め!」という号令が響き、兵隊たちは戸惑ったように動きを止めた。 振り向くと、入ってきたのは、例の将校と連れの女性だった。 彼女のエレガントなヒールの音は、そのせいで魔法にでもかかったようにいっせいに漏らした兵士たちのため息にもじゃまされず、格納庫の広い空間にこだました。 一方、将校の方の足取りは――それにふさわしい大股であるにもかかわらず――、まるで床の上を滑るように優雅で、音がしなかった。 近づくと、彼は、「ブリーフィングルームに入ってもらえますか?」と言った。 その口調がいくら穏やかなものだったとしても、将校から発せられた以上、軍曹の命令とは比べものにならないほどの強制力を持っていた。 「腰掛けて、楽にしてください」 将校はまず、そう「命令」した。 巨大な格納庫の中では小さな集団としか見えなかったが、狭い会議室に移ったせいで、人数が倍にも増えた気がした。その全員が座るだけのイスはあったのだが、将校と女性だけは、前に置かれた演壇のところに立った。 「私は今から、諸君に、特殊かつ、きわめて重大な作戦への志願をお願いしようと思っています」 彼は、そう切りだした。 「その内容はトップシークレットであり、また、諸君に、非常な危険と個人的苦痛を強いることになるでしょう。それは、通常の志願兵募集とは比べものにならないものです。しかしながら、この作戦は、わが国の防衛と国民の安全にとって、きわめて重大なものだということをわかっていただきたいと思います。私は、諸君をチームの一員にふさわしい人材だと思っています。ですから、これが諸君にとって不可能な任務だとは思いません。しかし、諸君自身にとっては、これまで一度も経験したこともない困難への挑戦となるはずです」 ‥‥通常の志願兵募集とは比べものにならない? マジかよ? そこにいる兵士たちはみんな、軍隊に古くから伝わる金言を心得ていた。 「志願は、するな!」 ‥‥これはどうやら、その言葉が最も当てはまるケースらしい。 と、そこで、兵士の一人が手を挙げた。 「将校殿、それに応じると、何か特別な報償でもあるのでしょうか?」 「いや、私は将校ではありません」 彼はまず、そちらを訂正した。 「今言えるのは、私が大統領直轄の特殊任務に就いているということ、そして、どんな将校をも超えた権限を与えられているということです。それは、大統領が、この作戦をいかに重要だと考えているかの証しでもあります。私自身の実際の階級と経歴については、機密扱いということになっています。志願してくれた諸君にのみ、明かすことが許されているのです。で、今の質問ですが‥‥ナッシング‥‥見返りは何もありません。たとえわれわれの作戦が成功裡に終わったとしても、諸君は、その成果を人に自慢することさえできません。昇級もありません。勲章もありません。何百万人にもおよぶ人々の生死に関わる重大作戦に従事したという事実以外、何も残らないはずです。いや、それすらないかもしれません。われわれは、未だ不確かなものでしかない脅威に立ち向かおうとしているのです。しかし、われわれは、その脅威が現実のものであると考えています。恐ろしいほどリアルな脅威であると。そして、たとえそれが思い過ごしであったとしても、わが国の防衛のために、われわれは、万全の対策をとっておかなければならないのです。そこで、今度はこちらから質問します。あなたは、その『われわれ』になる気はありますか?」 そんな絶望的で悲壮なスピーチを聴いているうち、いつの間にか、ビーチには、その「将校」の声が耳に入らなくなっていた。 例の女性が、かけていたサングラスをはずしたからだ。つややかに揺れる赤毛の間にあったその目は、明るいグリーンだった。 それに気づいたとたん、ビーチは、その瞳に見入っていた。ビーチは、まるで鏡を見ているような感じがした。彼自身も、同じ澄んだグリーンの目をしているからだ。 先刻から気をひかれている女性と共通のものを持っているということが、なんだか彼女に近づけたような感じを抱かせ、そのことがビーチの気持ちを浮き立たせた。 その彼女の目は、当初、兵士たちの顔を平等に見まわしていたが、やがてビーチが見つめていることに気づいたらしく、見つめ返してきた。 ふたつのエメラルドの宝石は、ビーチが送るあからさまな称賛の視線に、好意で応えてくれたように思えた。というより、まるで彼を求めているとでもいうような‥‥。 そんな想像をしてから、それは要するに、このなんだかよくわからない作戦に彼が志願することを期待しているというメッセージに過ぎないのだと気がついた。おそらくそれこそが、彼女にとって当面する重大事なのだろうから。 そう思い直し、ビーチは、まだ身分を隠したままの士官に目を戻した。 彼の方は、依然、サングラスをしたままだった。よく見ると、そのミラーサングラスは、標準的な軍仕様のものとは明らかにちがっていた。レンズがカーブして目を包み、しかも、眉まで隠してしまうほど大きい。 彼の口調は、未だなめらかでソフトなものだったが、その内容は、ますます悲壮で、かつ旧式な愛国調を帯び始めていた。 「私は、諸君の志願に対し、『義務』という言葉を使うつもりはありません。それは、この作戦が通常の意味での兵士の義務をはるかに超えたものだからです。少なくとも、諸君が入隊した時に課せられた義務などとは比べものにならないものです。このチームに加わったとたん、諸君がチームメイトに対して負うことになる義務は、通常の兵士の義務より、ずっと大きなものとなるはずです。まだ今なら、諸君は、軍人としての名誉を汚されることなく、この場を立ち去ることができます。今後、そのことが汚名となるようなことはありません。けれども、国家は今、諸君の志願を強く望んでいます。諸君の友人のため、家族のため、そして、諸君がまだ会ったことのない数多くの国民のために、ぜひとも志願していただきたいと思います」 こんな演説が、果たして今の兵士たちに届くのだろうか? ビーチはそう感じた。 昔なら、栄光への夢が兵士たちを駆り立て、そんなリスクをとらせたりもしたのだろう。しかし、先刻、この士官は、そんな栄光さえ否定してしまった。 義務? たしかに、隊の仲間への義務感は、ごくふつうの兵士からも、求められた以上の力を引きだし、最大限の効果を発揮する。そこからくる軍人としての義務感は――軍曹たちが見ていようがいまいが――民間人のそれとは比べものにならないものだ。今、「将校」は、その点に着目して、軍人としての良心が貫けることだけは保証してみせた。しかしである。 名誉? 誰にも知られないとするなら、名誉なんてことは、自己満足にしかならないだろう。兵士たちは、なんでわざわざ軍隊なんかを選んだと思ってるんだ。他にも仕事はあるのに。世間からなんの評価もされないことのために働きたいなどと思っているやつは、一人もいないだろう。 国家、だって? 「将校」は、最後にそれを持ちだしてみせた。でも、そんなものが、今どきの兵士たちの動機となりうるんだろうか? と、そこで、兵士たちが未だ「将校」にちがいないと思っているそのやせっぽちの士官は、ドアのところに立っていたMPの一人にうなずいてみせた。それに応じ、MPが大声を張り上げた。 「気をつけッ!」 まるで条件反射ででもあるかのように、一瞬にして全兵士が立ち上がった。 と、将校は、穏やかな声で言った。 「よろしい。志願しないものは、直ちに部屋を出てください」 ビーチは、当然ながら、他のメンバーとともに出ていくつもりでいた。 ところが、その瞬間、例の女性と目が合ってしまった。それが、ビーチにとって、今後の運命を決定づける瞬間となった。 彼女の輝くグリーンの瞳は、さっきより光をたたえているように見えた。それは、その目が潤んでいるかららしかった。穏やかな微笑みに変わりはないものの、どうやら、全員が出て行ってしまうことを心配しているらしい。そう感じたせいで、ビーチは、彼女から目が離せなくなってしまったのだ。 その瞳に吸い込まれるように見入り、ドアに向かうのを忘れているうち、そのドアが、兵士たちといっしょに出ていくMPによって閉じられた。そこで我に返ると、さっきまで1ダースほどいた兵士がビーチを含め三人だけになっていた。 その中には、例のホモセクシャルの兵士、ティム(?)・フォックスもいた。 「かれら」は「本物の男」より弱虫にちがいないと思っていたビーチは――歴史的知識としては、テーベの神軍(※)を知っているにもかかわらず――、さっき以上の違和感を抱いた。 (※訳注 鉄壁の強さを誇った古代エジプトの軍隊 兵士たちは同性愛で固く結束していたといわれる) そんなビーチの疑念に反し、その男‥‥というかなんというか‥‥は、何の報酬も期待できないことが明白な作戦に自ら志願し、すでに平然と腰掛けてさえいるのだった。 もう一人の志願兵は、「カープ」というあだ名でのみ知っているブロンドの兵士だった。 その名は、コミック雑誌に出てくる「ぶきっちょカープ」というキャラクターからつけられたものだ。彼は働き者で、いつもやる気満々で、そのくせ何をやらせてもドジばかり踏むのだ。ネームプレートを見ると「アンダーソン」と書かれていたが、その姓で呼ばれるのを聞いたことがなかった。 「けっこう」 将校は、笑顔でそう言った。 「もう一度座ってください。まず、諸君の愛国心に感謝したいと思います。さっきはああ言いましたが、この時点で、諸君は、大統領自身から特別の認証を与えられました。それは、諸君の経歴に記載され、今後、昇級や、諸君が特別の学校教育を望むような場合、大いに役立つはずです。おめでとう」 そこで彼は、喜びの表現から口調を転じ――とはいえ、いまだにやさしくソフトなしゃべり方ではあったが――、三人の前に座り、こうつづけた。 「しかしながら、ここで、もう一度だけ、選択の機会を持ちたいと思います。今ならまだ、いっさいの懲罰も叱責もなしに、しかも、今与えられた特典を手にしたままで、この部屋を出て行くことができます。これから先、話は、作戦の内容に触れることになります。それを聞いたとたん、諸君には、最も厳しいレベルの守秘義務が課されます。もし、諸君がその秘密を漏らしたとしたら、軍の最も堅固な地下牢に閉じこめられることになるでしょう。一生、そこから出られないはずです。食物は、壁に開いた穴から手渡され、さらに、その食物が連続して十日間手をつけられないのを確認した時点で、看守に対してその穴をふさぐように命令が下ることになります。私は、けっして冗談を言っているのではありません。もし、そんなレベルの守秘義務を果たすことができないというなら、今すぐ、ここを出ていってください」 その言葉に、志願兵は一人も立ち去らなかったが、三人が三人とも、これまで以上に居心地悪そうな顔をしていた。けっして、心から納得したわけではないようだ。 ビーチについては、また、例の女性の視線に惹きつけられたせいだった。じつは、将校の話を聞きながら、ビーチは「この鉄仮面め」と独り言をつぶやいていた。どうやら彼女はそれを見ていて、しかもビーチの思いが伝わったらしく、おかしそうに微笑み返してきたのだ。 今度こそ疑う余地はなかった。彼女は、まちがいなく微笑んだ。まちがいなく‥‥ビーチに向かって。 その話がいくらひどいものだったとしても、こんな微笑みを見せられては、動くわけにいかないだろう。 誰も立ち去らないことを確認した時点で、将校はふたたびうれしそうな表情に変わり、三人にそのまま座っているようジェスチャーしながら、立ち上がった。 「よろしい。じゃあ、私たちの身分を明かしましょう。じつは、諸君の想像どおり、私の今の立場は将校ということになります。名はマーリンといいます。この作戦においては、外部の人間にいっさいの情報を漏らしてはいけないし、それを類推させてもいけないことになっています。ですから、さっきは多少ウソをつきました。もともとの階級は少佐ですが、この作戦遂行のための特例措置として、大統領から『ふたつ星』(訳注 少将クラスの階級章)と同等の権限を与えられているのです。それは、政務長官や官僚たちに口をはさませないためです。私は大統領権限の代行者と見なされ、私の判断が大統領の判断として扱われるわけです。さて、ここにいる魅力的な相棒はコニー。コンスタンス・マクリーンといいます。彼女は、今後、諸君が受けることになる訓練のうち、ある課程の主任教官を務めます」 マーリン少佐は、例の女性をそう紹介したあと、その訓練の話に移った。 「これから1年前後、諸君には、作戦遂行のために必要ないくつかの専門技能の訓練を受けてもらうことになります。じつは、この志願兵募集は、ここの連隊だけでなく、すでに他でも実施済みです。志願者数はここがいちばん多く、諸君が加わったことで予定人員に達しました。いよいよ訓練基地に集合して24時間の訓練が始まります。そこで諸君は、非武装戦闘訓練、つまり素手で敵と戦って倒す訓練を受けます。また、敵地からある物を盗み出すために、キーピッキング技術や警報解除技術の訓練も受けます。しかし、それ以上に重要な訓練があります。それは、ある種の変装技術を学び、完璧に身につけるための課程です。この作戦遂行のためには、たとえば諸君の親友にさえ見破られない、まったく別人格になる必要があるのです。じつは、この訓練の成否こそが、今回の作戦のカギを握っていると言えます。コニーは、チームメンバーであると同時に、この課程の責任者でもあります。この分野での彼女の技術がどれほど優れたものかは、なにより、私自身が証明するでしょう」 その言葉とともに、少佐は、例のレンズの大きなサングラスと、かぶっていたベレー帽をとってみせた。 その瞬間、三人の新人志願兵は、息を呑んだ。 「少佐」の目は、この世のどんな女性にも負けないほど美しかったのだ。形よく高いアーチを描いてカットされた眉が、深いブルーの瞳とよく合い、さらに、長くて濃いまつげと、パールの入ったシャドーが、その印象を鮮烈なものにしていた。 ベレー帽を脱いだ瞬間、音もなく降りてきたブロンドのカールは、まるで滝のように流れ落ち、その肩でバウンドした。 迷彩服は変わっていないのに、一瞬にして、その姿は女性にしか見えなくなった。 「この作戦を遂行するために、諸君にも、女性として見られるための変身技術を身につけてもらいます。先刻、小柄で細身のメンバーを選んだのは、なにより、そのためだったのです。しかし、ただ単に女に見えればいいということではありません。諸君には、美人の女性になることが求められます。魅力的で、まわりの注目を集めるような、疑う余地もない美人に。なぜそんなことが必要なのかは、今の段階ではまだ話せませんが、これは、作戦遂行のために、他のどの技能の修得よりも重要なことです。同時に、この訓練のことは、最大の機密事項でもあります。諸君は、今、それを知ってしまいました。今後、もし諸君が、訓練の過程で合格できずに脱落したような場合にも、残ったメンバーが作戦を完了させるまで、世間とは隔絶された場所に身柄を拘束されることになります。この作戦の標的となる人物に、このことを、ぜったいに知られてはならないからです。アメリカ陸軍が女装のための訓練をしているという情報が少しでも漏れたとしたら、この作戦自体が台なしになり、即刻中止されます。残ったチームメンバーの努力も、すべて水泡に帰すわけです。‥‥他に、なにか質問は?」 兵士たちは、あまりの驚きに言葉を失っていた。しかし、正式な命令の最後にいつもつけ加えられるその疑問文に、いわば条件反射のようにうなずいていた。 あんぐりと口を開けたまま、それでも、彼らはうなずいたのだ。 「よろしい」 少佐は、彼?‥‥の長い髪をまとめてベレー帽の中にしまい、サングラスをかけ直しながら言った。 「さあ、出発しましょう。ヘリが待機しています」 chapter 4 Trapped? chapter 5 Tragedy! chapter 6 Tranquil? chapter 7 Trance? chapter 8 Trail's End? chapter 2 Training? ‥‥訓練? 連隊の基地を発って以来、ずっとヘリの振動に揺られつづけ、ビーチは、こんなに長距離を飛ぶなら、どうしてもっと速いタイプの航空機に乗り継がないのだろうと思った。 途中、給油のためにどこかに二度ほど着陸したが、それ以外、十何時間も飛びつづけていることで、少佐が言った「この作戦には個人的苦痛が伴う」という言葉が、けっして大げさではなかったことを確信した。たぶん、これはまだ、序の口なのだろうが。 なによりつらいのは、ヘリの窓がすべて黒く塗られていることだ。さすがにパイロットには外が見えるのだろうが、そのコックピットとの間にも仕切りが設けられ、乗員にはどこを飛んでいるのかわからなくされている。 その上、室内の騒音がひどく、せっかく目の前に息を呑むような美人、ミス・マクリーンがいるというのに、ちょっとした会話を楽しむことすらできない。ただ、そこに座って、いろんな意味でのがまんを強いられているのだ。 やっとのことで目的地に到着し、ヘリを降りた時には、機外はすでに暗くなっていた。そのせいで、森を切り開いたような場所だという以外、周囲の状況はよくわからなかった。ただ、どうやら、ビーチたちがいた基地よりずっと標高の高い場所らしい。気温が低かったし、それ以上に、山地でしか味わえない澄んだ空気を感じたのだ。 アメリカ陸軍の予算の中で、装備費や施設費や燃料費や食費より、じつは訓練費として計上されている額の方が大きいことを知っている人は少ない。そこには、兵士たちが軍務をまっとうするために必要な、あらゆる分野のスキルを教える設備や人材がそろっている。 この訓練基地にしても、そんな数多くの一般訓練基地にまぎれ込ませることで、監査官の目をごまかしているにちがいなかった。 新参の志願兵たちは、彼らが暮らすことになる施設に案内され、今夜はよく睡眠をとるように言われた。 しかしそこで、彼らは、この基地に関する最初の驚きに直面することになった。 ビーチにあてがわれたのは――これまでのように1個小隊が共同生活する兵舎ではなく――、なんと一人部屋だった。しかも、エレガントな内装の個人用バスルームまでついている。これも、兵舎のシャワー室や共同トイレなどとは雲泥の差だ。 ベッドは天蓋つきで、そこから、たくさんのフリルと繊細な飾りがほどこされたレースが垂れていた。クローゼットは、ウォーク・インどころか、歩きまわれるほど広い。さらに、それらを総仕上げするとでもいうように、たくさんの引き出しと照明つきの鏡台がセットになった大きなドレッサーまであるのだ。 陸軍の服務規定では、野営地でもないかぎり、就寝前にシャワーを浴びることが決められている。しかし、ビーチの経験では、それが目を冴えさせ、寝つきを悪くしてしまうこともしばしばだ。 先刻、よく睡眠をとるよう言われたことを言い訳にして、汗くさいままの軍服を早々に脱ぎバンツ一丁になったビーチは、そのまま、すべすべと肌触りのよい夜具の間に体を滑り込ませた。 そして、瞬く間に眠りに落ちた。 ビーチ、フォックス、それにカープ・アンダーソンが目覚めたのは、いつもよりかなり遅い時刻、つまり、すでに太陽が昇ったあとだった。しかも、その優雅なベッドで彼らを起こしたのは、あのコンスタンス・マクリーンだった。 自分の名を呼ぶやさしい声に目を覚ましたビーチは、声の主がコンスタンスだったことにおどろき、同時に、それが、初めて聞く彼女の声だということに気がついた。 彼女の言葉づかいは、聞き取りやすい典型的なアメリカ英語だったが、そこには、まるでエメラルド島の方言だとでもいうような、はずんだ調子があった。そう、こちらの心まではずんでくるような。 そのコニーの声と姿に、思わず固くなったのをごまかすため‥‥いや、まあ、言葉どおりの意味なのだが‥‥、ビーチは、血気さかんなアメリカ兵という感じの返事とともに勢いよく起きあがった。そして、腰に毛布を巻きつけたまま、うなずいた。 彼女が出ていったところで、ビーチは、ベッドルームにつづくバスルーム――というより、女性用のパウダールームという方が適切だが――に入った。そこには、シャンプーやコンディショナー、カミソリや脱毛剤などが置かれ、それらすべてから、香水のようなフローラルな香りが立ち昇っていた。 朝のシャワーを手早くすませ、シャワースペースから出てきたところで、ビーチは、下着を探してきょろきょろすることになった。昨日は急な出発で、替えの下着すら持ってきていなかったから、さっき脱いだものをまた履かなければならないと思っていたのだが、いつの間にかそれがなくなっているのだ。 代わりにそこに置いてあったのは、彼の目と同じエメラルドグリーンの女性用パンティだった。その薄くてなめらかな生地でできた下着を手に取ると、それは、陸軍の訓練であちこちにタコのできた指の間を、まるで液体のようにすべった。 他に履くものもないので、しかたなくそれに足を通し、その上から、やはりそこに置かれていた白いローブを羽織った。それは一見ふつうのバスローブに見えたが、着てみると、これまで一度も着たことがないほど柔らかで、毛足の長いものだった。 部屋のドアをノックする音に反射的に近づいて開けると、廊下には、コンスタンスとともに、同じローブを着たフォックスとカープ・アンダーソンが待っていた。 連れて行かれたのは、一脚の安楽イスとともに、あちこちにソファが点在するリビングルームだった。そこにはすでに、やはり厚手の白いローブを着た、ちょうど半ダースの男たちがいた。他の連隊から来た連中だろう。 ビーチたちが加わり新兵が九人になったところで、別のドアが開き、そこから例の少佐が現れた。 少なくとも、首から下はあの少佐にちがいなかった。昨日と同じ、迷彩服姿だ。ただ、サングラスはしておらず、髪はほどかれ肩に垂らされている。 その顔を、新兵たちは、あんぐりと口を開けたまま見つめた。 今朝の彼…?…の顔は、昨日はなかったチークや口紅まで塗られ、完璧にメイクされていた。彼?…の髪は、きれいにブラッシングされ、金の巻き毛が、彼女…いや、彼?…の頬をやさしく撫でていた。やはり金のきらきら光るループイヤリングが…彼女?…の耳で輝いて揺れていた。彼女…の首には、幅広のチョーカー型ネックレスが巻かれていた。 端的に一言で要約すれば‥‥彼女は、美人だった。 そんな美しい顔を目の当たりにして、そして、それがじつは男なのだということを必死で心にとどめようとしながら、ビーチは、あらためて、自分がとんでもないところに来てしまったのだという思いに駆られた。 男女兼用の迷彩服を着た、その絵に描いたようなブロンド美人の口から、ちょっと不釣り合いな大きな声が発せられたことで、やっとその姿が、昨日の少佐と重なった。 「おはよう、諸‥‥いや、みなさん」 その口調は、昨日同様穏やかだったが、今やそれすら、違和感があった。 「座ってください」 その言葉に全員が席に着くと、少佐が話し始めた。 「さて、さっそく今日から、作戦のための訓練を始めることにします。この訓練プログラムは、大きく分けて三つの分野から成り立っています。女性化訓練、非武装戦闘訓練、目標物窃取訓練の三つです。これらのうち最も時間が割かれるのは、女性化の分野です。しかし、今の私を見ればわかるように、その成果はおどろくべきものとなるはずです」 と、そこで、新兵の一人がおずおずと手を挙げた。 少佐は、それに「なんですか?」と応えた。 「すみません、‥‥その‥‥少佐‥‥殿。自分たちが、女になる訓練をしなければいけないという意味がもうひとつのみこめないのですが。作戦に女が必要なら、女性兵士だっているわけですし」 その言葉に、少佐は、ちょっとの間、動きを止め、真っ赤な唇をすぼめるようにした。そのあと、自分自身にひとつうなずくと、こう言った。 「そうですね。もう少し作戦の背景を話した方がよさそうですね。この話を口外したら、懲罰があるのはわかってますね?」 全員がうなずくのを確かめてから、少佐は言葉を継いだ。 「今は名を明かせませんが、小国ながら戦略的に重要なある独裁国家があります。その国の、とても正気とは言えない独裁者が、最近、地球上の全生物を死に至らしめるほど凶悪な細菌兵器を開発させたらしいのです。彼は、『アプレ・モア・ル・デリュージュ』(訳注 フランス語「わが亡き後に洪水よ来たれ」=後は野となれ山となれ)とばかりの宣言を出して、もし自分の命が奪われたら、その細菌を世界中にばらまくという脅しをかけてきています。私たちの作戦は、彼の宮殿内に保管されたこの細菌の感染媒体を、無害なにせ物とすり替えてしまうというものです。しかも、彼が気がつかないうちにことを進めなければなりません。もし気づかれれば、彼は、ふたたび同じ細菌をつくらせるでしょうから。この独裁者‥‥そう、仮に『エル・スプレモ』(訳注 スペイン語「最高権力者」)とでも呼ぶことにしましょう‥‥このエル・スプレモの宮殿は、いわばハレムといったもので、彼自身が細菌開発のために招へいした科学者や少数の近衛兵以外、男の出入りが禁じられています。男が侵入すれば、直ちに射殺されます。そして、その狙撃を担当するのが、彼をとりまく女たちなのです。女たちは、そんな男を見つけ次第、狙撃するように訓練されています。実際、エル・スプレモは、これまで何人も、宮殿内に侵入した男を犯罪者として処刑したと公表しています。時には、その犯罪者に手加減したという理由で、女たちをも、死に値する重刑に処しています。細菌が保管された研究所は、宮殿最奥の内殿に併設されているのですが、その聖域まで近づくには、女、しかもエル・スプレモのお眼鏡にかなうような美人の女でなければならないわけです」 少佐はそこで一息つき、さらにつづけた。 「ところが一方、その内殿自体には男しか入れないのです。その中に入って動きまわるには、成人男性、つまり性的能力のある生物学上の男でなければなりません。じつは、これもまた、エル・スプレモの異常性格の表れなのですが、彼は、科学者や近衛兵が内殿に出入りする際、男性であることを証明するテストを課しているらしいのです。具体的には、内殿までの通路の何カ所かにチェックポイントを設け、そこを通るたびに、新鮮な生きている精子の提出を義務づけている。彼は、この二重の防御網、つまり、男だとわかれば殺され、女では中心部まで達することができないというふたつのバリアを設けることで、侵入を防げると考えているわけです。だからこそ、男としての生殖能力を持つわれわれが、美人の女性として疑われないだけの訓練をする必要があるのです。わかりましたか?」 質問者があ然としながらもうなずくのを確かめ、少佐の説明は、ふたたび訓練の中身に戻った。 「よろしい。では、さっそく今から、女性化訓練を始めることにします。まず、各自、女性としての名前をつけてください。人から呼ばれた際、それを自分の名として自然に反応するためには、できるだけ本名に近い名前がいいでしょう。今後、私たちは、お互いをこの女性名で呼びあうこととします。それぞれを三人称で話題にするような場合も、かならず女性代名詞を使ってください‥‥ね。もちろん、心の中で思い浮かべるような時にも‥‥ね。無意識の部分までを含めた認識は、外見の女性化同様の効果を発揮すると思う‥‥わ。いいえ、それが、外見の女性化をも促進するはずよ。ところで、私は、皆さんにマーリン少佐と自己紹介しましたよね。私‥‥あたしの女名前はマリリンというのよ。今後は、そう呼んでね。じゃあ、15分以内に名前を決めて、近くの人と自己紹介し合ったあと、あたしに報告してくださいね。それが終わったら、各自、いったん自分の部屋に戻って。そこに、最初のインストラクターが待っているはずよ」 話し終わったあとも、彼‥‥彼女は、部屋を出て行くことなく、微笑みを浮かべて、兵士‥‥いや、女の子たちの座るソファをまわっていた。名前を決めるための会話を促しているのだ。 ビーチは、ふだん仲間から呼ばれている愛称「サンディ」が、女性名としても通用することに気づき、これをそのまま使うことにした。その方が、なにかと楽だろう。 彼の最も近くに座っていたのは例の「かれら」、つまり、ティムだかジムだかの、フォックスだった。 そのことにまた居心地悪さを感じながらも、いちおう命令には従おうと、彼に声を掛けた。 「ハロー、ぼ‥‥あたし、サンディ‥‥よ」 ビーチは、少佐のやわらかなしゃべり方と声を真似てみた。 「僕‥‥い、いや、あ、あたしはジム‥‥じゃなくて、ジェーミー‥‥より、ジェイミの方が‥‥かわいい?」 相手の新兵は、ちょっと口ごもりながらも、そう言った。 そこで、ビーチは初めてフォックスの顔をまともに見た。その髪はごくありふれた茶色だったが、目が大きく、濃くて深みあるチョコレート色をしていた。 気がつくと、ビーチは、無意識のうちに、「ジェイミ」ならうまく女性化できるにちがいないと考えていた。「彼女」なら、美人になれるだろうと。 そんな自分の思考におどろいたことで、今度は、他の人間から彼自身‥‥いや、彼女自身がどう見えているかが気になった。 どうせなら、少佐みたいになりたい。 ビーチは、知らず知らずのうちにそう思っていた。 とはいえ、兵隊の極端に短い髪で、しかもメイクもなしで、お互いを男以外の存在だと思い込んで会話をつづけるのには無理があった。 少佐が新兵たちの間を一巡りしたときには、その自己紹介もほとんど終わっていた。予定の15分も要することなく、それぞれが自分の部屋へと散っていった。 部屋に戻ると、カジュアルな服装の女性が一人、ビーチを待っていた。 今の時点ではなんの予備知識もなかったから、ビーチには彼女が何者なのかわからなかった。ただ、もしかしたら、この「女」も、女装した男なのかもしれないと思った。 彼女は、デニムのミニスカートと、ノースリーブのニットを着ていた。髪の長さは、ミディアム。メイクは、先刻の「マリリン」の魔法のようなものと比べればずっと地味だった。やはり、見かけどおり、若くて健康なふつうの女性なのかもしれない。彼女の外見でおかしな点を探すとすれば、カジュアルな服装にはフォーマルすぎる、ヒールの高いパンプスを履いていることくらいだ。 彼女の声は女性としては低かったが、だからといって、男性だと疑う種のものではない。しゃべり方も軍隊流の命令口調ではない。ただ、親切に教えてくれるという手のものでもなかった。 「着ているものを全部脱いで、シャワーのところに行ってくれる? まず、体中の脱毛から始めるから」 その言葉に、ビーチは一瞬体を固くした。おそらくは、彼がこれから経験することになる変身の第一歩に過ぎないのだろうが、なにより女性の前で全裸になるということに大きな抵抗があった。 しかし、彼女があまりに平然とした顔をしているので、ごねるのはかえって恥ずかしい気がして、ビーチはそれに従った。 「私はキャシー。あなたのボディトレーニングを担当することになってるの。あっ、女性化分野のね。武道の方は、また、別のインストラクターがいるわ。じゃあ、最初の課題は、脱毛ね。シャワースペースに、脚を開いて立って。腕も、肩の高さに上げて」 今度は、明らかに命令だった。 「キャシー」の階級はよくわからなかったが、どうやらここでは、階級に関係なく命令が出されるらしい。そう考え、ビーチは言われたとおりにした。 しかし、キャシーが、自らの手に泡状のクリームを取り、それをビーチの体に塗り始めた時には、思わず飛び退きそうになった。 彼は今朝、その容器を見ていたから、それが脱毛のための薬剤だということはわかっていた。それにしても、それが、こんなに早く、しかも全身に使われることになるとは想像していなかった。 キャシーは、そのクリームを、ビーチの頬から下の肌すべてに、すみからすみまで塗っていった。 「すべてに」そして「すみからすみまで」‥‥健康な若い男であるビーチの肉体は当然、彼女の――けっしてその手の意味ではない――サービスにも、敏感に反応していた。 もっとも、キャシーにしてみれば、そのおかげで、ビーチの体のうち、最も塗りにくい部分の体毛にも、容易に手が届いたわけだが。 最後にそこを塗りながら、キャシーはほほ笑みかけてきたが、もちろんそれも、職業的な笑顔にすぎなかった。 「ふふ、気にしなくていいわよ。もし、あなたがなんの反応もしなかったとしたら、その方がずっとショックなんだから。それに、もしこうならなかったら、その時点で、あなたを不合格にするようにって言われてるの。何分かしたら流すから、それまでそのまま‥‥立ってて」 彼女は、その自分の表現に、もう一度くすっと笑い、シャワースペースから去って行った。 果てしないと思えるほどの時間、ビーチはそこに立っていた。その間、クリームが塗られた肌に最初のムズムズがやってきて、次にそれがかゆみに代わり、やがて、まるで酸が皮膚を浸食していくようなヒリヒリする感覚が襲ってきた。 それは、彼に、少佐が言った「個人的苦痛」という警告を思い出させつづけた。 さらに永遠とも感じる時間が過ぎ、やっとキャシーが戻ってきて、クリームを残さず洗い流せと言った。 たとえ、高山の冠雪が一挙に溶けて降り注いできたのだとしても、彼はそれを喜んで受けただろう。 体を流し、シャワースペースを出ると、キャシーは、さっきとは別の甘い香りのするローションを手渡し、手の届くところはすべてすり込めと言った。 その言葉に、ビーチは、さっきのように彼女の手でローションマッサージをしてもらうのは無理なことを悟った。しかし、いったんはそれを期待したせいで、彼の体の一部がまた反応し、そのあと、戸惑ったように揺れた。 キャシーには、そんな彼の心の動きが――まるでCNNの実況中継でも見るように――読み取れたらしく、大きな声で笑った。 「サンディ、わかってる? これからはあなたが、男をそんなふうにさせる側になるのよ。ふふ‥‥さあ、じゃあ、服を着ましょ。といっても、私が担当する範囲の衣服って意味だけど。ところで、今みたいな思いは、もう二度としなくていいそうよ。さっきの脱毛クリームは、この作戦のために新しく開発された特製品らしいの。次に中和剤をつけるまで、発毛を強力に抑制するんだって。いいわね。あなたたちのために、陸軍は、むだ毛の心配までしてくれるってわけね」 その言葉にショックを受けながら、キャシーに促されてバスルームを出てくると、広いベッドルームのコーナーテーブルに、たくさんの包みが置かれていた。 さらに、天井からブランコのようなものが垂れ下がっていた。といっても、座るには細すぎるし、位置が高すぎる。 たぶん、懸垂かなにかに使うのだろう。陸軍は、腕立て伏せ同様、懸垂を愛している。 ビーチがそう思っていると、案の定、キャシーが「そのバーにつかまって」と言った。 つま先立ちは必要だったが、それだけで手が届いたから、バーに飛びつく必要はなかった。 そこでさっそく、ビーチが懸垂を始めようとすると、キャシーがあわてて止めた。 「ちがうわよ。体の寸法を測る間、そうしててほしいだけ」 そう言ってメジャーを取り出した彼女は、それをビーチの腋の下から膝のあたりまで十ヵ所ほどにあて、次々に計測していった。胴回りや腿まわり、背中の丈や股下、その他あちこちを。 測定が終わると、彼女は、テーブルの上をがさごそやり、そこからひとつの包みを取り上げた。 「あなたのサイズに合わせた特注品が届くまで、とりあえず、これで間に合うわね」 「これ?」 バーから手を離しながらそうきいたところで、彼女が包みから取り出したものが目に入り、ビーチは思わず後ずさった。 「やだよ‥‥そんなの!」 ビーチは叫んでいた。 「これを受け入れるか、それとも、残りの人生のほとんどを営倉で送るか。ふたつにひとつなのよ」 彼女はそう警告してきた。 「さあ、もう一回、そのバーにつかまって」 まるで以前噛みつかれたことのある蛇のようなそのアイテムを横目で見ながら、ビーチはしぶしぶ従った。 そのアイテムとは、コルセット‥‥黒いふちどりの入った濃いピンクのコルセットだった。 見ていると、キャシーはまず、そのひもを何インチかずつ緩め、それから、前側についたホックをはずしていった。 そのあと、彼の体に巻きつけ、ホックをとめた。 つま先立ちしながらバーにぶら下がったビーチは、それが、思ったほど苦しいものでなかったことに、ほっとした。体にぴったりと張りついてはいたが、さほどきつくないのだ。 ところがそこで、後ろにまわったキャシーがひもを絞り始めた。 絞って、絞って、さらに絞って‥‥。 すぐにビーチは息も絶え絶えにあえぎ始めていた。それでもキャシーは、いまやピンと張りつめているひもを、さらに力いっぱい引っ張った。 やっとのことで彼女は許してくれ、「ま、こんなもんかな。手を下ろしていいわよ」と言った。 その方が呼吸が楽になるにちがいないと思いながら、ビーチはバーから手を離した。ところが実際は、コルセットをさらにきつく感じさせることにしかならなかった。 コルセットは、これまで隊の軍曹にたたき込まれた経験以上に、ビーチに背筋を伸ばすことを強制していた。 彼は、その新しい牢獄の限界を知ろうと、体をねじろうとしたり、曲げようとしたり、いろいろ試みたが、結局、そのたびに息がつまって動きがとれなくなるだけだった。 これなら、営倉の方がましにちがいないと、ビーチは感じた。 「そのストラップを、パンティの下に通して」 キャシーは、次にそう言った。 ‥‥パンティ? それが、軍隊で使う言葉か? そうは思ったが、たしかに今ビーチが履いているのは、それ以外に呼びようのないしろものだ。 コルセットからは、4本のストラップが垂れ下がっていた。彼が、苦労しながら、パンティの薄い生地の下にそれらを通し終わると、キャシーは、次の箱を取り上げた。 そこから引っ張り出されたのは、ストッキングだった。色は黒だが極薄で、生地が二重になった履き口からつま先に向かい、真っ直ぐにシームが入っている。 キャシーは、ビーチがその履き方を知っているものとして、なんの説明もなく手渡した。 もちろん、ビーチは靴下の履き方くらい知っていた。一般的な意味でなら。でも、こんな場合の特別なやり方はわかっていなかった。 結局、ビーチが手こずっているのを見て、キャシーは、それをくるくるとたぐって小さな輪にし、彼の足先に通して、毛がなくすべすべになった脚に沿って注意深く引き上げてくれた。 ガーターをとめる位置を教えてもらって固定すると、コルセットに引っ張り上げられたストッキングが、脚の肌に張りついた。 「オーケー」 キャシーがてきぱきと言った。 「あと、私担当のアイテムはひとつ。これをこなすには、ちょっと訓練が必要ね」 その最後のアイテムは、実際にはふたつあった。1足の黒いハイヒールだったのだ。 ヒールの高さを判断する基準など持ち合わせていなかったが、ビーチには、それは十分に高いものに見えた。 形はパンプスというのだろうが、後ろの部分に、足首でとめるらしいストラップがついている。 彼は体を折り曲げてその靴を履こうとしたが、コルセットは、それを断固拒絶した。 「コルセットの扱いにもう少し慣れるまで、とても履けそうにないわね」 キャシーは、そう見極めて言った。 「私が履かせてあげるわ」 おそらく、ビーチの履歴ファイルに記載された足のサイズに合わせて用意されたのだろう。その靴は、おどろくほどぴったりだった。 そう、それは悲惨なくらいぴったりだった。 つま先には一分の隙もなく、指が密着した。その指のつけ根から、まるで裏返しにするとでもいうように、強制的に足の裏が持ち上げられる。とはいえ、その足裏と靴底の丈も合っているようで、かかともすき間なくおさまった。 足が入るとすぐ、キャシーは後ろにまわり、アンクルストラップをとめてくれた。 「ちょっと、歩いてみて」 その言葉に従い、ビーチは一歩踏み出したのだが、歩幅が大きすぎたらしく、転びそうになってしまった。 キャシーはすかさずいくつかのポイントを教えてくれた。その教え方がよかったのか、おどろくほど短時間で、彼は部屋の中を歩きまわれるようになっていた。もちろんまだ、優雅というにはほど遠かったが、もうぐらつくようなことはなくなった。 さらに少し練習するうち、不自然な感じも消えていった。それは、キャシーの指示に素直に従ったからだ。腰を振るようにして歩くこと。つま先から下ろすようにすること。一直線上を歩くつもりで足を出すこと。 しかし、女性らしく品の良い歩き方がもう少しで完成するというところで、ビーチはがまんできなくなり、弱音を吐いた。 「もう、足が痛くて死にそうだ」 「なに言ってるの。そのヒール、たった3インチ(約7.5センチ)しかないのよ。私が今履いてるのは4インチ以上あるわ。しかも、私のが足は小さいから、そのぶん傾斜も急だしね。だいじょうぶ。この訓練が終わる頃には、あなたは、今の倍のヒールでダンスを踊れるようになってるはずよ。でも、まあ、今日のところは、これくらいにしときましょうか。さあ、これを羽織って」 そう言って、彼女は、さっきまでの白いバスローブとは別のローブを渡してよこした。あれより、ずいぶん丈が短い。 今度のローブは、彼の目の色と(つまり、パンティの色とも)同じ明るいエメラルドグリーンだった。薄くてシルキーなその生地は、実際には不透明なのだか、瞬間瞬間のちょっとした動きにも体の線が浮き出し、まるで透けているように見えた。 さらに、ちょっとした動きの瞬間にもすそが持ち上がり、下に履いた同じ色のパンティが顔をのぞかせた。それほど短いのだ。 「あっ、そろそろ食事の時間ね。腹が減っては戦はできぬ、ってね」 彼女は自分の言ったことにおかしそうに笑い、部屋を出たので、ビーチも、あわててそのあとを追った。 chapter 4 Trapped? chapter 5 Tragedy! chapter 6 Tranquil? chapter 7 Trance? chapter 8 Trail's End? chapter 3 Trans what? ‥‥変身? 変心? 廊下に出て、ビーチはキャシーの後に従って歩いた。 彼女が、そのそびえるようなヒールの足をなめらかに進めるのを見ることで、ビーチには、さっき彼女が教えてくれたあれこれの意味が、腑に落ちた気がした。 そのおかげで、自分の高いスパイクの扱い方もわかり、もうさほど苦ではなくなっていた。ことに、その細いヒールに、どれくらいの割合で体重をかければいいのかが理解でき、自信さえついた。 とはいえ、しゃれた感じの食堂にたどり着いた頃には、彼はだいぶ遅れてしまっていた。多少のバランス感覚やスキルが身についたからと言っても、靴の中の慣れない圧迫から来る痛みの方が勝ったのだ。 部屋の中では、マリリンとコンスタンスが、先に到着していた何人かの新兵たちを見てまわっていた。彼らは、みんな同じデザインのローブを着せられていたが、色はそれぞれにちがった。ただちがうというだけでなく、どうやら、各人の髪や目の色が考慮され、それに似合う色が選ばれているようだ。 少佐は今や――少なくとも外見上は――完璧にマリリンと呼ぶのにふさわしい存在に変わっていた。美しい顔や輝く髪が、ショートローブによく映えている。‥‥そう、ローブにしても、ハイヒールにしても、また、細いシームの入ったストッキングにしても、彼女は(そしてコンスタンスも)、訓練生たちと同様のものを身につけているのだ。 微笑みを浮かべて歩くそんなマリリンの姿は、その仕草とも相まって、誰の目からも、コンスタンスと変わらない女らしいものに映っていた。 部屋の中を眺めたビーチは、自分が、少なくとも他の新兵たちより、ハイヒールをうまく履きこなしているのに気づき、なんだかうれしい気持ちになった。 なんの苦もなく部屋の中央まで歩を進めると、彼は、同じ連隊から来た他のメンバーを探した。 と、ちょうどそこへジェイミ・フォックスが入ってきた。ビーチほど自然な感じではないにしても、彼‥‥彼女もまた、このハイヒールのスキルをそれなりに身につけたようだ。 見まわすと、新兵たちはほぼそろったらしいのに、同じ連隊から来たもう一人、カープ・アンダーソン(そういえば、やつの女性名はなんていうんだっけ?)の姿が見えない。 どうやら、マリリンも訓練生たちの数を数えていたらしい。コンスタンスに耳打ちし、見に行かせたようだ。 しばらくすると、コンスタンスは、カープと彼のインストラクターを伴って戻ってきた‥‥というより、二人がかりでその新兵の両脇を抱え、運んできたという感じだった。 もちろん、カープ自身も自分で歩こうとはしているのだが、踏み出す一歩ごとに、足首をくじきそうになったり、ヒールを滑らせたり、とがった靴先をカーペットの下に突っ込んだりした。 部屋の中央まで来て、ついに二人がその手を離したときには、危うく転びそうになり、あわててイスの背もたれにしがみついた。 まさしく、「ぶきっちょカープ」そのものだった。 「まあ、いいわ。それじゃあ‥‥」とマリリンが言った。 「それぞれ食事を取って、席について」 朝昼兼用のブランチらしいこの食事は、ビュッフェ形式になっているようで、さまざまな肉料理や、パン、果物、野菜が、カウンターの上にずらりと並べられていた。その向こうの調理場では、卵料理の注文を受けるらしいコックも立っている。 ビーチは、健康な若い男としていつも摂っている朝食分の料理をトレイにのせ、そこにさらに、昼食分としてサンドイッチをつけ加えた。よく考えてみると昨日の昼から何も食べていない。不思議と空腹感はないのだが‥‥。 関心が食べ物に向いたせいだろう。今しがた歩き方を学んだばかりの新兵たちの集中力はふたたび散漫になり、みんな、よたつきながら動いていた。 そんな中、ビーチだけは、ことさら靴に注意を向けなくても、歩調を乱すことがなかった。 マリリンは、そんな集団の動きを、それとなく観察していたらしい。真っ先に料理を取り終え、向き直ったビーチと目が合った。そのマリリンの視線の中に、称賛が込められているのを感じ、ビーチは微笑み返していた。するとそこで、マリリンが、同じテーブルに来るように手招きした。 ビーチは、戸惑いながらも、彼らの席に近づき、その隣にトレイを置いた。 「よろしいですか、少‥‥あ、いえ‥‥マーム(※)」 (※訳注 “ma'am”目上の女性に呼びかける際の敬称 女性士官にも、通常これが使われる) その呼びかけに、マリリンは一瞬、眉をひそめたが、すぐに表情を戻した。新しい環境に慣れるためには時間が必要だということを、彼女はよくわかっていた。 「座って」 ビーチにとって、その言葉は、命令以外の何ものでもなかった。と‥‥。 「サンディ、それはやめてね」 「はい、マーム」 「だから、それよ。私のことは、マリリンって呼んでって言ったでしょ」 少佐は、そう要求してきた。 「作戦の間、私たちは、軍人じゃなく、女どうしの友達に見せなきゃいけないんだから」 「は、はい、マーム‥‥いえ‥‥その、マリリン」 ビーチは、居心地悪さを感じながら答えた。 と、そこでまた、マリリンが顔をしかめ、その美しい容貌を台なしにした。今度はビーチでなく、カウンターの前で格闘するカープの姿が目にとまったらしい。カープは、両手でカウンターにしがみつくようにしながら、そこに置いたトレイをかろうじて前に押し進めていた。 そんな少佐の表情に気づき、ビーチは思わずため息をついた。 「どうかしたの?」 コンスタンスがきいてきた。 「もう、カープのやつ‥‥あ、その‥‥アンダーソンのことです」 「カープ?」 今度はマリリンが聞き返した。 「いえ‥‥その‥‥やつのあだ名なんです。ぶきっちょカープって、漫画に出てくるキャラクターなんです。やつは何につけてもがさつだから、ちゃんとできるかどうか心配で‥‥」 「ふむ、そんな話は、できれば基地を発つ前に聞いておきたかったものだ」 少佐の顔は、すでに苦虫をかみつぶしたようになっていた。それは、彼女の‥‥いや、彼の司令官としての顔だった。 と、コンスタンスがそれを見とがめた。 「ねえ、マリリン。そんな顔はだめだって言ったでしょ。そういう時は、口をとがらすようにするの」 その言葉に、マリリンの顔の緊張が解け、「彼女」の同席者に対し、恥ずかしそうに苦笑した。どうやら、これまで何度も、同じことを注意されてきたようだ。 そこで彼女は、不満そうではあっても、さっきよりはずっと女らしい表情に変えてみせた。実際に、可憐な口をすぼめ、とがらせたのだ。 「ここへ来る前にわかってれば、連れてこなかったのにって思っただけよ」 彼女は、さっきの不平を言い直した。 「そうね」 コンスタンスは、それに同意してからつづけた。 「でも、あの場では無理だったわ。時間も限られてたし」 マリリンもそれにうなずいた。そして、腹を立てている象のそばではじっとしているのが得策だと思っていたビーチの方に顔を向けた。 「あなたの連隊から来た人について、他に、知っておくべきことはある?」 その言葉に、ビーチは動揺した。 フォックスのことを、言うべきかどうか迷ったのだ。 命令には従うべきだろうが、そうすれば、仲間のことを密告するようなことになってしまう。 しかし、結局、マリリンの言葉を正式な命令――あるいは、少なくとも正当な質問――だと判断し、ビーチは口を開いた。 「マーム」 その権威が表に現れている今のような場合、とても「マリリン」と呼べるものではない。 「連隊の中の噂では、‥‥その‥‥ジェイミ‥‥フォックスは‥‥、その、つまり‥‥ホモセクシャルだと」 「なんだと? 本当か?」 少佐としての直截さが、また、女性らしい雰囲気を打ち負かした。 「あの‥‥、正確なことは‥‥知りませんが‥‥、マ‥‥マーム」 思わず立ち上がりそうになったところで、少佐は、あやうく落ち着きを取り戻したようだ。 その顔の緊張が急速に解け、一瞬後には、ふたたび口をとがらすような表情に戻っていた。もし、ビーチがビクついていなかったのなら、それはこの上なく魅力的な顔に見えただろう。 「まあ‥‥」 マリリンは、何か考えるようにして言った。 「あたしたちがしようとしていることから見れば、それは、むしろ歓迎すべき資質かもしれない‥‥わね。それよりも、問題は、ドナの方か」 ドナ‥‥そう、ドナだった。 カープの女性名を思い出しながら、ビーチは、そのカープに対する死の宣告にも聞こえる少佐の言葉に、さらなるおびえを抱いていた。自分自身は、どうやらこの1日目の最初の課題を、訓練生中トップでパスできたようだが、だからこそ、よけいに恐ろしかった。 だいたい一兵卒が、将校、それも、大統領から全権を委任されているような将校と、ひとつテーブルでおしゃべりするなど、手榴弾でお手玉しているようなものだ。何気なく言ったひとことが、思わぬ結果を招いたり、少佐の早急な決断を呼んだりするのだろう。 そう考えながら別のテーブルに目をやると、ジェイミが、なにも気にかけていない様子で――まあ、初めて経験するコルセットとヒールの慣れない感覚は別にしてという話だが――ブランチを食べていた。 ビーチは、この数分の間に、自分が、同じ連隊から来た二人の仲間を窮地に立たせてしまったのではないかと心配になった。と同時に、誰かの何気ないひとことで、自分自身がそんな目にあうのではないかと不安になった。 ブランチの時間もそろそろ終わりだった。 ビーチは、自分の皿が半分もかたづかないうちに、料理を取りすぎたことを後悔していた。 これもまた、大きな失敗だ。陸軍は、兵士たちにしっかり食べるように言うが、一方で、食物をムダにしないようにとも教えている。 しかし、そのコルセットは、ビーチに、これ以上食べることを許してくれそうになかった。 少佐とコンスタンスをそっとうかがうと、彼らはそもそも少ししか取っていなかったらしく、皿は空になっていた。 心配になったビーチは、他のテーブルを見まわし、新兵のほとんどが自分と同じ失敗を犯していることを確認して、ちょっと安心した。 と、そこで、マリリンが立ち上がった。 そのとたん、食堂内は大混乱に陥った。 マリリンに合わせて立ち上がろうとした訓練生たちが、転びかかったり、よたついたりしたのだ。ほとんどの者が、ハイヒールに対する気配りを忘れていたからだった。中でも、気の毒なカープは、必至になってテーブルにしがみついていた。 と、そこへ、新たなインストラクターたちが入ってきて、それぞれ担当らしい新兵に近づき、エスコートした。 ビーチのところに来たのは、彼がこれまで会った女性の中でも最高クラスの美人だった。まあ、マリリンだってそう言えるわけだが。 彼女に従って廊下を歩きながら、ビーチは思わず口をとがらせた。 彼女がぺちゃんこの靴を履いていたからだ。楽そうに歩く彼女のことがうらやましかった。 もっとも、彼自身のヒップは、一歩ことに優雅なスイングを身につけ、その新しい装いにますます順応して揺れていた。 と、前を行くその女性が肩越しに振り返り、美しい笑顔を向けてきた。 「私はカレン。メイクとヘアの担当よ」 他にききたいことはいっぱいあったのだが、ビーチはそこで、ふと思いついた冗談のような疑問を口にした。 「もしかして、インストラクターの名前は、全部Kで始まるとか‥‥?」 と、彼女はなんと、笑ってうなずいた。 「そうよ。あなた担当のインストラクターはね。ここでは、誰も本名は使わないことになってるの。あなたの本名だって、私は知らないわ。最初の趣旨説明で新しい名前をつけるまで、あなたたちは、マリリンとコンスタンスとしか顔を合わせてないでしょ。私たちは、与えられた任務以外のこと、たとえば、お互いの身許だとか、あなたたちの作戦の中身だとかについて詮索することを禁止されてるの。だから、知りたくもないわ」 そう言われてしまえば、次の質問は限られてしまう。ビーチは、この訓練に関するすべての疑問を保留し、髪の毛に手をやりながらきいた。 「で、ヘアの訓練って、どんなことをするの?」 「すぐにわかるわ」 彼女は笑いながら答えた。 結局、疑問は何も解決しなかったわけだ。 部屋に戻ると、カレンは、ビーチを鏡台の前に座らせた。 「ただきれいになるというだけじゃなく、それ以前に男っぽさを隠さなきゃいけないわけだから、その特別なスキルも含めて、メイクについては身につけなきゃいけないことがたくさんあるわ。よく見ててね。これから私は、あなたの顔の片側だけをメイクしていくから。もう片側は、それを真似て、あなた自身でやってほしいの。夕食の前に、左右の顔を見くらべて、チェックするそうよ。マリリンが見て、どっちをあなたがやって、どっちを私がやったかわからないようなら、合格ってわけね」 そんな説明を皮切りに、長時間の、かつ子細にわたるメイクのレクチャーが始まった。 おそらくビーチは、先刻、訓練生の中でただ一人合格点をもらえたらしいことで、ちょっとやる気が出ていたのだろう。 そして、おそらくビーチには、もともと、色とか形とかいうことに関して秀でたセンスがあったのだろう。カレンが施し、仕上げていくメイクの過程を、器用になぞってみせた。 彼がその作業を終えたとき、顔の左右は、どちらがどちらをやったのかわからないほどになっていた。 男にしてはちょっと線が細いという程度だったビーチの顔は、今や完全に、若くて、魅力的で、かわいい女の子へと変身していた。 「うん、悪くないわね」 カレンも、それを認めてくれた。 「じゃあ、次の課程に移りましょ。その髪、伸びるとどんな色になるの?」 「黒です」 ビーチがそう答えると、カレンはさらにきいた。 「まったくの黒? それとも、ブルーブラック?」 「うーん、そうじゃなくて、ブルネット‥‥かな。光が当たると、茶色‥‥っていうか、赤っぽく見えるような‥‥。前に長髪にしてた時は、そんな感じでした」 「へえ、長髪って、どのくらい?」 「肩に掛かるくらい。高校の時ですけど」 ビーチは、水平に掲げた手を鎖骨のあたりに当てながら答えた。 「それはいいわね。ヘアケアの知識はそれなりにあるってわけね」 カレンはそう笑いかけ、床に置かれた背の高い箱の中から、ひとつを選んだ。 「たぶん、これがちょうどいいと思うんだけど」 そう言いながら、箱から取り出した毛の束はちょっと赤みがかった黒髪だ。 そのウィッグのつけ方をレクチャーする前に、まず合わせてみようと思ったのだろう。カレンは、それをかぶせる段階から、ビーチの体を自分の方に向かせていた。その結果、メイクし長い髪をしたビーチ‥‥「サンディ」の姿を初めて見るのは、彼女ということになった。 その彼女自身も、ウィッグの形を整える作業に集中していたので、その間、そこで何が起きているのか気づいていなかった。 そして、メイクとマッチしているかどうかを確かめようと一歩退いたところで、やっと、その全体像を見た。 カレンは、息を呑んだ。 「‥‥ん? どうかしたんですか?」 「サンディ」が尋ねた。 「‥‥え? い、いえ、なんでも‥‥」 カレンは、つぶやくように言った。 「‥‥っていうか‥‥」 そのあ然としたような表情に首をかしげながら、サンディは、自ら鏡を見ようと向きを変えた。 そして「彼女」は、彼女のインストラクター以上に息を呑んだ。 若くて美しい一人のレディが、鏡の向こうからこちらを見ていた。 プロ級とも言える完璧なメイクがほどこされているにもかかわらず、それは、彼女のもともとの美しさに、ほんの少しアクセントを加えただけというように見えた。つややかな黒髪の先が、か細いウエストあたりで、軽やかに揺れていた。 その姿は、先刻までの、コルセットを着けヒールを履いただけの男とは明らかにちがっていたし、女に見せるために必死の努力を払っている女装者というようなものですらなかった。 そこにいるのは、女らしさの最良の結晶、純粋でどこにも欠点が見当たらないと言える存在だった。そう、ちょうど、少女から女へと変わる門口に立ち、その不安と期待にふるえている娘という、そんな感じなのだ。 成人男性の相当数が、思春期の頃、一度またはそれ以上、秘かに女ものの――たいていの場合、母または姉の――服を着てみたことがあるという統計を、ビーチは知らない。もちろん、彼自身、そんな経験も、そんな欲望も、持ったことはなかった。 だから、この初めての経験によって自分の中に突然湧き起こった昂ぶりを、もっぱら、与えられた課題を予想以上にうまくやり遂げたことへの感動としてとらえていた。けっして、エロティックな衝動とは結びつけていなかった。 事実、彼はここまで――あのキャシーの「サービス」には反応したものの――、女装という行為そのものに、性的興奮を感じていたわけではない。 しかし今、彼の身につけているものによって引き起こされたふたつの衝動が、彼の中で、ぶつかり合い、せめぎ合い、洪水となって荒れ狂っていた。 鏡の中の女らしい女性は、男である彼を確実に興奮させていた。その結果、彼は、最も女らしくないうなり声すらあげていた。 しかし一方、その心の中に、プライドのようなものが芽生え始めてもいた。仕事上の成果に対するプライドではなく、「彼女自身」の美しさに対するプライドが。 男の自負心が、人を圧倒するような大きさや強さによってもたらされるとするなら、女のそれは、人から注目を集める魅力的な存在であることによって育つ。 サンディは今、自分自身の美しさに気づき、これからもずっと美しいままでいたいと思っていた。このまま、きれいでかわいい女性でいつづけたいと感じていた。 それは、これまで一度も抱いたことのない感覚だった。 男としてのビーチは、鏡の中の姿に、欲情をかき立てられ、力ずくで押し倒したいような願望を抱いていた。 一方、女としてのサンディは、鏡の中の姿に、自分が美しい宝石であるかのように感じ、やさしく大切に守られたいと願っていた。 そして、サンディの側が、心と体の制御権を握った。 サンディは、かつて髪を伸ばしていた時のことを思い出し、頭を軽く左右に振って、髪が頬をなでる感触や、肩の上でバウンドする感覚を楽しんでいた。 さらに彼女は、ゆっくりと唇をすぼめ、鏡に向かってそっとキスするそぶりさえした。 と、そこに、背後からカレンの笑い声が割って入り、サンディは、ふわふわ浮かぶような気分から、いきなり地上に引き戻された。 「お嬢さん、気をつけなきゃだめよ。街でそんな顔したら、身のほども知らない男の子たちが、ぞろぞろついてくるわよ」 きれいなインストラクターは、そう言ってさらに笑った。 その言葉におたおたし、サンディは頬を赤らめていた。 ところが、そんな恥じらいがまた、鏡の中の彼女の印象をさらに魅惑的に見せた。それはもう、訓練による技能の修得などということを超えたものだろう。 そんな鏡の中の顔を見ている時、サンディは、自分の体の中で、さし迫った事態が進行しているのに気がついた。がまんできなくなって、パンティとローブを濡らしてしまう前に、解決しておかなければいけない。 「いいわ。立って」 カレンが命令した。 「あと少ししたら、リビングに戻りましょ。でも、その前に、行っとかなきゃいけない所があるんでしょ」 サンディはまた恥ずかしそうにうなずき、バスルームへと向かった。一歩ごとに、肩のあたりでさざ波のように揺れる黒髪が、コルセットとハイヒールに対する違和感を忘れさせていった。 バスルームで、サンディは、キャシーがコルセットのストラップをパンティの下に通すように言った意味がわかり、彼女に感謝することになった。おかげで、さほどの苦労もなくすべきことをすませ、チームに合流するため、カレンとともに部屋を出た。 リビングルームに着くと、すでにそこにはマリリンがいた。寄り添ったコンスタンスが、さらに額を寄せるようにしてなにか話している。それを見ながらサンディは、このエレガントで女らしい名前が、美しい少佐に従い、いつまでもそばに居つづける(※)誓いとしてつけられたにちがいないと感じた。 (※訳注 “Constance”は、“constant”=「つねに変わらない」「忠実な」の名詞形) どうやら今回は、サンディが一番乗りだったようだ。 顔を上げたマリリンの鋭い視線が、グリーンの目とブルネットの髪に注がれているのを感じ、サンディの動悸が速まった。コニーの方は、見た瞬間から、明らかに歓迎の表情を浮かべている。 サンディは、自分の中に渦巻くさまざまな感情を抑えながら、話のできるところまで近づいていった。 「素晴らしいわ、サンディ」 マリリンの顔がほほ笑みに変わり、その口から称賛の言葉かが発せられた。 「すごく、すてきよ」 「ありがとうございます。マーム」 サンディは、反射的にそう言っていた。 少佐がさっき、「マリリン」と呼んでほしいと言ったのを思い出すより先に、言葉が出てしまったのだ。 いや、それ以前に、サンディの緊張が「マーム」としか呼ばせなかったのだろう。もちろん、だからといって、「少佐」というには、マリリンは美しすぎる。 サンディをここまで連れてきたインストラクターは、部屋に着くやいなや姿を消してしまった。だから、彼女は今、指揮命令系統でいえば少なくとも17ランクは上の上級士官と、たった一人で対峙しているのである。 「あなたって、左利きなのね。知らなかったわ」 コンスタンスが、不可解そうな顔で言った。 「履歴ファイルには、そんなこと書いてなかったと思うけど」 「えっ‥‥?」 サンディは何を言われたかわからず、問い返すように彼女を見た。 「だから、あなた、左利きなんでしょ?」 「あっ、いえ、マーム」 サンディは、あわててそれを否定した。 「‥‥でも、どうしてそんなことを?」 「だって、インストラクターには、訓練生の利き手と逆側の顔にメイクをしろって伝えたのよ。右利きだったら左側を。左利きだったら右側をってね。訓練生自身は、利き腕の側をする方が、やりやすいだろうと思って。カレンは、それを聞いてなかったのかしら?」 「いえ、マーム。彼女は、まちがいなくそうしましたよ。彼女が左側をメイクして、ぼ‥‥あたしが右側を」 と、そこで、マリリンが会話に加わってきた。 「でも、あなたの顔、左より右の方がきれいに仕上がってるじゃない」 「えっ、ほんとですか? マーム。ありがとうございます」 サンディは、少佐の発言の意味を、さほど吟味することなく、もう一度礼を言った。 少佐の言ったことの重大さは、そのあと次々に入ってきた訓練生たちを見て、わかった。 ハイヒールの時と同様に(考えてみれば、あれはまだ数時間前のことだ)、その新しいスキルの習熟度には、大きな差があったのだ。 何人かの新兵は、自分が受け持った側の顔を、それなりにうまく仕上げていた。でも、インストラクター並みのテクニックに達している者は一人もいなかった――いや、サンディを除いて、一人も。 そして、残りの者は、おおよそ悲惨な結果に終わっていた。アイライナーは節くれ立ち、まつげはバリバリにかたまり、シャドーやチークは、まだらになったり、他の色と混ざって濁ったりしていた。あごと鼻の間で口紅が踊っている者さえいた。 とても成功とは言えないその滑稽な様相に、マリリンは、ふたたび顔をしかめた。 とはいえ、彼女は、つねに意識的な努力をつづけているようだ。そのいかめしいしかめっ面の中に、先刻のかわいく口をとがらすような仕草が統合され、よりデリケートな心情の現れたものになっていた。 それは、以前のしかめっ面に比べれば、恐ろしさが薄まっていたが、エレガントな女っぽさが加わった分、まるで、若い娘たちを叱る女子寮の寮母という感じに見えた。 すべての新兵がそろったところで(その数は八人しかいなかった。つまり、すでにカープは除外されていた)、別の部屋に移動した。 マリリンはそこで、スタンドバーの準備ができているので、好きな飲み物をとるように言った。 若い兵士たちとバーの間に誰もいなかったのは幸いだった。もしそこに誰かいたとしたら、その人はとんでもない惨事に巻き込まれていただろう。 マリリンの言葉を聞いた新兵たちは、このとんでもない一日の疲れを癒す一杯の酒に向い、なりふりかまわず――つまり、また、自分がなにを着、何を履いているのかさえ忘れ――突進した。その様相は――女らしさなどかけらもない――荒れ狂う奔流となった。その巨大なエネルギーは、一人の女装初心者を「彼女」のそびえるヒールの上から滑落させ、弾き飛ばしさえした。 もちろんサンディも、彼ら同様、すぐにでも酒を口にしたかったのだが、その混乱に身を投じる前に、ふと気になって、少佐の方に目をやった。と、マリリンはまた、その美しく魅惑的な顔を台なしにしてしまうしかめっ面を浮かべ、新兵たちを見ていた。 その姿に、サンディは、自分たちが、いついかなる時も観察され評価されているのだということに気がついた。 そして、それに気づいたことで、真っ赤な唇に切なげな微笑を浮かべながらも、渇きを抑えこんだ。 伏し目がちにしばたかせた長いまつげの間から、悲しげなあきらめのまなざしがのぞいた。 目の前の混乱がおさまるまで待つしかないと思い、ついたか細いため息(それはおおよそコルセットのせいだったのだが)に、紗のようなローブが揺れ、その中の華奢な体をほのめかした。 意図的というより、心の内が素直に表れた結果、醸し出されたそんな繊細で女らしい姿は、周囲に衝撃的なほどの魅力として映った。 プロ並みのメイクと、豊かな黒髪のかかる魅惑的なローブ、そこに、そんな悲しげではかなげな印象が加わることで、サンディの姿は、悲惨な運命に涙するヒロインにさえ見えた。 ほとんど反射的に、部屋にいた二人の白服のウエイターが駆け寄ってきた。 「お嬢さん、なにか、お飲み物でも?」 先に到達した方が、悔しそうなもう一人を抑え込むように声を掛けてきた。 この男たちは、訓練生が女装者であることはわかっているはずだ。今、バーの前で大混乱を演じている彼らの多くは、まだとても女には見えないし、また、これらすべてのことが、訓練プログラムの一環として行われていることも事前に聞かされているにちがいない。 にもかかわらず、サンディのか細く、はかなげな女らしさが、彼らの男としての本能を突き動かした。この繊細な花に、手をさしのべたい。そんな思いにかられ、二人の男は先を争うように駆けつけたわけだ。 その熱意の込もった申し出に、おどろいて我に返ったサンディは、思わず彼らに微笑みかけていた。と、その微笑みが、さらに彼らの熱意を燃え上がらせたように見えた。 それで彼女は、自分で取りに行くつもりだったビールを頼もうとした。しかし、そこでまた、マリリンとコンスタンスの方をちらりとうかがい、ビールの代わりに――やさしい口調で――白ワインを注文してみた。 声を掛けてきた方のウエイターは、うれしそうにうなずき、バーまで行くと、サンディと同様の服は着ていても同様には魅力的でない他の訓練生たちを平然と押しのけ、すぐにワイングラスを運んできてくれた。 女であるということはこういうことなんだと、何かが見えた気がして、サンディは、もう少しの間、この役を演じつづけてみようと思った。 それで、ワインを受け取りながら、ウエイターの目をじっと見つめ、そのあと、うつむき気味に視線を落とし、誘うように、長いまつげをしばたかせた。 「ありがとう、うれしいわ」 ワインを差し出したウエイターのゴツゴツした手を、指の先でそっと撫でるようにしながら、やさしい声音で言ってみた。 と、ウエイターの頬は、瞬く間に、どんな熱病にかかったよりも赤く燃え上がった。そして、返礼の言葉さえままならない様子で口ごもった。もじもじと前後に揺れているのは、立ち去りがたい魅力の前に動きがとれなくなっているらしい。 やっとのことで顔を上げ、サンディと視線が合うと、今度は、そのエメラルドのきらめきに魅入られたようだ。ぺこんと頭を下げたあとも、完全には向きを変えることなく、彼女の方に目を向けたまま離れていった。おかげで、危うく小さなテーブルにぶつかりそうになり、それをよけたところで、今度こそ、ヒールのせいでよろめいてきた訓練生の一人と激突した。 サンディは、彼がよろけて転ぶところまで、うれしげな微笑みとともに見届け、そのあと、平然と向きを変えた。慣れない圧迫に疲れた足を休めさせるため、ソファに腰掛けようと思ったのだ。 と、そこへ、今のミニドラマの一部始終を見ていたらしいマリリンとコニーがやってきた。サンディはふたたび、二人との本質的にプライベートな(※)会話に加わることになった。 (※訳注 原文は“essentially-private” 一見、「職務を離れ、うちとけた」という表現に見えるが、‘private’には「兵卒」「二等兵」という意もあり、「本質的には一兵卒としてでしかない」という正反対の意味にもとれる) 「あなたの今のふるまい、完璧だったわ」 マリリンは、感心したように言った。 「ありがとうございます。マ‥‥マリリン」 「それも、完璧よ。『マーム』なんて呼ばれつづけてたら、ほんとにおばさんになってしまいそうだもの(※)」 (※訳注 “ma'am”は本来“madam”がつまったもの) 少佐は微笑みながらそう言うと、その緑の目をした新兵の手をとって、安楽イスのある一画へと導いた。 マリリンは、確信した。 どうやら自分たちは、この作戦にとって最良の人選をしたようだ。サンディには、必要な技能を修得するためのすぐれた資質がそろっている。あとは、その資質を伸ばすための最適な環境さえつくってやれば、自らやる気を出し、さらに変わっていくだろう。 訓練生のうち何人かは、厳しく追いつめなければならないし、そのうち何人かは――ドナのように――ふるい落とすことにもなる。しかし、サンディにそんな脅しは必要ない。そんなことをしなくとも、彼女はベストの力を発揮するにちがいない。彼女の場合は、評価してやることで訓練を完遂させられるはずだ。 「それで‥‥」 安楽イスに座ったところで、マリリンは話をつづけた。 「あなたの、第1日目の感想は?」 「まだ、どう考えたらいいか、よくわからなくて‥‥」 サンディは、まず、正直にそう言った。 「昨日、初めて女性化訓練の話を聞いた時も、こんなふうだなんて想像してなかったし‥‥。だけど、どうも、ぼ‥‥あたしは、これをいやだと思ってないんです」 そのブルネットの娘は、おどろくほどの率直さで司令官に――というより、むしろ自分自身に確かめるように――心の内を吐露しはじめた。 「‥‥っていうか、ちょっと気に入ってるみたいなんです。もちろん、これまで、こんなことをした経験なんてありません。それに最初は、目まぐるしくことが進んで、ただ、それに振りまわされてるだけでした。でも今は、けっこう、自分から進んでやっています。というか、楽しんでるんです。たとえばさっき、あのウエイターに気の毒なことをしてしまったときも、ただ笑いかけるだけで彼があんなふうになってしまうことを面白がってました。これまで、自分にそんな力があるなんて、考えたこともなかったから。そりゃ、男の人をあんなふうにからかうのは、よくないと思うけど‥‥、でも‥‥ワクワクしました」 「つまりあなたは、あの男に、性的魅力を感じたってこと?」 コニーが、ちょっと意地悪そうな顔で、直截な言葉をぶつけてきた。 「そんな!」 あわてて否定したところで、サンディは、もう一度自分の気持ちを確かめるように沈黙し、そして言い直した。 「少なくとも、そんなつもりはありませんでした」 「つもりは、ともかく‥‥」 コニーがさらに追及してきた。 「あなたのものは、興奮してたんじゃない?」 「‥‥え、ええ、マーム」 単刀直入な質問に対し、サンディはまた、正直にそれを認めた。 「でも、それは、あの時だけじゃなくて、メイクして長い髪になった自分を鏡で見たときから、ずっとなんです。どうしてなのか、自分でもよくわからないんだけど‥‥」 「ふふ、心配しなくても、だいじょぶよ」 マリリンが、なだめるように言った。 「それは、じゅうぶんに予測してたことよ。この作戦には、どうしてもそんな精神的混乱がつきまとうんでしょうね。あなただけじゃなく、あたしたちすべてにとってね。だいじょぶ。あなたは、想像以上にうまくやってるわ。私は、今ここにいる新兵の中で、あなたがいちばん有望だと思ってるの。少なくとも、今のところはね。迷うことなく、そのままつづけて。そうすれば、あなたは、私たちの作戦にとって欠かすことのできない存在になれるはずよ。そのワインを飲み終わったら、ダイニングルームに行っていいわ。夕食の用意ができてるから。今日の課程はこれで終わり。あとは、くつろいで」 その言葉とともに、マリリンは立ち上がった。もちろん、忠実なコンスタンス(“constant Constance”)もそれに従った。そして二人は、サンディほどにはいい成績をあげられなかった他の訓練生たちの間をまわりはじめた。 彼らが去ってちょっとしたところで、ダイニングルームに行こうと、サンディも席を立った。 ところがそこで、薄いローブのすそがしわくちゃになっているのに気がついた。しかも、後ろ側がお尻の丸みに沿って、まくれ上がったようになっていた。彼女はあわててそれを引っ張り下ろしたが、シワのクセがついているせいで、なかなかもとの長さまでには下りない。 どうやら、どこかに座る前には、お尻に手を添え、すそをなでつけるようにしなければいけないらしい。 サンディは、またひとつ、女であることを身につけた。 まだワインは残っていたので、それをすすりながら、サンディはぶらぶらとダイニングルームへと向かった。 これは、サンディにとって、今朝起きて以来、初めて気の休まる時間となった。なにより、ひとりきりになれたのは、これが初めてだ。 ダイニングルームに入ると、そこに見晴らしのよい大きな窓があったので、サンディはそのそばに立って、景色をながめた。昨夜はまだはっきりしなかったが、やはりこの基地は、どこかの山中に造られているようだ。 サンディたちが今いる建物は――典型的な軍の施設とはまったく異なり――、目の前の景色にふさわしいリゾートロッジといった造りだった。しかし、窓の外には、明らかにそれにはそぐわないものがいくつか見えていた。たとえば、ちょっと離れた場所には高い二重のフェンスがめぐらされている。そして、そのどちらにも、最上部に、触れただけで身が切れそうなレザーワイヤーが張られているのだ。 何人たりとも、許可なしには基地内から出られないのだろう。要するにここは、この世で最も快適な牢獄というわけだ。いくら快適でも、牢獄である以上、命令を拒否する権利はないのだ。 ふと気がつくと、二人の訓練生が、廊下を近づいて来るのが見えた。おそらく、あの司令官ペアから――サンディに次いで――合格が出たのだろう。 考えてみれば、これまで仲間とともにいる時、サンディは、ほとんどマリリンやコンスタンスと話していた。だから、同僚の訓練生たちとはまともな会話を交わしていない。 こちらにやって来る二人がすでに親しげに話しているのに気づいたサンディは、自分の方から意識的に近づいていかないと、彼女たちから仲間はずれにされてしまいそうな気がした。それで、明るい微笑みを浮かべ、入口の方に向き直った。 そして、入ってきた二人のうちの一人が、例のジェイミ・フォックスであるのがわかると、すぐに二人に歩み寄った。 実際の女性たちの集団では――ことに、美人ばかりがそろっているような集団ではなおさら――、その中で最もかわいい子(少なくとも、そういう自意識の強い子)を頂点とする、嫉妬の感情に基づく序列ができてしまうものだ。そして、多くの場合、そんな序列は二系統でき、お互いにいがみ合ったりもする。 しかし、ここに集められた「女の子」たちは、これまで属していた社会の序列としては最下層にいた男(というより少年)たちだ。背が低くて、やせっぽちで、スポーツで華々しい活躍ができるわけでもなく、男という基準から見ればけっしてハンサムとも言えない。新兵たちはみんな、ずっと、他人から注目されたいと願ってきた。ことに、女の子たちから注目されたいと切望していた。フォックスにしたところで、友達としては、もっと女の子たちと仲よくなりたいと思っていたにちがいない。 だから、仲間のうち最も美人で、しかも、どうやら少佐のお気に入りらしい子が近づいてきたとしても、それを拒絶する理由などなかった。サンディが投げかけた笑顔に、二人は即座に笑い返していた。 「ねえ、ジェイミ。あなたのお友だちを紹介してよ」 サンディは、そう話しかけた。 「キャロル・スティーブンソンよ。こっちはねえ、サンディ・ビーチ、‥‥ふふ」 ジェイミは、「サンディ」という愛称が姓とともに紹介される時、その駄洒落(※)に相手が笑い出すきっかけとなる、くすくす笑いを忘れなかった。 (※訳注 綴りは“Sandy Beech”だが、音だけ聞くと“sandy beach”=「砂浜」に聞こえる ふつうなら「サンフォード」の愛称は「サニー」となるはずが、「サンディ」と呼ばれていたのも、そもそも、そんな語呂合わせがあってのことだろう) 「キャロル、サンディは、ぼ‥‥あたしと同じ連隊から来たのよ」 キャロルは、サンディより背が高い。だいたい5フィート10インチ(約178センチ)くらいだろうか。ここに集められた「女の子」たちの中では、まちがいなく高い方だ。彼女の髪‥‥というかウィッグは燃えるような赤毛で、メイクインストラクターがチャームポイントとしてわざと残したらしいそばかすとよく似合っていた。ただ、サンディは――けっして意地悪い見方などではなく――、その鮮やかな赤毛には、自分同様、グリーンの目の方が合う気がした。彼女のは「ただの」きれいに澄んだ青い目だったのだ。 とはいえ、サンディだけでなく、あとの二人も、まちがいなく美人に見える。どこに出てもじゅうぶん女として通用するだけの、メイク技術をマスターしたようだ。 そんなお互いの顔を見て、それぞれが身につけたメイクテクを知りたくなった三人は、本物の女の子どうしのようなおしゃべりを始めながら、近くのテーブルまで――もう、ハイヒールを意識することもなく――歩いた。 テーブルに着く時、サンディだけは、お尻に手を添え、ローブのすそをなでつける仕草をしていた。と、あとの二人もすぐそれに気づいたらしく、あわてて立ち上がり、もう一度、「正しく」座り直した。 しばらくおしゃべりしていると、ディナーの最初の料理が運ばれてきた。 三人とも、胃が圧迫された状態ではたくさん食べられないことをすでに学んでいた。だから、通常の半分のサイズの魚料理が出た時にも、サラダには手をつけないでおいた。その判断が正しかったことは、メインディッシュとしておいしそうな音を立てるフィレ肉のステーキが出てきた時に証明された。とはいえ、その量も、かつての「彼ら」なら、とても満腹にならないと文句を言っていたものだろう。でも、「彼女たち」には、これでちょうどよかった。 彼女たちが食べ終わるまでに、残りのメンバーも順次そろい、最後に、マリリンとコンスタンスに連れられて二人の新兵がふらつきながら入ってきた。 ふらついているのは、どうやら足取りだけではなさそうだ。ハイヒールを履きこなせていないばかりでなく、メイクの方もとても成功しているとは言えない。つけ加えれば、彼らは、さっきのバーの混乱で力を使い果たしてもいた。コンバットブーツでならまだしも、細いヒールでは、真っ直ぐ歩けるだけの気力は残っていないのだろう。 手を添えて彼らを席に着かせながら、マリリンが浮かべた例のしかめっ面は、その席と他のメンバーの席との間に明確な境界線を引き、彼らを「男らしさ」の側に追いやったことを示していた。 サンディは、この訓練プログラムから、また、少なくとも二人以上の脱落者が出たことを悟った。まだ、1日目だというのに。 少佐とそのパートナーは、自分たちの席に着く前に、三人の優等生の席に近づき、もう一度、祝福の言葉をかけた。 「サンディ、キャロル、ジェイミ、今日はがんばったわね。食事は、どうだった?」 「はい、とってもおいしかったです。マ‥‥マリリン」 サンディが答えた。べつにそう決めたわけではないのだが、ごく自然に、美人トリオのリーダー役を果たしていた。 「なにか他に、注文したいことはある?」 コンスタンスがきいた。彼女の実際の任務がどうあれ、少佐との取り合わせでは、事務担当士官という役割になるのだろう。 「いえ、マーム」 サンディは、そう言ったあと、つけくわえた。 「この靴とコルセットを脱ぐ以外には」 「そうよね。あと少しよ」 マリリンはそう言って、くすっと笑った。 そう、少佐はくすっと笑ってみせた。ハッとするほどの女っぽい仕草とともに。 それが訓練によって獲得されたものであることを、すでに三人は知っていた。 その姿は、どんなレクチャーよりも雄弁に、今後、彼女たちが学ぶべきことの多さを語っていた。 マリリンがうれしそうな笑顔を向けているにもかかわらず、三人の新兵は、始まったばかりのこの変身の、残りの過程を思い、深刻な顔になった。 「食事がすんだなら、このロッジのどこを見て歩いてもかまわないわ。ただし、まだ外には出ないでね。もちろん、そのまま部屋に戻ってもいいのよ。就寝時間も特に決めてないから、いつ寝てもいいわ」 マリリンは、最後にそう告げた。 まだ眠たくはなかったが、コルセットとハイヒールはすぐにでもとりたかった。席を立った美人トリオは、三人とも自分の部屋へと直行した。 部屋に戻ると、サンディはまず、インストラクターがいないか見まわした。でも、室内には誰もいなかった。 それで、バスルームに行ってさし迫った用を足したあと、今着けているものをどうやって脱ごうか考え込んだ。とても、一人ではできそうになかったのだ。とはいえ、この足の痛みでは、インストラクターを探してロッジ内をうろつきまわる気にもならない。 すぐに、他にひとつ、よい方法があるのを思いついたが、それもやはり、気がすすまなかった。 しかたなく、エメラルド色のローブを脱いだあと、靴のアンクルストラップをはずそうと、体を折り曲げた‥‥というか、折り曲げようとした。しかし、コルセットのせいで、彼女の手は、その小さなバックルのはるか手前までしか届かなかった。 論理的に考えれば、先にコルセットをはずせばいいということだ。 そう思ったサンディは、鏡の前に後ろ向きに立ち、背中に手をまわしてひもの結び目をまさぐった。ところが、何度やっても、その結び目の構造がよくわからなかった。 結局、気がすすまないとしても、最初に思いついた方法をとるより他に手はないと、サンディは覚悟した。 もう一度ローブを羽織り、部屋を出ると、サンディはジェイミの部屋へと向かった。 おずおずとドアをノックしたあとも、なんだか落ち着かなかった。 と、返事もなしにドアが開き、サンディは、「かれら」の一人と、二人だけで顔を合わせることになった。 「あの、お願いがあるんだけど‥‥」 サンディは口ごもるように言った。 「靴とコルセットが、どうしても一人で脱げなくて‥‥。手伝ってくれない?」 「うん、こっちも」 ジェイミは、そう返事しながら、サンディを招き入れるように後ずさった。 サンディは、そこでまた一瞬ためらったあと、それに従った。 サンディがナーバスになっているのは見え見えだったから、ジェイミもすぐに気づいたようだ。でも、彼女の方はそんなことには慣れっこになっているらしく、彼女なりにサンディを困惑から救ってくれようとした。 「あたしとふたりだと、落ち着かない?」 ジェイミの側から、きいてきた。 サンディのルビーのような唇から否定の言葉が出かかったが、彼女はすぐにそれをやめ、静かにうなずいた。そして、その深い茶色の瞳と初めて視線を合わせ、ジェイミの次の言葉を待った。 「あたしが、ホモじゃなくてバイだって言ったら、少しは気が楽になる? あたしはね、男でも女でも、誰かと愛し合うのが好きなだけ。キスして、抱きしめ合って、セックスする。そういうことのすべてがね。あっ、すべてって言っても、あたしにだって苦手なことはあるわよ。でも、たいていのことはだいじょうぶ。大人どうしがちゃんと合意して、病気とかも含めて誰も傷つけないことを確認した上でなら、なにをしてもかまわないと思ってるの。あなたは、どう?」 そんな言葉を聞いて、サンディの頬は、超新星の温度ほど、ほてった。その熱で、長い髪が燃えてしまうのではないかと心配になった。うつむいて目を泳がせるばかりで、なにも言えず、ただもじもじしていた。 「あれっ、もしかして、あなたって、まだ‥‥、なの?」 ジェイミは、突然気づいたように言った。 「あ、ああ、そうさ。それがなんだっていうんだよ!」 サンディは、思わずけんか腰で答えていた。もう、女らしい言葉づかいなどにかまっている余裕はなかった。 「ちょっと待ってよ」 ジェイミは、そんなサンディを落ち着かせようとした。 「あたしは、それが悪いなんて、ひとことも言ってないでしょ。むしろ、それはそれで、素敵なことだって思うわ。いつかあなたにも、好きな人と愛し合うことの素晴らしさを知ってほしいとは思うけど、それは、べつにあせることじゃない」 そうは言っても、じつはジェイミが、童貞である自分を馬鹿にしているのではないかと感じ、サンディは、彼女の顔をうかがった。しかし、そこにそんな影はなかった。代わりにあったのは、サンディのことを全面的に受け入れようとする友情のまなざしだけだった。 サンディは、社会の中で植え付けられてきた偏見というのは、やはり正しくないのだと感じた。少なくとも、すべてのケースに当てはまるわけではないのだと。 そこにいるのは、けっして、反社会的で破壊的な性衝動の化け物のような生き物ではなかった。サンディ同様、とんでもない状況に置かれて戸惑っている一人の新兵でしかない。ちがいよりも、共通するものの方が多いのだ。 ジェイミの顔に、嘲笑のかけらもないことに感謝し、サンディは、笑いかけていた。 「それにね」 ジェイミは、今度はいたずらっぽい感じで笑い返しながら、つづけた。 「もし、あたしが真性のホモだとしたら、今のあなたを襲う可能性はほとんどないわ。むしろ、あなたがあたしを襲う可能性の方が高いんじゃない?」 「そうか」 サンディも笑いながら言った。 「たしかにね。あたしたち、今日一日で、とても男だとは思えないくらいになっちゃったもんね」 「あたしたち?」 ジェイミが、からかうようにつづけた。 「全員の中で、いちばんかわいい女の子になっちゃったのは、あなたじゃない」 その言葉に、サンディはまた顔を赤らめたが、今度は、さっきよりずっと複雑な感情の入り混じったものになった。 ジェイミの言うとおりであるのは、自分でもよくわかっていた。男としての自分は、それを恥ずかしいことだと思っていた。でも一方で、「いちばんかわいい」と言われたことを喜んでいる自分も、たしかにいた。 そんな二つの思いの間で心が揺れ、サンディは黙り込んだ。しかし、彼女が、思いに沈み込む前に、ジェイミが声を掛けてきた。 「さあ、コルセットをはずしましょ。まず、あなたからね。あとで、あたしの方もやってね」 もう、「かれら」の一人の前で服を脱ぐことに抵抗のなくなったサンディは、ローブを脱いでジェイミに背中を向けた。 ジェイミは、すぐに背中のひもに手をかけ、それをほどこうとしたが、その結び目の構造を理解するだけで、ゆうに1分以上を要したようだ。複雑にからみ合ったひものほどき口を探し、それをどう引っ張ってどこに通したらいいのか、彼女は、まるで彼女の中のコンピューターをフル稼働するという感じで、手を動かしていた。 しばらくして、やっとひもが緩んできたようで、コルセットが加えてくる力が弱まった。 サンディが大きなため息をついたので、ジェイミがおかしそうに笑い、それがさらにサンディの――やっと得られた解放感とも相まって――心からの笑いを誘った。 そこに生まれた友情の微笑みとともに向き直ったサンディは、指をくるくるとまわし、次はジェイミが背中を向ける番であることを伝えた。 今度は、サンディが、その結び目と格闘することになった。たしかにそれは、まるで難解なパズルを解くような作業だった。 と、しばらくしたところで、なにか気づいたようにジェイミが叫んだ。 「そうか、これも訓練プログラムのうちなんだ」 「あん? なんだって?」 結び目を解くことに集中していたサンディは、あまり女らしくない口調で聞き返していた。 「その結び方、どう考えても、そんな必要ないくらいにややこしくなってるでしょ」 「え? うん」 サンディが返事をすると、ジェイミはつづけた。 「もともと、一人じゃほどけないようにしてあったのよ。あたしたちが、お互い協力し合わないと脱げないように、わざわざそんなふうに結んだんだと思う。他の子たちも、それに気がついて、力を合わせてるといいけど」 「たぶん、そうね。でも、ちょっとじっとしててくれる? あと少しで、あたしもそれを確信できそうだから」 最後の結び目をほどきながら、サンディは言った。 やがて、ジェイミもまた、大きな安堵のため息をついた。さっきと同じように、それがお互いの笑いを誘い、二人は声を合わせて笑っていた。 「これで、靴の方は、自分でできるよね」 ジェイミが言った。 「うん、ありがとう。ジェイミ、また明日ね」 サンディは、実際、明日の朝、ジェイミにまた会えることを楽しみにしながら言っていた。 もしかすると、これが、今日サンディが学んだ最大のものだったかもしれない。 chapter 4 Trapped? chapter 5 Tragedy! chapter 6 Tranquil? chapter 7 Trance? chapter 8 Trail's End? chapter 4 Trapped? ‥‥仕掛け? 翌朝、心臓の鼓動と同期するように繰り返す鋭いノックの音が響いたとき、ビーチは一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。 これまで彼が暮らしていたスパルタ式兵舎のイメージに、エレガントで女っぽい部屋の映像が重なり、少しずつ現実感が戻ってきたところで、やっと、そのノックに返事をした。 と、キャシーが入ってきた。 「起きる時間よ。お嬢さん」 でも、今朝のビーチには、まだ「お嬢さん」という感覚は戻っていなかった。 ウィッグは、ビーチの頭にではなく、専用の台の上にかぶされていたし、顔のメイクもきれいに落とされていた。 昨夜は、教えられたとおり、クレンジングだとかモイスチャーだとか、さまざまなスキンケアをし、他にも、寝るまでの間にあれこれをした。 ただ、パジャマはまだ支給されていなかったので、昨日のエメラルド色のパンティだけで寝ていた。そのことが、若い女性のインストラクターの前で、ベッドから出るのをためらわせた。 「なに、もじもじしてるの? 早くしなさいよ」 キャシーは、笑いながら言った。 「私は昨日、それ以上のものを見てるでしょ。今朝は、シャワーは後まわしね。その前に、ワークアウトがあるから」 そう言われ、急いで用を足して戻ってくると、そこに、黒いタイツとエメラルドのレオタードが用意されていた。 着たことはなくても予想できないではなかったその衣装を身につけたビーチは、キャシーについて部屋を出、玄関へと向かった。 ロッジの近くにある運動場らしい場所まで行くと、そこに、それぞれのインストラクターに連れられた他の訓練生たちも集まってきた。その数は、やはり六人に減っていた。 その運動場は、青々とした芝生に覆われていたが、あちこちに、マットとエアロビクス用らしいステップが置かれていた。 すぐにストレッチが始まり、マットの上に寝かされた訓練生たちは、腕、肩、首からはじまって、体中の動くところはすべて、インストラクターたちに筋肉を伸ばされた。 「いい? みんな」 どうやらこの課程のチーフインストラクターらしい女性が呼びかけた。 「みんなは、今後、美しい女性にふさわしい、しなやかで優雅な体をつくらなきゃいけないのよ。甘く見てたら大まちがいよ。とにかく、ベストをつくして。そうすれば、痛みを感じる期間も短くてすむわ」 ‥‥痛み? 訓練生たちは首を傾げたが、その警告が嘘でなかったことは、すぐにわかった。インストラクターたちが筋肉や関節にかける力が、次第に強まってきたのだ。 この準備運動らしいものの間、訓練生が硬く緊張した筋肉をリラックスさせようとすればするほど、それに応じるように、さらに強い力がかけられていった。容赦ないインストラクターたちによるこの強制的なストレッチに、訓練生たちの筋肉は、すぐに悲鳴を上げた。 「オーケー、みんな立って」 やっとのことで、チーフインストラクターが命じた。 彼女をはじめ、インストラクターたちはみんな、いかにもという感じの均整のとれたブロンドだ。このチーフインストラクターもきっと、アシュリーだとかアンバーだとか、そんなしゃれた名前がついているにちがいない。 この訓練が、そんな女性向けエアロビスタジオのステロタイプをなぞったものであることは、彼女がリズムボックスのスイッチを入れ、その音楽に合わせてカウントしながら、訓練生たちに跳んだりはねたりさせはじめたことでさらに明らかになった。 ただし、その内容は、エキササイズというより、どちらかと言えばダンスに近いものだった。インストラクターたちは、筋肉の硬さをとること以上に、動きのぎこちなさを指摘し、より優雅な動きをすることを要求してきた。 しかし、それにもかかわらず、そして同じ運動をしているインストラクターたちが涼しい顔をしているにもかかわらず、訓練生たちはすぐに汗だくになっていた。これでは、とても、この課題をクリアしているとは言えなかった。この訓練は、均整のとれたボディをつくるとともに、作戦上必要となるはずの激しい運動下でも汗をかかない体質をつくることにあった。そんな目標を達成するには、まだ先は長そうだ。 ちょっとうんざりするほどの時間の後、アンバー(それともアシュリー?)は、やっとそのエキササイズの終わりを告げ、訓練生たちに、基地内の数百ヤード離れた場所まで移動するように指示した。 訓練生たちだけで歩き、言われた場所に到着すると、待っていたのは、ここに来て以来初めて出合う男のインストラクター――というか、少なくとも、はっきりそれとわかる男性――だった。 びっしりと生えた口ひげを蓄え、身長6フィート(約182センチ)以上あるその男は、一辺20フィート(約6メートル)の大きなマットの中央に仁王立ちしていた。 「おう、やっと来たか、おとこおんなども」 その口調に込められた軽蔑と嘲笑は、やはり、ここへ来て以来初めて出合うタイプの人物像だ。 「俺は、お前らに武道を教えることになってる。名は、エル・スプレモ。少なくとも、お前らの前ではな。銃とかナイフとかなしに、いかに敵を倒すか。それを教えるのが俺の仕事だ。最初に言っとくが、俺のやり方は汚いぞ。マリリンは、この1年間、大きなケガをさせることなく、お前らを鍛えてやってくれと言った。まあ、結果としてということだな。つまり、1年で治るようなケガなら、かまわないってことだ。それにな、俺のクラスを卒業できる唯一の道は、俺を倒すことだけだ。ところが、どう見ても、お前らのうちで俺を倒せそうなやつはいない。つまり、この1年間ずっと、俺は、お前らをいたぶってやれるってわけだ。さあ、かかってこい。最初は、どいつからだ?」 もちろん、自分からやられにいくような人間は誰もいなかった。 ビーチは、腹立たしい思いで、そのインストラクターを見つめていた。 彼が習った合気道の師範をはじめ、すぐれた武道家たちはみんな、武道がめざすのは暴力でなく、迫り来る危険を平和的に解決するためだと教える。この「エル・スプレモ」のキャラクターは、そんな精神とは正反対だ。 異端としか言えないその考え方は許しがたかったが、しかし一方で、怒りをぶつけるには、その大男のふてぶてしく自信満々な態度は恐ろしすぎた。 この武道のクラスが、けっして楽しいものにならないのは、明らかだ。 そう思いながら、ふと見ると、マリリンとコンスタンスが、まるで偶然通りかかったとでもいうように、近づいてきていた。 さらに目を移すと、訓練生の中には、ビーチ以上にそのインストラクターを恐れ、すでに青ざめた顔でがたがたとふるえている者もいた。 ビーチは、このチームメンバーのことを、ほとんど覚えていない。ここにいるということは、昨日のハイヒールとメイクの課題をパスしたということだろうが、印象に残るような、さしたる特徴がないのだ。彼の髪はありきたりの茶色で、着ているレオタードも、残っている訓練生の中では最も多い薄いバラ色だった。 と、恐怖に耐えられなくなったのか、その訓練生が、最初はゆっくりと、そして次第に速く、頭を振り始めた。 「‥‥い、いやだ」 初めのひとことは小声だったが、それはすぐに大きな声になり、最後は叫びに変わった。 「もう、いやだ。僕は、わけもなく殴られるなんて、いやだ。僕は‥‥僕は‥‥監獄に入ったつもりはないぞ。もう、こんなこと、ごめんだ!」 その若者は、チームの他のメンバー同様、やせていて背が低かった。そして、弱々しく見えた。でも、その外見の印象は、なにより彼の内面の弱さが表れたものだったようだ。 彼はますます泣き叫ぶように、否定の言葉を繰り返した。 と、すでに近くまで来ていたマリリンが、つかつかと歩み寄り、これまで一度も聞いたことのない強く男らしい声を張り上げた。 「気をつけぃ!」 一瞬にして、そこにいた全員が(興味深いことに、例のインストラクターまでもが)、直立不動の姿勢をとっていた。恐怖に激しく体を揺すっていた少年も、その号令にぴたりと動きを止め、叫び声もやんだ。 そのまま、彼が自分を取り戻すまで待って、マリリンは、その肩を軽く叩いた。そして、そこで向きを変えると、やさしく女らしい口調に戻り、言った。 「今日の非武装戦闘訓練は、もう少し後まわしにします。ついてきて。‥‥あっ、休め。ちょっと、ぶらぶら歩きましょ」 そう言うと、彼女は歩き出し、基地内の施設をとりまく森の中に入って行った。新兵たちは、不安を抱えながら、そのあとに従った。一人が陥ったパニック状態は、多かれ少なかれ他のメンバーの心を動揺させ、彼らは、まるで次の爆発を待つ地雷原を歩くように、森の中の小径を進んだ。 マリリンとコンスタンスは、いかにも無関心を装いながら、そんな彼らの行動や表情ひとつひとつに注意を払い、いつものように評価しているらしかった。 まるで散歩でもするように十分ほど歩くと、そこに、二重のレザーワイヤーつきフェンスが現れた。基地の外周をとりまいているものではなく、それ自体がひとつの囲いとなり、その中に、昔ながらの兵舎と小さな運動場、その他ちょっとした施設がある。 見るかぎり、出入口はひとつしかなく、そこに、あのヘリコプターのパイロット以来初めて見る正規の軍服を着た見張りが立っていた。 そのゲートのところまで行くと、マリリンは歩をとめ、メンバーの方に向き直った。 「ここは、訓練についてこられなかった人たちの来るところです。私は、脅しとしてここを見せているわけではありません。むしろ、みなさんへの約束として見せています。ここは、けっしてひどい環境ではありません。前にも言ったように、機密を漏らした者には重刑が課されますが、ただ単にメンバーから外されただけの人は、ひどい罰が与えられるわけではないのです。そして、ここは、厳しい訓練に耐えられない人の唯一の逃げ場でもあります。訓練を最後までやり遂げるか、それともここか。選択肢はふたつにひとつです。すでに中に入っている人たちと、話してもかまいませんよ」 マリリンは、そう言うと、門番にうなずいてみせた。すると、その兵士が笛を吹いた。 中の兵舎から、三人の兵士が駆けだしてきた。言うまでもなく、カープ・アンダーソンと、あと二人の能力不足と判定されたメンバーたちだ。彼らは、ごくふつうの迷彩服を着ていたが、階級章はついていなかった。 外にいるメンバーが、彼らと話ができるように、マリリンは集団の後ろへと位置を変えた。 最初に声を掛けたのは、ビーチだった。 それは、たぶん、先刻の出来事にまだ動揺している他のメンバーより、いくぶん落ち着いていたからだろう。そしてその落ち着きは、たぶん、彼がかつて、自分なりのやり方で、ワルたちと渡り合ってきた経験によるものなのだろう。 それとも単に、彼がカープ・アンダーソンを知っているというだけだったかもしれない。 ともかくも、彼はフェンスに近づき、声を掛けた。 「カープ、どんな具合だい?」 「ああ、悪かないさ」 カープは、他の二人より一歩前に出て、ちょっと恥ずかしげにうつむきながら言った。 「いや、いいとこだよ、ここは。兵舎は、下士官向けのより立派で、まるでBOQ(※)みたいだしさ。集会室のテレビで、昼日中から好きな映画のビデオだって見られる。ここにいる間、通信教育だって受けていいっていうんだぜ」 (※訳注 “Bachelor Officer's Quater”独身将校向け個室寮) 「で、いったいいつまで、入ってるんだ?」 何人かが口々に同じ質問をした。 と、集団の後ろから、コンスタンスの声がした。 「作戦が完了するまで。それに、作戦の成功が、まちがいないものとして確認されるまで」 金網の中の三人は、その言葉に彼らの陥った苦境を思い出したらしく、ふたたびうなだれた。 外の新兵のうち一人が、今のコンスタンスの言葉に含まれていた意味を、言い直した。 「つまり、ひょっとすると、一生ということだってあり得る」 「ええ」 マリリンが、素っ気なく、しかし明確にうなずいた。 そして、先刻パニックに陥った新兵の方に向き直り、言った。 「入って。着替えは中に置いてあるから」 それだけ言うと、彼女はまた向きを変え、やって来た小径を戻りはじめた。 ビーチは、しばらく立ち止まって、看守が開けた門を入っていく「元メンバー」を見やった。肩を落とし、それ以上に首をうなだれた彼の、タイツとレオタードが、悲しく、かつ滑稽なものに見えた。 マリリンのあとを追いながら、ビーチは、結局、あの少年の名前を――女性名にしろ、本名にしろ――最後まで覚えることはなかったなと思った。 数分後、彼らは、先刻のマットが敷いてある場所まで戻っていた。 例のインストラクター、「エル・スプレモ」はまだそこにいて、精神を集中するとでもいうように「型」を演じながら、時間をつぶしていた。 と、マリリンは、チームメンバーをそこに残し、つかつかと彼のもとへ近づいた。 「よくわかったぜ、このクソ野郎。お前のせいで、大事なチームメンバーが一人脱落したんだ。たとえ、作戦遂行のためにはその方がよかったとしても、お前は、俺に借りができたってことだ」 美しい女装者にはふさわしくない、激しい言葉がその口から発せられた。 マリリンは、今朝、すでにメイクしていたし、カールしたブロンドはもともと長い。タイツとぴったりしたマルチカラーのレオタード姿は、ほっそりした若い女性が、何倍も大きな野獣のような男に挑んでいる図に見えた。 と、男は、その言葉に不敵にうなずき、位置を変えた。 二人はマット中央で向かい合い、お互いの顔をにらみつけるように、試合の体勢をとった。‥‥というか、インストラクターの方はたしかに、両手を腰の少し上あたりに掲げ、脚を前後に開いて身構えた。しかし、マリリンの方は、何のかまえも見せず、ふつうの姿勢で立っていた。 「彼女は、殺される」 ビーチはそう思った。そして、そのことを心配している自分自身におどろいた。 軍隊に入って以来、彼はそんなに多く、士官と接触があったわけではない。一度か二度、演習の際の失敗を見とがめられ、叱責されたくらいだ。彼らが行使する権力を恐れこそすれ、身近に感じたことなど一度もなかった。 でも、マリリンはちがった。自から積極的に兵士に関わり、兵士に要求する技能を自ら高いレベルで身につけ、しかも、正しく、迅速で、揺るぎない判断を下し、意志の強さとリーダーシップを示している。 その姿は、軍人として立派というだけでなく、尊敬に値するものだ。 ビーチは今、マリリンのことを尊敬していることに気づいた。そして、その尊敬は、今目の前で、兵士たちの先頭に立ち敵に立ち向かう姿を見て、さらに大きなものになっていた。 しかし、たとえここにいる訓練生たち全員が彼女を自分たちの代表だと認めたとしても、彼女だけがみんなを代表して痛めつけられてよいはずはない。 彼女の痛みは全員の痛みなのだ。それなのに、自分たちは今、手をこまねいてそれを見ていることしかできない‥‥。 そんな思いが、ビーチだけでなく、訓練生全体を支配した。しかし、次の一瞬、彼らは、そんなことすら考える余裕がなくなった。 エル・スプレモが一歩踏みだし、そのごつい足で、マリリンの頭めがけてまわしげりを食らわせたのだ。そして次には、体を返しながら、マリリンの顔に速い拳を見舞った。 その攻撃だけでも、か細い女装者にとって大きなダメージになったのは明白だった。おそらく、マリリンのあごは、そうとう傷ついたはずだ。 チームメンバーたちは、あえぐような息づかいで、彼らのリーダーが痛めつけられるのを見ていた。そして、そのあえぎは、エル・スプレモが彼女の髪をつかみ、マットの上に仰向けに引き倒した時、さらに大きなものとなった。エル・スプレモは、マリリンの上に覆いかぶさるように倒れ込み、その両手を押さえ込んだ。 ところがそこで、そのごつい男の体が、腰のあたりから持ち上がった。片膝を折り曲げるようにしていたマリリンの細い脚がすっと伸び、男の体を下から突き上げたのだ。しかも、マリリンの足は、通常の巴投げとはちがい、腹に当てられているのではない。その細いヒールが、股間に食い込んでいた。 呆然と見守る兵士たちの上に、エル・スプレモの大きなうめき声が響いた。 股間に当てられたその足を払いのけようと、彼が手を離したおかげで、マリリンの両手が自由になった。すかさず、エル・スプレモの襟首をつかんだマリリンは、次の一瞬、彼の動きを利用する形で、足をさらに上に突き上げた。 と、エルスプレモの体が、もんどり打って飛んだ。 彼の背中が地面に衝突した振動は、きっと国中の地震計に記録されたにちがいない。 その衝撃音に、兵士たちは、エル・スプレモは大ケガをしたかもしれないと思った。しかし、彼が受けたダメージは、その地面との接触だけではないようだった。彼は、両手を股間に当て、彼自身を握りしめ、体を丸めてもだえ苦しみだしたのだ。 彼は息もできずにあえいでいたが、そのあえぎは、股間の痛みから来るのか、それとも「女」にノックアウトされた悔しさから来るものか、よくわからなかった。それはまあ、どちらでも同じようなものだが。 と、そこで‥‥。 マーリン少佐が、マットから立ち上がった。 彼が、いつの間にマリリンからマーリンに変わったのかは、兵士たちにはもちろん、コンスタンスにさえ、よくわからなかったろう。殴られた時にできたらしい顔の傷から一筋の血が流れている以外は、特にその外見に変化はない。にもかかわらず、その姿は、マリリンが女らしいのと同じくらい、男そのものだった。 「これが、この作戦に男を使うもうひとつの理由だ。闘うべき時には闘わなければならない。慈悲や道徳やためらいさえ捨てて。そんな場面に、女らしいやさしさの入る余地などない。必要のなのは、男の、殺人者としての本性だけだ。諸君が、もし、自分にはそんな本性はないというなら、即刻、さっきの施設に移ってくれ。われわれのチームに、そんな人間はいらないからだ」 そして、そこでまた、信じられないような転換が起こった。 今までマーリン少佐が立っていた同じ場所に、次の瞬間には、やさしく微笑むマリリンがたたずんでいたのだ。その微笑みが、唇の腫れのせいで多少歪んでいるとしても、それはまぎれもなくマリリンだった。 その転換は、兵士たちに求められている変身が、けっして外見だけでなく、むしろ内面の変化によってもたらされるのだということを如実に語っていた。今、目の前で見せつけられたマリリンへの変身は、そう理解するしかなかった。 「それにね‥‥」 その微笑とともに、マリリンのやさしい声が響いた。 「エル・スプレモは、まちがってるわ。あなたたちは、必ず、彼を倒せるようになります。もし、彼が、あなたたちにその方法をちゃんと教えてくれないのなら、あたしがもう一度、彼を相手にやって見せます。‥‥わかったな、このゲス野郎!」 最後のマーリンに戻ってのひとことは、もちろん、未だ体を丸めて転がっている男に向けられたものだ。その言葉に、男は力なくうなずいた。 「今日の武闘訓練は、これでじゅうぶんでしょう」 マリリンが、そうつづけた。 「さあ、ロッジに戻りましょ」 兵士たちは、マリリンに従い、リビングルームまで戻った。 ところがそこで、マリリンは、予想外の命令を出した。整列して、気をつけの体勢で立てというのだ。 その号令は、やはりソフトでやさしいものだったが、メンバーたちは、軍曹のだみ声以上に敏感に反応した。 いつの間にか、コンスタンスがノートを取り出していた。彼女もまた、他のメンバー同様レオタード姿で、ポケットらしいものはついていないから、事前にここに用意されていたのだろう。 コニーは、マリリンに寄り添うように、整列した訓練生の前に立った。肌にぴったり張りついた衣服を着ているせいで、訓練生たちの体の線がよくわかった。 マリリンは、列の端に近づき、訓練生一人一人をじっくりと点検するように見ていった。その場で、ゆっくりと一回転させたりしながら観察し、そのあと、コンスタンスになにかささやいた。どうやら、一人一人について、なんらかのジャッジを下し、その内容をコンスタンスがノートに書き込んでいるようだ。 彼らがビーチの前へ来るまでに、マリリンのささやき声が部分的に聞こえてきた。それはどうやら、訓練生たちの成績評価らしい。多くの者が「B」のランクに評価されていた。「B+」だとか「B-」だとか。 ところが、ビーチの順番が来たとき、マリリンははっきりと「C」と言ったのだ。 ビーチは、わけがわからなくなった。 自分はここまで、うまくやってきたはずだ。もしかして、気づかぬ間に、なにか評価を落とすようなへまをしでかしたのだろうか? 彼は、列の端に立っていた(今や、訓練生の数は五人になっていた)から、そこで、マリリンとコンスタンスは、ふたたび彼らの前方中央へと戻った。 「休め」 マリリンは、さっきよりさらに腫れた唇で微笑んだ。 「さて、私はここで、もう一度、みなさんの志願を募ろうと思います。みなさんが、ここまでよくやってくれていることを、私は高く評価しています。ただ、私は、敵地へ赴くチームメンバーの安全が確保されないかぎり、みなさんをその任務に就かせるつもりはありません。また、不安をかかえたまま、作戦を見切り発車させるつもりもありません。だからこそ、次の段階へ進むかどうかは、みなさん自身で選んでいただきたいと思っています。作戦に必要だから強制的に命令するというのでなく、みなさんが納得してくれることが大切だと考えているからです。もちろん、みなさんに要求する以上、私自身も同じようにすることを約束しておきます。そうすることによって、私たちの女性としての仮面劇は、まちがいなく容易になります。男としての生殖機能を維持しなければならないという一点を除いては。つまり、なにが言いたいかといえば、作戦を成功に導くため、私たちは、体に手を入れる必要があるということです。ふたたび元に戻せる範囲内で、少なくとも、将来の生活に困らない程度に」 兵士たちは、いつかそんな話が出るのではないかと心のどこかで予感していたにもかかわらず、マリリンの話に動揺していた。 「チーム全員が乳房と乳首を大きくするためにホルモンを摂取します。とはいえ、作戦の目的からいっても生殖機能を破壊するほど多量に摂ることはできませんから、豊胸手術の助けを借りることになるでしょう。さらに、女性のイメージを強めるため、他にもあれこれいじることになると思います。たとえば、耳にピアスの穴をあけ、唇を豊かにするために若干のコラーゲン注入をする。人によっては、頬やあごのラインに手を加えることもあるでしょう。外科手術については、作戦完了後、逆の手術をすることによって、元に戻すことができます。ホルモンについては、乳首だけは、若干大きい状態が残るかもしれませんが、投与をやめれば、次第に影響は薄れていくでしょう。以前私が『個人的苦痛』と言ったとき、みなさんは、外科手術までは考えていなかったでしょうから、これは、以前の志願とは別の話です。あなたたちには、これを拒否する権利があります。拒否したとしても、チームからはずれてさっきの兵舎に行くという以外、罰を受けることはありません。それが必要であることは、わかってもらえましたね。さあ、先へ進んでもいいという人は、前に出てください」 訓練生たちはまだ整列したままだったが、その動揺をおびえとして感じないのは、マリリンとの距離が以前よりずっと近くなっているからだろう。今、マリリンとの間に残っている隔たりは、まさに志願に踏み出すための一歩分だけだった。 今回も、最初にその一歩を踏み出したのは、ビーチだった。 ビーチには、なぜ自分が、体を改造するなどということに志願できたのか、よくわからなかった。19歳の男‥‥というか少年でしかない彼は、次々に襲うショックのせいで――もっと成熟した男なら当然持っているはずの――自分が誰で何者なのかという観念が揺らいでいるのかもしれない。ただ、今はっきりしているのは、マリリンのチームに加わりたいということだけだった。 彼は、一歩前に踏みだし、これまで以上に胸を張って気をつけの姿勢をとった。その瞬間、短い髪の男がタイツとレオタードを身につけているという違和感さえも消え失せて見えた。 彼の動きをきっかけにして、他のメンバーも動いた。最初に、ジェイミ・フォックスが、つづいてキャロル・スティーブンソンが、そしてもう一人、まだ名前を知らないブロンドの兵士が、前に出た。 ただ一人だけ前に出るのを拒否したのは、やはりビーチにはあまり記憶のないごく平均的な見かけの訓練生だった。 少し間をおいたところで、彼の決意が固いと見たマリリンがうなずいた。彼女の目は、説得できなかったその一人に、出ていくように語っていた。彼は、まわれ右をし、部屋を出て、例の収容施設へと向かった。 これで、訓練生は四人になった。 「よろしい。みなさんの理解に感謝します」 マリリンは、腫れのせいで引きつった笑顔で言った。 「じゃあ、部屋に戻って、シャワーと着替えをしてきてください。みんなが戻ったところで、ブランチにします。ブランチのあと、順に軍医の診察を受けることになります。その間に、私も、あなたたち一人一人と個人面談することにします。コニー、スケジュールをつくっておいてね。‥‥解散」 ビーチが部屋に戻ると、そこに、キャシーとカレン、そしてもう一人のインストラクターらしい女性が待っていた。 まずキャシーが、彼をバスルームに連れて行き、シャワーを浴びさせた。 体を洗っているとき、ビーチは、その脚や胸のなめらかですべすべの手触りに、どこかワクワクするものを感じていた。 なくなった体毛がいつ伸びてくるのかは見当がつかなかったが、中和剤かなにかを使うまで生えないのだと言ったキャシーの言葉がどうやら本当らしいことは、あごや頬を触ってみてわかった。 彼のヒゲは、もともとそんなに濃くはない。陸軍の規定を無視して1日おきに剃っていても、なんの問題も起きないほどだ。しかし、それにしても、ふつうは、剃りあとのざらざらした感じが残るものだ。ところが今は、それすらなく、脚同様になめらかなのだ。 短い頭髪では洗うのに時間がかかるわけでもなく、間もなく彼は、シャワースペースを出た。 と、待っていたキャシーが、昨日と同じローションを使うように言い、そのあと、見たこともない肌色のストラップのかたまりを取り出した。 「いいニュースと悪いニュースがあるわ」 キャシーが、なんだかニヤニヤしながら言った。 「いいニュースは、今日は、ちゃんとした女の子の服が着られるってこと。悪いニュースは、そのために、あなたの男性自身をわからないように隠さなきゃいけないってこと。これは、ガフっていうのね。男性生殖器を隠すためのもの。どうやって使うか、教えるわ。そうとうつけ心地の悪いものみたいね。特に初めて使う人にはね。最初だけはやってあげるけど、明日からは自分でやるのよ」 彼女が浮かべるニヤニヤ笑いは、けっして同情してのものではなかった。そのことがなにより、これまでまだ多少疑っていたビーチに、彼女の性が生まれついてのものだということを確信させた。ことに、その極悪非道の下着を所定の位置に装着された時、確信はさらに深まった。もし、これを一度でも自分で使ったことがある男なら、けっして、こんな無慈悲にはなれないはずだ。 彼の睾丸は体の中に押し込まれ、陰茎は、ガフによって、股の間にがっちりとホールドされた。もし、このまま命を長らえられたとしても、とても勃起はできないだろう。唯一の救いは、それさえはずせは、復活するということくらいだ。 そんなふうに「彼」がしまい込まれたところで、キャシーは、新しいエメラルド色のパンティを手渡し、そのあと、彼をバスルームから連れ出した。 ベッドルームに戻ると、ビーチは、また例のバーにつかまるように言われ、ウエストに新しいコルセットを巻かれた。今度のはどうやら、オーダーメイドのようだ。地の色は、彼のシンボルカラーになっているらしいエメラルドグリーン。それに、白いレースのふちどりがされている。 キャシーは、昨日のコルセットよりさらにきつくひもを絞ったようだが、なんだか昨日のより楽な気がした。押さえつける圧力が、体に沿って均一で、どこか一ヵ所に強くかかるということがないからだろう。とはいえ、それで呼吸がしやすくなったということではない。 ストッキング(また黒の極薄地で、シームが入っていた)や靴(やはりアンクルストラップがついていたが、ヒールは昨日より高かった)は、まだ一人では履けなかった。 最後に、あちこちのよじれなどを直したところで、キャシーの仕事は終わった。 ところが、まだ鏡台の前には連れて行かれなかった。 その代わりに、初対面のインストラクターを紹介された。 「よろしく」 彼女は歓迎の笑顔で言った。 「私は、クリスタル(※)。女性ファッションと、仕草やマナーのインストラクターよ。今日はローブなんかじゃなく、ふつうのお洋服を着ます。しばらくしたら、あなたの個性や体型に合う服をいっしょに選ぶことになるけど、今日は、すべての訓練生が、スカートとブラウスを着ることになってるの」 (※訳注 原文の綴りは‘Kristal’ 頭文字はやはり‘K’) そう言いながら、彼女は、エメラルド色のロマンチックな感じのブラウスを取り上げた。流れるように柔らかそうなそでと、やはりふわっと柔らかな衿がついている。着てみると、ビーチの動きに合わせて、生地が大きく揺れた。 次に、クリスタルは、デニムのミニスカートを手に取った。履いてみると、これもゆったりした感じだったが、そこで、クリスタルがジッパーを上げた。引っかかることもなく上がったものの、そのおかげで、生地がヒップのラインに沿ってタイトに密着した。ことに、きつく絞られたウエストをさらに上から圧迫し、くびれを強調した。 しかし、坊主頭と少年の顔ては、そんな女っぽい服は、いかにも不釣り合いだ。 いよいよ、カレンの出番だった。 とはいえ、メイクの間、カレンはあまり手を出さなくてもよかった。ビーチは、昨日のレッスンをしっかり身につけていて、ほどなく、手の込んだメイクのわりには素肌っぽく見える若い女性「サンディ」が出現した。 ウィッグについては、カレンが丸一日つけていても型くずれさせないケアの方法を教えながら進めた。 今後、訓練生たちが自毛を伸ばすことは明らかだったので、ウィッグをつけることそのものは、さほど重要な技術ではない。でも、自毛を伸ばした時の練習のためにも、日中のヘアケアは、身につけておく必要があるということだった。 すべての変身が終わり、立ち上がったサンディは、インストラクターたちに微笑んだ。 「ありがとう」 彼女は、ソフトな声で言った。 キャシーとクリスタルの二人にとって、サンディが完全に変身した姿を見るのは、これが初めてだった。二人は、ぽかんと口をあけて見ていたが、やがて、お互いの顔を見合わせた。無意識のうちにサンディと自分たちを比較したのだ。 そしてその結果、カレンを除けば、サンディの美しさに対抗できる女性はここにはいないことを認めざるを得なかったようだ。そのカレンにしても、サンディのように豊かな黒髪やくびれたウエストはない。サンディより女っぽく見える点をあえて挙げるとすれば、小柄だということくらいだろう。 二人の顔に、ショックや、それに嫉妬さえ現れたことは、サンディにもよくわかり、彼女はうれしそうにくすっと笑った。 サンディは、カレンをハグし、無言のうちに感謝の気持ちを伝えたあと、きれいにカットされた眉をちょっと持ち上げるようにしてきいた。 「で、次はなあに?」 「‥‥あっ」 やっと驚きから覚めたキャシーが答えた。 「もう、ブランチに行っていいわよ。前へ〜、進め」 その言葉に、サンディが行きかけたところを、クリスタルが呼び止めた。 「私はいつも、ロッジのいちばん奥の自習室にいるわ。他の課題のない時間は、顔をのぞかせて。ファッションについて、いろいろお話をしましょ。それから、あなたのしゃべり方を矯正して、女性らしいおしゃべりも修得しましょうね。今のやさしいしゃべり方、最初にしては悪くないわ。でも、言葉づかいや語尾の矯正は、まだ時間がかかるでしょうね」 サンディは、うなずいて部屋を出た。 食堂に着いたのは、今回はサンディが最初ではなかった。すでにジェイミ・フォックスがいたのだ。彼女はチョコレート色の目と合わせたらしい、濃いワインレッドのブラウスを着ていた。 次にやってきたのは、キャロル・スティーブンソンだった。彼女の顔の特長を活かした薄めのメイクは、昨夜と同様に、最大限の効果を発揮していた。そのロイヤルブルーのロマンチックなブラウスは、彼女の透き通った青い目を活かすものだったが、同時に、その赤毛をさらに燃え上がらせて見せた。ストレートヘアがウエストあたりまであるサンディとはちがい、キャロルの髪は、小さくカールして、衿のあたりではずんでいた。そのヘアスタイルは、彼女に合っている気がした。コイルばねのように好き勝手に動くそのカールは、彼女の気まぐれな性格――本当のところはまだ知らないのだが――をよく表している感じだ。 少しすると、最後のメンバーも到着した。彼女は、ビーチがこれまで見たこともないほどきれいなブロンドだった。驚くほど細身の体が、エレガントな感じを醸し出している。着ているブラウスは黒で、それが、金色の髪を引き立たせ、まるで後光が射しているように見せていた。 すべての訓練生たちは、昨日より高くなったヒールに、ちょっと手こずっているようだった。3インチから4インチに変わるのは、ぺちゃんこの靴から3インチのヒールに慣れるのと同じくらい大変だったのだ。将来履くことになるらしい6インチ(約15センチ)のヒールなど、本当に履きこなせるのだろうか? お互いもっと知り合いたいと思った四人の訓練生たちは、自然に一ヵ所に集まった。 サンディは、まだよく知らないブロンドの女の子に笑いかけ、自己紹介した。 「あたしはサンディ・ビーチ。ごめんね、あなたがいたのは知ってたけど、まだ名前を覚えてないの」 この作戦よりずっと前、初めてサンディと呼ばれた時からはじまったその駄洒落に、金髪の女の子は、やはりくすりと笑い、そのあと、ちょっと恥ずかしそうに目を落とした。 「みんな、あたしの選んだ名前が、らしくないって言うのよ。あたし、本名はスタン・ホワイトっていうんだけど、シャロン・ストーンが好きだから、シャロンってつけたのね。でも、みんな、あたしはシャロンって感じじゃないって」 「そうね、あなたはもっと清楚な感じだから」 キャロルが会話に加わってきた。 「やっぱり、女性名は変えた方がいいかもしれないわね。たとえばねえ‥‥」 全員が、なにか考えはじめたキャロルの方を見た。 そのせいで、四人とも、背後から、マリリンとコンスタンスが近づいてきたのに気づかなかった。 「‥‥こういうのはどう? スタン(Stan)・ホワイトは、若くてもエレガントな、バナ(Vanna)・ホワイトになりました‥‥って」(※) キャロルは、そう言って笑った。 (※訳注 ‘Stan’は‘standard’に通じ、‘Vanna’は‘Van’=‘advance’の女性形 つまり「平凡だった少年が、女性化することで抜群の美人になった」と言っている) 新たに命名されたバナを除く全員がいっせいに笑い出した。と、キャロルやサンディの女の子っぽいくすくす笑いとはまた少しちがう上品な笑い声がそれに加わった。いつもエレガントなコンスタンスだった。 どうやら、バナの名はバナに決定したようだ。サンディは、もうこれで、けっして彼女の名を忘れないだろうと思った。 ブランチが始まった。 今回はビュッフェ形式ではなく、ひとつの大きな丸テーブルが準備され、それを六人全員でかこむものだった。 最初の料理が給仕された。小さな盛りつけだったが、すでに全員が、コルセットによる限界を心得ていた。 ブランチの間、マリリンは、軽いおしゃべりをつづけた。ただ、その中で、どんな場合においても、お互いを女性名で呼びあうことを全員に再確認させた。 マームではなくマリリンと呼ぶことは、彼らの間にざっくばらんな感じをつくりだし、女性士官に対する敬称がつい口を突くようなことも、自然になくなっていった。 この食事は、全員にとって、ここに招集されて以来、初めてくつろいだ時間となった。しかし、驚くべきことは、丸一日と少しの間に、彼らの数が半分になっていることだった。 ブランチが終わりに近づいたところで、コンスタンスが、例の事務担当士官のしゃべり方で言った。 「聞いてくれる、みなさん? 今、ちょうど11時をまわったところです。このあと、12時までは自由時間とします。食後の化粧直しなども、この間にすませておいてください。キャロル、あなたは12時になったら診療所に行って。そのあと、1時間おきに、ジェイミ、バナ、サンディの順で、診察を受けてください。ロッジを出るとすぐに案内標識があるから、それに従って、小径を右側に行ったところね。距離は200ヤード(約180メートル)くらいです。ヒールの練習には、ちょうどいい距離ね。道は舗装してあるから、心配ないわ。同時並行して、マリリンとの面談も行います。場所はラウンジ、つまり、ゆうべカクテルを飲んだ部屋ね。こちらはさっきと逆の順で行うことにします。つまり、サンディ、あなたが最初ってわけね。なにか、質問は?」 「手術は、いつやるんですか?」 バナが聞いた。 「それは、診断次第ね」 コンスタンスは、まずそう答え、つづけた。 「でも、いずれにしても数日中よ」 そのあと、しばらくつづいた沈黙に、それ以上の質問はないと判断し、マリリンが立ち上がった。 チーム全員がそれに従い、すぐに、それぞれの部屋に散って行った。 部屋に戻ってメイクを確かめたが、さほど化粧崩れしている様子はなく、サンディは、そこに小さな魔法を施すにとどめた。でも、それで、サンディの顔は、さらに可憐な花のようになった。 言われた時刻には、ずいぶん間があったので、彼女は安楽イスに腰掛け、痛む足を休ませた。まだとても、ヒールに慣れたとは言えない。この靴で、舗装路を200ヤード(しかも往復)も歩くのは、とても楽しいこととは思えなかった。でも、するしかないのだろう。いずれにせよ、診療所に行くのは最後なのだから、もっと後の話だと考えながら安楽イスに座っているうちに、ちょっとウトウトしてしまったようだ。 ハッとして目覚め、あわてて時刻を確かめた。幸い、髪をブラッシングするくらいの時間はあったので、それを終えてから、サンディは、コルセットとヒールが要求してくる優雅な歩き方で、ラウンジへと向かった。 マリリンは、ひとりで待っていた。 この息を呑むようなブロンドのそばに、コンスタンスの姿がないのは、初めてのことだった。 マリリンは、その腫れた唇のせいで完璧な顔が損なわれ、どこか痛々しい印象だった。 さらに近づくと、そればかりでなく、目の周辺もちょっと腫れているのがわかった。魔法のようなメイクで隠されてはいるが、それがなかったら、きっとアザが見えるのだろう。 安楽イスに腰掛けたマリリンは、優雅に脚を組んでいる。その姿は、やはり女にしか見えない。彼女のスカートは、他のチームメンバー同様、短いのだが、その奥をうまく隠し、しかも、そこにあるはずの禁断の果実をほのめかしさえしていた。 「いらっしゃい、サンディ。時間どおりね。飲みたいなら、なにかソフトドリンクを取って」 むしろ、その提案が、サンディにのどの渇きを覚えさせた。というより、この面談に対する緊張が募ったせいかもしれない。 この面談は、なんのためにやるのだろう? 彼女は、自分はここまで、うまくやってきたと思っていた。それなのに、さっき、マリリンは「C」と評価した。他の子たちは「B」だったのに‥‥。 緑の目をした美少女は、自らの気持ちを立て直すための時間を稼ごうと、バーに近づき、そこにあったソーダを注いだ。しかし、マリリンの前に据えられたイスまでの距離がさほどあるわけでもなく、ほどなく、サンディはそこに座っていた。座る前に、スカートの後ろをなでつけるのだけは忘れなかったが。 「サンディ、まず、今の状況についての率直な感想を聞かせてくれない」 マリリンがきいた。 「どう言ったらいいのか‥‥。信じられないような2日間でしたから」 サンディは言葉を選びながら言った。そして、そのあとしばらく考えるようにしてから、つづけた。 「正直に言って、あたしは今、なにより成績のことが気になってます。最初から悪い成績で、この先1年、やっていけるのかって」 「あなたは、よくやってるじゃない」 マリリンは、ちょっと意外そうな顔をしたあと、つづけた。 「実際、新兵の中であなたがベストだと思ってるわ。あなたに関しては、ここで話そうと思ったのは、そのことだけなんだから。あなたは明らかに、ここの女の子たちのリーダーよ。じつは今夜、夕食の時に、あなたの昇進を発表しようと思ってるの。正式に、あたしとコンスタンスに次ぐ、ナンバースリーになってほしいから」 サンディの驚きが、その表情に表れた。 彼女は、この面談を、彼女に改善を迫るか、それとも、例の兵舎行きを宣告するための、恐ろしい「カウンセリング」としてとらえていた。 それなのに、マリリンは、ほめてくれた。しかも、昇進? その驚きに、サンディは思わず――コルセットが許す限りの――大きなため息をつき、イスにもたれかかった。 「なにか、問題でもあるの?」 マリリンが、心配そうにきいた。 「い、いえ。なにも。ただ、あたしは、あなたを失望させたんじゃないかと思ってたから‥‥」 「えっ、どうして?」 「だって、さっきあなたが、あたしたちに成績をつけてたとき、他の子は『B』って評価してたでしょ。『B+』とか『B-』とか。なのに、あたしは『C』って言われたみたいだから。なにがいけなかったのかって‥‥」 とたん、マリリンが爆笑した。それは、彼女の優雅で女らしい見かけにふさわしくはなかったが、どうしても抑えきれないという感じだった。 その笑いはさらにつづき、最終的に、彼女がテーブルの上のレモネードを取り、そのすっぱい果汁が傷ついた唇に滲みるまでとまらなかった。 なんとか息を整えてから、彼女はやっと話し始めた。 「もお、サンディったら。なんてかわいいの。それは、全然見当違いよ。あたしたちは、学校の先生みたいに成績ランクなんてつけないわ。あれはね、あなたの胸の大きさを決めてたの。あなたは、Cカップのおっぱいを持つことになるのよ、お嬢さん。きっとみごとなプロポーションになると思うわ。他の子たちはたぶん、コニーみたいなエレガント路線から、ボーイッシュな女の子って路線の間の、どこかに落ち着くんでしょうね。みんな、美人にはなれるでしょうけど、スレンダーな美人って感じね。彼女たちの顔や動作を見てると、それが合ってると思うのね。だとすると、バストは、平均か、それよりちょっと小さめでしょ。でも、あなたの場合は、それとはちがうと思うの。どうやら、あなたには、天性の素質みたいなものがあるわ。とっても魅力的なね。だから、あたしたちは、あなたを、チームの中でいちばんプロポーションがよくって、いちばん女の子っぽい女の子にしようと決めたの。ここの女の子たちの中で、誰よりもきれいな曲線とかわいい顔を持つ女の子にね。そもそも、この作戦には、いろんなタイプの女の子をそろえる必要があるの。コンスタンスは、あたしを、ブロンド美人だけど頭はからっぽってタイプにしようと計画してるわ。だから、あたしは今、『お馬鹿さん』に見せる練習を始めてるの。あなたは、またちょっとちがって、近づいてくる男が、一目見るなり夢中になっちゃうようなタイプね。でも、近づいたら最後、飛んで火に入る夏の虫って感じで、男たちは手も足も出せず、身動きとれなくなっちゃう。そんな‥‥ちょっと悲しみを湛えた、けなげな美少女って路線かな。あなたは、この前もう、それを効果的に使ったでしょ。あのウエイターに対してね。サンディ、安心していいわよ。あなたはなんの問題もなく、うまくやってるんだから」 マリリンの、保証するという感じの言葉に、サンディはちょっと気が楽になり、元気を取り戻していた。 それで、自分のドリンクをひとくち飲んだあと、マリリンに恥ずかしそうな笑顔を向け、きいた。 「ほんとに、あたしって‥‥きれいですか?」 「ええ、あなたは今でも、すごい美人よ」 マリリンは、そううなずいてから、つづけた。 「だけど、もっともっと、信じられないくらいの美人になってほしいの。そうだ、あなたのファッションと仕草のインストラクターは‥‥そう、クリスタル、だったわね」 サンディはうなずきながら、いつもコンスタンスのメモに頼っているように見せているマリリンが、じつは、この作戦のすみからすみまで熟知しているにちがいないと感じた。この輝くようなブルーの目の後ろには、きっと高性能なコンピュータが隠されているのだろう。 マリリンは、あのマリリン・モンローがじつはそうだったように、優れた知性を隠し「頭がからっぽな女の子」というペルソナを演じようとしているのだ。 そう考えたサンディは、思わず、古い映画の中で演技するマリリンの姿を思い描いていた。しかし、マリリンが話をつづけたので、あわててそちらに集中した。 「クリスタルに、今あたしが話したイメージを伝えて。あなたがめざすのは、官能的だけどけっして安っぽくはない女の子だって。男が守らずにはいられないと感じるようなけなげさとはかなさをただよわせている。でも、部屋に入ったとたん、自動的にみんなの目が集中するほどの美少女。そんなふうにね。彼女は、きっとわかるはずよ。いずれにせよ、作戦から脱落するなんて心配、もうしなくていいわ。じつは、今の人数がちょうど、当初から予定してたチームの定員なの。あなたたち全員にショックを与えつづけてたのは、チームの精度を高めるために、不的確な人たちをふるい落とす必要があったから。この作戦に必要なある種の願望を持っている人だけを残すためだったの。そう、願望‥‥それが、この訓練を進めていく上で、いちばん重要なことだと思うのね。素質以上にね。残った女の子たちは、みんなそれを持ってるわ。その中でも、あなたはいちばん持ってると思う。ここから先は、あなたが困難を乗り越えられるように、あたしたちはいくらでも手を貸すつもりよ」 「つまりそれは、エル・スプレモも含めてってことですね?」 その言葉に、マリリンの顔つきが、一瞬にして鋭いものになった。 「‥‥あのシチュエーションに、なにか、おかしなものでも感じた?」 サンディは、ふたたび、自分が試されていることに気がついた。 その美しいブルネットの娘は、すこしの間、答えるのをためらっていた。 サンディは、マリリンが彼女の位置づけを話してくれたことで、もうじゅうぶんに満足していた。これ以上、ことをややこしくしない方がいいのかもしれない。 でも、彼女も、それに他の訓練生たちも、今後、さらなる困難に――精神的にも、肉体的にも――立ち向かわされつづけるのだろう。そして、それらを計画しているのは、すべてマリリンとコンスタンスなのだ。 今の疑問は、シンプルな事実を積み重ねて得た彼女の洞察力によるものだった。そんな考えを頭の中でまとめ、彼女は口を開いた。 「ええ、エル・スプレモは、ここに来て以来初めて出てきた敵対的なインストラクターでした。そして、あなたが敵対的な態度をとった唯一の人物でもある。エル・スプレモという名前がつけられていることからして、彼は、あたしたちの仮想敵として設定されてるんでしょ。あたしたちはいずれ、彼がどうしても勝てないほど強いわけじゃないと学ぶことになってるんじゃないですか? もちろん、それは、簡単じゃないんでしょうね。あのぶ厚い唇は、かなり不気味だし。でも、スーパーマンってわけじゃない。それがわかったら、戦い方も見えてきます。といっても、まだ今のところ、やっぱり恐ろしいですけど。もちろん、あなたのアクション(※)を見てて、あなたもそうとう恐ろしい人だと思いましたけどね」 (※訳注 格闘の「アクション」と「行為・行動」という両方の意味で言っている) サンディが話し終わると、マリリンの顔つきがまた変わった。魅力的なのだけれど、驚くほど空虚な、いわばあどけないという感じの顔になったのだ。そして、こくんと小首を傾げて言った。 「えっ? おそろしい‥‥? あたし、あなたの言ってること、むずかしくて、よくわかんな〜い。だってぇ、あたし、女の子だもん」 その言葉に、サンディは思わず吹き出していた。その馬鹿っぽくて、頭がからっぽな「マリリンのそっくりさん」は、まだ完璧ではなかったけれど、たしかに恐ろしいほど魅力的で、かつ、かわいらしかった。 どうやら彼女は、マニキュアを何色にするかという方を、人生の重大事(※)だと決めたようだ。 (※訳注 原文は“a major life decision”:‘major’には「少佐」の意もあり、「少佐としての決着」とも読みとれる) そのあと、また一瞬にして、彼女の目に鋭いまなざしが戻った。 「たいへん得るところの多い面談でした。どうか、あたしの言ったことを忘れないでください。どう考え、どう振る舞うかということの方が、肉体を変えることなどよりずっと重要なのだということを。それは、お互いにとって、タフな課題となるはずです」 マリリンは、そう言って立ち上がった。 サンディも、彼女とともに立ち上がり、握手しようと片手を差し出した。 しかし、マリリンは手を出さず、その代わりに体ごと前に傾き、サンディをハグすると、頬のそばで「チュッ」と音を立てた。その一連の仕草は、これまでにも増して女性的だった。 サンディはふたたび、彼らのリーダーがすでに獲得している技量の幅広さに舌を巻いた。 部屋に戻りながら、サンディは、これから始まる日々の大変さを思い、小さく首を振った。しかし、マリリンからの激励のメッセージは、与えられた任務にベストを尽くそうという彼女の思いに、ふたたびエネルギーを注ぎ込んでいた。 chapter 4 Trapped? chapter 5 Tragedy! chapter 6 Tranquil? chapter 7 Trance? chapter 8 Trail's End? chapter 5 Tragedy! ‥‥悲劇! 訓練生たちは、単調というにはあまりに多忙な日課の中で日々を送っていた。 彼らは毎朝、ストレッチとエアロビクスのワークアウトをこなし、そのあと、エル・スプレモと対決した。その結果、体のそこらじゅうにアザをつくることになったが、それでも彼らは、自分自身の中に、その悪漢に立ち向かい打ち負かすだけの勇気があるのを見出していた。 この分野では、サンディの合気道の経歴が存分に活かされ、その技量を示すことで、新兵たちのリーダーというポジションを不動のものとした。 彼らはいつも、朝食ではなくブランチをとっていた。つねにコルセットをつけていることで、彼らの胃は圧迫され、多くの食物を摂ることはできなくなっていった。その結果として、そしてホルモン投与の結果として、運動しているにもかかわらず、筋肉のごつごつした感じは消えていった。特に、上半身でそれは顕著なものとなった。 もちろんそれは、マリリンを含めたチームメンバーが、かわるがわる診療所を訪れ、種々の手術を受けた結果でもある。 最終的に、サンディは、約束されたとおり、最もプロポーションに富む体を手に入れた。そして、マリリンがそれに次ぐものとなった。 他のメンバーたちも、それぞれにユニークで、それぞれに魅力的なペルソナを育てていた。 コンスタンスは、本来男である他のメンバーにはおよばない洗練されたエレガンスを持つパーソナリティにさらに磨きをかけていた。彼女の最終兵器は冷たい微笑だ。それは、どんな男をも、一瞬にして、ぶざまな無能力者にしてしまうだろう。 マリリンは、かわいらしさへの想像力を駆使し、頭のからっぽなブロンド娘像を完成させた。彼女は、日常生活では短い音節の言葉しか使わなくなり、ことに「かわい〜」とか「ほんとぉ」とか「すてきッ」とかばかりを多用するようになった。 ジェイミは、ボーイッシュな女の子という路線をとっていた。もともとあった中性的な感じを残したままで、それが、驚くほどの効果を発揮していた。見かけは明らかに女性に見える。でも、髪はショートにとどめ、チームの中でいちばんスレンダーな体をしている。この一見女性であることを拒否したような外見は、みごとに逆転する。彼女は、けっして意図的にそうしているわけではなく、たとえばミッション系の全寮制女子校のようなところで育ち、女とは何なのかをまだ知らないのだという印象を与えるのだ。これは、男の保護者的本能を刺激する。同時に、こんなに無垢な娘なら、男ができることの標準を知らないだろうから、自分が傷つくこともないだろうという安心感をも抱かせる。いわば彼女は、クラシックな温室の中で花開くのを待つつぼみなのだ。ただ、じつは、全員の中で彼女が最も性経験が豊富なのだという事実を、サンディだけは知っていた。 キャロルは、その燃えるような赤毛とともに、不良っぽい女の子という路線を走っていた。すべての会話に性をほのめかす単語がちりばめられ、すべての動きが彼女の新しい体型――それが平均的なものでしかないとしても――を強調する。タイトなミニスカートやネックラインが大きく開いた服を着、ラメのたくさん入ったメイクをしていた。それが、彼女のルックスを、センスはいいけれどカルい女の子に見せていた。つまり、体を売る女ではないまでも、愛の交歓を積極的に楽しむセックス感度の高い女の子に。 バナは、マリリンと同じ青い目のブロンドでありながら、逆にインテリ路線を進んでいた。ふつうよりも高いヒールとシーム入りストッキングを除けば、いつもかっちりした服を選んだ。とはいえ、その下には、レース使いの多いデリケートで女っぽいランジェリーを着け、時として、それをのぞかせるという術も身につけていた。彼女のペルソナは、てきぱきと勤勉に仕事をこなすキャリアウーマン。でも、仕事に没頭するあまり、未だセックス経験はない。そしてじつは、長年それにあこがれている‥‥というものだ。たとえば、家ではいつもロマンス小説を読み、できることなら、明日の朝仕事に行くまでの間、エレガントなドレスに身を包んで強い男に抱かれたいと夢みている。いったん「堅い娘」という防御膜が破られようものなら、何年もの間たまりにたまったファンタジーが一挙にあふれ出す‥‥とでもいうような。 そんな中でも、目を見張るような変身を果たしたのは、やはりサンディだった。 クリスタルの専門的指導のもと、彼女はまず、女性的な仕草や身のこなしを習得した。今、彼女は握手を求められたとき、そのしなやかな手首とともに手の甲を上に向けて差し出す。それは、その手を握ることよりも、そこにキスすることを要求していた。 彼女の服選びのコンセプトは「人の気をひく」ということ。基本的には、スカートは膝上丈くらいで、ネックラインもさほど開いていないおとなしめのデザインだ。ただ、スカートの深いスリットや、ブラウスの胸元のレースなどから、呼吸の一息ごと、そよ風の一吹きごとに、隠された宝物がちらりとのぞく。しかしそれは、必ずというわけではなく、しかも、一瞬のことだ。そんな一瞬の悦びを得るためには、結局、男たちはいつも彼女から目が離せない。気になってしかたがない存在になるのだ。 彼女は、それをさらに進め、より女っぽい動きを身につけていった。一歩ごとの腰の揺れは、彼女の完璧なヒップラインを浮き立たせた。一方、それにもかかわらず、長いまつげや、つややかな髪のほつれ毛越しに注がれる視線は、そのエメラルドの輝きとも相まって、慎み深さを印象づけた。 彼女はチームの中で、最も長い間ウィッグを使っていた。彼女自身の髪がウエストまで伸び、それをやめたとき、そこには、にせ物の髪以上の輝きがあった。 また、彼女はボイストレーニングを重ね、明るく音楽的で、聞くものに悦びを与える声を手に入れていた。 もはや専門家の域にまで達したメイクの腕前は、彼女の目をいつもちょっと潤んだように見せ、さらにそれをあどけない印象でふちどった。一見すると15歳にさえ見え、しばらく見ていてやっと20歳前後だと気づくという顔を巧みにつくっていた。 もし、こんな美少女が悲しげな顔をしていたら、男たちは、彼女を助けるチャンスを得るため、どんな遠い国からでも駆けつけるだろう。そして実際、彼女は、悲嘆に暮れている感じを抱かせる、デリケートに口をとがらす表情を完成させていた。 ところが、そんな印象が、ねらいを超えて現実のものとなってしまった。 目標物窃取訓練が始まり、ことに、キーピッキングの訓練が始まった時のことだった。 サンディはなぜかこれが苦手で、与えられた課題をこなすのにひどく時間がかかった。 それに対して、ジェイミは、南京錠でも、手錠でも、ドアの鍵でも、クリップかヘアピン1本あれば、本来の鍵で開けるのと同じくらいの短時間で開けてしまうのだ。 サンディの技術を必要なレベルまで引き上げようと、ジェイミは何時間も練習につき合ってくれたのだが、それでもなかなかうまくいかず、サンディは、こんなことでは、マリリンの馬鹿っぽい見せかけの裏で進行しているはずの作戦計画から、自分が除外されてしまうのではないかと悩んだ。 ことに、全員が爪を伸ばすことになったときには、その悲嘆は、ほとんど絶望へと変わった。 ある晩、そんな思いが募ったサンディは、大きな窓のそばに立ち、外を見ながらしょんぼりしていた。その目には、涙さえたまっていた。と、そこに、マリリンが近づいてきた。 「どうかしたの?」 サンディの落胆した様子に気づいたのだろう。マリリンは、いつもの馬鹿っぽい感じでなく、やさしい口調で声を掛けてきた。 「どうしても、ピッキングが‥‥。その上、これでなんて‥‥」 サンディは、長い赤い爪をかざしながら、とぎれとぎれに言った。 「このままじゃ、チームからはずされるんじゃないかって‥‥」 「心配しないで。あなたはチームの大事な一員よ」 マリリンは、まず、そうなぐさめた。 「他の誰かが自分の役割を果たせなくなった時、その代わりを務めるために、すべてのメンバーがレベル以上の技能を身につけることは必要よ。でも、それは、チームの全員が全分野に精通してなきゃいけないってことじゃない。あなたは、他の分野では人並み以上の力を発揮してるわ。もちろんピッキングも、他の分野同様、ベストを尽くしてほしいとは思うけど、この分野では、あなたに、バックアップという以上の期待はしてないわ。あなたの得意分野で、他のメンバーが、あなたのバックアップにまわるようにね。だいじょぶよ。あなたが困難を乗り越えられるように、いくらでも手を貸すって言ったでしょ」 「ほんとに? あたしはやっていける?」 サンディは、もう一度確認するようにきいた。 「ええ、あなたは、立派にやってるじゃない」 マリリンは、それを保証した。 サンディは、泣き笑いで、マリリンの胸にすがりついていた。それはまるで、姉に甘える妹のようだった。二人の関係は、すでにそんなふうになっていた。 二人の偽りの女たち‥‥というか、女と少女は、しばらくの間、抱きしめ合っていた。 マリリンがちょっと体を動かし、抱擁の終わりを告げたところで、二人は、並んで窓の外をながめた。 そこでサンディは、自分がひどく情緒的になっていたのが恥ずかしくなり、話題を変えるように言った。 「そろそろ、詳しい作戦計画を教えてくれてもいいんじゃない?」 「もう少し待って。作戦を進める上でどうしても必要な情報がまだそろわないの。だけど、べつの秘密計画の話なら、してもいいわね。この週末、あたしたちは外出します」 「えっ? 外出?」 サンディは驚いてマリリンを見た。 彼女たちは、この十ヵ月、基地から一歩も外に出ていない。彼女の知るかぎりでは、マリリンやコンスタンスでさえ、基地を離れていないはずだ。 たしかに、女性化訓練は、目的物窃取訓練や非武装戦闘訓練以上に、完成の域に達していた。 今はもう、全員が、どこへ出ても女として通るだろう。魅力的で、美しく、官能的な女として‥‥少なくとも、彼女たち自身はそう思っていた。 でも、今のマリリンの言葉を聞いた瞬間、サンディは、心の奥深くに恐れの感情が潜んでいるのに気がついた。 現実の社会で‥‥本物の男たち、そして本物の女たちの前で、本当に正体を見破られずに振る舞えるだろうか‥‥。 「今週末、全員で街へ繰り出すことにしたの。ディナーを食べて、そのあと、たぶん、1軒か2軒、クラブをまわることになると思うわ。あたしとコンスタンスは、この計画をボーイ・トローリングって呼んでるの。男がどれだけ釣れるかを見れば、あたしたちがどのくらい魅力的かがわかるでしょ。とりあえず、あたしのお金は、全部あなたに賭けるつもりよ。だけど‥‥」 そこで、ブロンドのカールをふわっ揺すると、マリリンはいきなりパーソナリティをチェンジさせた。 「‥‥あたしだって、負けないんもん。きっと、かっこいい男の子たちが、いっぱい、あたしのこと、好きって言ってくれるわ。考えただけで、もう胸がドクンドクン言ってる。ねっ」 サンディは、そのペルソナの完成度の高さと、ジョークへの称賛を込めて、くすっと笑った。 店いっぱいに溢れるヤル気まんまんの男たちを、いかに手玉にとるか。それこそが、少女たちの勝負。女の子なら誰でも――つまりここの女の子たちにとっても――いつかは挑戦しなければならない勝負なのだ。 その日、彼女たちは、フィジカルトレーニングを免除された。例の非武装戦闘訓練をも含めて。 ところで、そのエル・スプレモだが、サンディは最近、彼が以前ほど強力な技を繰り出してこないことに気づいていた。どうやら、女の子たちの肌に傷が――少なくとも目に見える傷は――残らないよう、手加減しているようなのだ。 もちろんそれは、エル・スプレモにとってアンラッキーな結果を招いた。メンバーの技量が増したこともあり、全員が、なかば面白がり、なかばペナルティとして、彼にかつての仕返しをしていた。それでも彼は、チームメンバー同様、与えられた役割を必至に演じ、がんばっていた。その姿は、彼女たちにとって、あわれに映りこそすれ、もはや、怖がる対象ではなくなっていた。 おそらくこれも、すべてマリリンの計画どおりなのだろうが。 ともかくも、訓練を免除された女の子たちは、その時間すべてを、夜の外出の準備のために費やした。 今ではもう、彼女たちは、コルセットをつけた状態で、苦もなく動けるようになっていた。体型作りのためのすべての訓練を終えた今、むしろコルセットをつけている方が、快適に感じるくらいだ。 また、彼女たちは今、ほとんどの時間を5インチ以上のハイヒールで過ごしていた。コルセットが彼女たちのウエストを細くしたのと同様、朝のストレッチなど以外、ずっとそびえ立つヒールを履いていることで、彼女たちのアキレス腱は収縮したにちがいない。今では、平靴よりハイヒールの方が楽に思えるほどなのだ。 日が暮れた頃、彼女たちは、誰言うともなくラウンジに集まってきた。みんな、お互いの姿を比べ合いたいと思ったのだ。 といっても、メンバーどうし尊敬の念は強かったから、それは、誰がいちばんきれいか競うという手のものではなかった。それぞれの路線に応じてつくりあげてきた美しさが、まちがいなく、かつ効果的に表現されているかどうかをお互いの目で再確認したかったということだ。 べつに意図したわけではなかったのだが、彼女たちのファッションスタイルは、大きくふたつのグループに分かれていた。ひとつは、マリリン、キャロル、そしてサンディが含まれる恋の冒険を楽しもうという華やかで明るいスタイル。そしてもうひとつは、コンスタンス、ジェイミ、バナの、慎み深さとエレガンスを追求したタイプだ。 とはいえ、全員が、これから夜の街へと繰り出そうというパーティ仕様の女の子ではある。スカートは短くてタイト、ヒールは高くて細く、そして、メイクは派手めだった。 それぞれのバッグが用意され、新しい身分証が(架空の)経歴書類と照合され、準備が整った。 彼女たちは、そのペルソナのグループ別に2台の車に分乗し、夜の小旅行へと出発した。六人が同じスケジュールで動くにしても、あまりにかけ離れたタイプが一堂に会しているのは、やはり不自然だ。それで、お互い関係のない2グループに見えるように行動しようということになった。レストランとクラブでいっしょになるのは、あくまで偶然の一致‥‥というわけだ。 運転しながらも、小首を傾げて天然ボケっぽいおしゃべりをつづけるマリリンと、それにいちいちきわどいツッコミを入れるキャロルのせいで、車が街に入るまで、サンディはずっと笑いどおしだった。 街に近づいたところで、サンディはやっと、自分たちが今までどこの州にいるのかさえ知らなかったことに思い至った。それが重要であるかどうかはともかく、どうやらここはモンタナらしい。 レストランに予約は入れてあったのだが、テーブルの用意ができるまで待ってくれと言われ、彼女たちは、まるで気楽なハトのように付属のバー(訳注 「とまり木」)に舞い降りた。数分遅れて入って来たもうひとつのグループも、やはりすぐに、同じエリアへとやって来た。 「戦闘準備」 マリリンがささやいた。 「ショータイムよ」 その言葉にちらりと見やると、連れのいないらしい男が二人、必要以上になれなれしそうな顔で近寄ってきていた。 店内にいる女性たちは、みんな着飾ってはいたが、おとなしめなスカートかドレスばかり。要するにここはモンタナなのだ。(訳注 モンタナ州は保守的な農業州) だから、近づいてくる男たちも、シンプルなジーンズにブーツ、そしてスポーティなジャケットという姿だった。彼らは、本物のカウボーイ――あるいは、そう見せようとしている――にちがいない。 見せかけか否かはべつにして、たしかに、その精悍な体つきと陽に焼けた顔は、屋外経験の豊富さを物語っている。その姿に少年っぽさはかけらもなく、まぎれもない大人の男だ。 「今晩は、お嬢さん方」 背の高い方が声を掛けてきた。だいたい6フィート4インチ(約193センチ)くらいだろうか。黒い巻き毛が、テンガロンハットからも、そして大きく開いたシャツの胸元からものぞいている。 「もし、面倒はいやだっていうんなら、ことわってくれていいんだが、俺たちも混ぜてくれないか?」 と、キャロルがすかさず――他の二人がまだ戸惑っているうちに――答えた。 「なんでそんなこときくの? あたしたち、その面倒なことをしに来てるのに」 彼女の目の中でなにかがキラリと光り、片方だけ持ち上げた形のよい眉がさらにそれを強調した。言ったあと、赤い唇を物憂げになめた舌も、男たちの無意識をくすぐったにちがいない。 そんなキャロルに、サンディは頬を染めうつむいたが、そのエメラルドの瞳は、長いまつげ越しに、もう一人のカウボーイをうかがっていた。やはり黒っぽい髪で、身長は6フィート(約182センチ)くらい「しか」ない。でもまあ‥‥、この高いヒールの分を考えたとしても「正解」の範囲かな‥‥とサンディは思った。 と、どうやらその男の方も、サンディの視線に気づいたようで、さっそく会話に加わってきた。 「じゃあ、俺たちの方が、面倒に巻き込まれないようにしなきゃな。この町じゃ、女が自分の金で飲んでるなんて法律違反なんだ。で、近くにいて、おごる金があるのにそれを見過ごした男は即刻逮捕される。なあ、ベン」 「ああ、その法律がいつ通ったかは知らないが、みんなそれを守ってる」 もう一人も、それに乗ってつづけた。 「俺はベン・ジョンソン、こいつはスティーブ・ヒル。次の一杯は、俺たちにおごらせてくれ」 「だけどぉ、そっちは二人で、あたしたちは三人でしょお。だからぁ‥‥」 マリリンは、指で計算するようにし、そして、割り算ができずに困っているという顔で男たちを見上げた。 キャロルはそれに吹きだし、サンディはふたたび首をうなだれ赤面した。 カウボーイたちもそれに笑い返し、スティーブの方がマリリンに声を掛けた。 「だいじょぶ。君達さえよけりゃあ、俺たちはかまわないぜ」 その言葉に、マリリンはパッと顔を輝かせ、悩みから解放された幸せを伝えた。でも、そのせいで、さらなる進軍を指揮する人間がいなくなってしまい、みんなを紹介する任務はキャロルが代行するはめになった。 ところが、ちょうどそこへ席の準備ができたという声がかかり、彼女たちは、ことがそれ以上進展する前に、カウボーイたちに笑顔のわびを残して立ち上がった。 もうひとつのトリオの方はまだ呼ばれず、それで、カウボーイたちは、今度はそっちに幸運の機会を求めはじめたようだ。しかしそれも、やはり途中で挫折することとなった。 そっちの三人もレストランの方に入ってきて、ふたつのグループはほどよい近さのテーブルに着いた。 食事中、ふたつのテーブルの間には、祝福や羨望、やり過ぎに対する非難など、さまざまな目配せが飛び交った。お互いを知りつくした仲間たちの間で、それはまるでテレパシーのように伝わった。 彼女たちはみんな、気軽な調子で軽い料理を注文しつつ、それぞれのやり方でウエイターをからかっては笑い合った。そして、店中の男たちが寄せる興味津々という視線(それは全員に向けられていた)と、女たちからの嫉妬のまなざし(同じく)に緊張しながらも、それを楽しんだ。 すぐに食事は終わり、彼女たちは、それぞれ車に戻った。 おそらく、事前に偵察要員を出していたにちがいない。マリリンは、迷うことなく、ナイトクラブまでの道をドライブした。 彼女たちの何かが作用したらしく(まあ、言うまでもなく、美人ぞろいだからだろうが)、クラブのドア係は、ろくに身分証も確かめず、すんなりと中に入れてくれた。 「ねえ、賭けない?」 店に入ったところで、マリリンがささやいた‥‥というか、実際には、大音量で鳴り響くビートの中、二人の仲間に向かって叫んだ。 「最初に踊りに誘われた子は、明日のエル・スプレモの訓練を免除される。いいわね」 そして、輝くような、でもからっぽの微笑を浮かべると、彼女が名前をもらった人物が有名にした「ゼリーが弾む」(※)歩き方で、人混みの中に入っていった。 (※訳注 ‘Jell-O on springs’:いわゆるモンロー・ウォークのこと もともとは、映画『お熱いのがお好き』の中で、モンローの歩く姿を評してジャック・レモンが言うセリフ ちなみに、このセリフが出てくるシーンで、モンローの後ろ姿を見送るレモンと相棒のトニー・カーチスは女装している) と、次にはキャロルが、彼女独特のはすっぱな気取りとともに、直接バーに向かい、そのあたりをうろつきだした。 そこでサンディは、すでに効果的だと実証ずみの戦術をとることにした。つまり、そのまま入口近くに立ちつづけたのだ。 所在なく立つ彼女の姿は、かえって彼女の均整のとれたプロポーションを目立たせていた。そこに、例の口をとがらす表情で、困惑しているけなげな娘像が加わった。 とたん、そんな美少女を助けようと、ナイトたちが馳せ参じた。 「ハロー、ここ初めてかい? 席をとってあげようか?」 最初の男が声をかけた。 「それより、俺のテーブルに来ないか? なにかおごるよ」 2番目の男が重ねて言った。 「いや、君に壁の花なんて似合わないよ。踊らないか?」 3番目は、そう言うが早いか、サンディのひじにやさしく触れ、ダンスフロアに連れ出そうとした。 と、ちょうどそこへ、遅れて着いたもう一組のトリオが入ってきた。 ジェイミは、すかさず状況を読み取ったらしく、知らないふりをしようという当初の取り決めを破ることに決めたようだ。サンディのバッグに手をかけながら言った。 「せっかくだから、行ったら。あなたのものは、あたしが預かっとくから」 「いや、俺だってダンスに‥‥うッ」 声を掛けてきた最初の二人のうちの一人が言いかけ、より紳士的らしいもう一人にひじで小突かれた。 いや、この男だってとても紳士的とは言えないだろう。サンディが店に入ってきたときから――ジェイミが言ったのとはちがう意味での――彼女の「もの」に目が釘付けになっていたのだから。 サンディはちょっと迷ったが、結局は誘ってきた男についてダンスフロアに出た。そしてすぐに、速くて強烈なリズムに合わせて体を揺すりはじめた。 しばらくすると、マリリンもパートナーに連れられてフロアに出てきた。ただ、彼女は、そのキャラを――性格だけでなく外見上も――際立たせる「タテ揺れ」中心だったが。 他の女の子たちも、すぐにそれぞれの男とともに現れた。みんな、自分の選んだペルソナに沿って、でも、経験のない不慣れな役割を演じようと努力していた。 全員がそれなりにうまくやってはいたが、大音響と激しい体の動きによって心が乱される中で女らしさを保ちつづけることに、そして、それ以上に、子供の頃から禁断の道だと教え込まれてきた男との関係に、大きなストレスを感じていることはたしかだった。 ただ、ジェイミだけは、後の方の問題は克服ずみらしく、音楽が突然、ハードロックから、ゆったりしたスローバラードに変わったときも、すんなりと対応した。 その音楽のテンポチェンジに、男たちは、なんのためらいもなく――そして、ジェイミ以外の女の子たちがためらっているのにかまわず――手を伸ばしてきた。 女の子たちは、それにびくりとしながらも、背中に感じた男の手の大きさや、慣れない側の手をささげ持った男の手のやさしさに、心の中で複雑に葛藤していた。 男たちにとっては不幸なことに、女たちにとってはそうでもなく、最初の曲でチャンスに恵まれた男は、2曲目が始まるやいなや、すぐ他の男に割って入られた。おかげで、女の子たちは、動揺を抑えて自分を立て直すための数秒の余裕が持てた。 2番目の男からは、彼女たちそれぞれのキャラクターに合わせて、笑いかけていた。マリリンは無邪気な顔で、コンスタンスは冷たい微笑で、サンディはちょっと恥ずかしげに、その他もそれぞれに。 パートナーたち――その後も次から次へと変わったパートナーたち――は、そんな彼女たちの醸し出す人物像を何の疑いもなく受け入れ、そのキャラクターと音楽に合わせリードした。 おそらく、誰かがチップを奮発してバンドを買収したにちがいない。いつまでたってもスローな曲ばかりがつづき、レディたちは、順番を待って列をつくる男たちの間で、自分たちが、次々に受け渡されているのに気がついた。 さすがに彼女たちも、そびえるヒールによる足の痛みを覚え、それぞれに、もう座らせてくれと頼み始めた。 最初に戦線を離脱したのは、キャロルだった。彼女は、これ見よがしな6インチのヒールがついた膝丈のロングブーツで脚全体を固めている。未だ歩いていること自体が不思議なくらいだった。つづいたのは、細いストラップだけで編まれた華奢なサンダルのマリリンだった。他の女の子たちもすぐに、それぞれ許しを請い、隣り合うふたつのテーブルに戻ってきた。 彼女たちが席に着くやいなや、まるで魔法のように、どこかから飲み物が届いた。 さらに、彼女たち全員が戻ったとたん、音楽はまたいきなり、大音量で速いものに変わった。おかげで彼女たちは、顔を寄せ合い、怒鳴り合うような会話をせざるを得なくなった。 「やっぱり、あなたの勝ちね」 マリリンは、サンディに笑いかけた。 「最初にダンスに誘われたのもあなたなら、最初にお酒が届いたのもあなた。なにもかもあなたが最初だった」 「なにもかもじゃないわよ」 サンディは、くすくす笑いながら答えた。 「じつは、ジェイミの方が、あたしたちよりずっと、こういうことに慣れてるのよね」 話がよく聞こえなかったらしく、キャロルがさらに顔を近づけてきたが、それより先にマリリンがきいた。 「何が言いたいの?」 「さっき、彼女のパートナーが、あそこの薄暗いコーナーにリードした時、どんなことが起こったか、見なかったの?」 サンディは、じらした。 「えっ! なにがあったの?」 他の二人が同時にきいた。 「いい? その、背が高くて陽に焼けた、セクシーでハンサムな男は、腕に抱いた娘をさらに強く抱き寄せると、情熱的でとろけるようなキスをしましたとさ。めでたし、めでたし」 「えっ、うそー。信じられな〜い」 キャロルが、驚きの声をあげた。 と、サンディは、キャロルの目をのぞき込むようにしてききかえした。 「ほんとに? あなたの方が、ずっと危なっかしく見えたけど。踊ってる時のあなたの顔ったら、キスだけで終わればラッキーって感じだったわよ。それとも、もしかして、キスだけじゃ、アンラッキーだって思ってた?」 キャロルは即座に否定したが、その声は、爆発するようなサウンドにかき消されてしまった。そして次には、彼女の目の中に、なにか考え込むような色が浮かんだ。さらに、サンディ自身も、またマリリンまでもが、まるで鏡に映したように同じ目をした。 それから彼女たちは、しばらくの間、しゃべるのをやめ飲み物を飲んだ。今夜の冒険で新たに見つけてしまった自分の中の予期せぬ可能性に、なんとか折り合いをつけようと。 それは、彼女たちを不安にした。これまでダメだと教えられてきたことが、教えられたほどには魅力のないことでないと感じている自分に、不安が募った。 長期間、女性として生活してきたせいで、どうやら、ものの感じ方がシフトしてしまったようだ。自分のことを柔らかい存在だと感じることで、男が腰を抱いてきた時、その手の筋肉の強さと硬さを意識する‥‥というより、それに惹かれている自分がいる。その強さと硬さにより、自分の中の「すき間」が満たされる気がするのだ。実際にこうなるまで、自分の中にそんなものが存在することに気づいていなかったが、どうやらその「すき間」は、この仮面劇の思わぬ帰結としてできてしまったものらしい。 もし、熱心に愛を語るパートナーとともに、コーナーの薄暗がりに立ったとしたら、その時自分は、どうしていただろう?‥‥と、三人が三人とも考え込んだ。 そして、三人が三人とも、もし、それに応えたとしたら、その時自分はどうなるのだろう?‥‥と思い、それを知りたいという切ないあこがれのようなものが胸の奥深くあるのを自覚した。そんなあこがれは禁断のものなのだという、彼らが持ちつづけてきた認識との間に、激しい葛藤を繰り返しながらも。 今夜はもう、これくらいにしておいた方がいい。 マリリンの冷静沈着な方の思考が、それまでの思いを振り切り、彼女はコンスタンスの視線をとらえると、そろそろ帰る時間だという秘密信号を送った。 2組のトリオは、順次、バッグなどをまとめ、出口へと向かった。 しかし、そこには大きな問題が待ち受けていた。先刻、車を駐車したのは、クラブとはちょっと離れた裏道。そこまで歩くには、彼女たちの足は痛みすぎていた。キャロルは手すりにつかまり、一歩ずつ確かめるように足を進めていたし、マリリンはもっとつらそうで、出口を出たところで、この先の長さを思い、大きなため息をついた。 そんな二人の様子を見たサンディは、こう提案した。 「二人とも、その足じゃ無理でしょ。いいわ。車はあたしがとってくるから。それから、あの子たちにもここで待ってるように言っといて。つめこめば全員が1台に乗れないわけじゃないんだし、あたしがとってきた車で、あの子たちの車のところまで運べばいいでしょ」 一人で裏道へと向かったサンディだったが、彼女自身、その高層ビルのようなパンプスのせいで、他のメンバーに負けないほど足が痛かった。だから、歩幅は小さく、小刻みなヒールの音が路地に響いた。 そんな疲れが、周囲に対する十分な注意を怠らせていた。 それでも、片側の暗闇で影が動いた時、なにか変だ‥‥と直感した。と、すぐに、もうひとつの影が、前方に現れた。 すばやく首をまわし、背後の気配をうかがうと、さらにもうひとつ、大通りの街路灯と自分との間に動く影があった。 そして‥‥、すぐそばに駐車された2台の小型トラックの間から、男が一人現れた。 「よお、ねえちゃん、こんなとこの一人歩きはあぶねえぜ。誰か、守ってくれる男が要るんじゃねえのか。その体をあったかく包んで、ぎゅーっと抱いてくれるような男がよ」 「ご心配ありがとう。でも、けっこうよ」 男の声の中にある脅しも、その言葉の押しつけがましさも意に介していないという感じで、サンディは答えた。 「そうだよな、ねえちゃん。たしかにけっこうだ。けっこうな体で、けっこう強気ってわけだ」 男はそう言いながら近づいてきた。そして、男が目配せすると、四方から仲間たちも近づき、彼女は完全に取り囲まれていた。 どうやら、このストリートギャングたちは常習のようだ。 と、そのリーダーらしき男が、サンディの目をのぞき込んできた。そこに恐れの色を探して。 そこには恐れがあるはずだった。彼が奪い取るつもりでいる金に関する恐れ、そしてそれ以上に、彼が得るつもりでいる肉体的快楽に対する恐れが。 しかし彼は、サンディの目の中にそれを見つけられなかった。その代わり、そこにあったのは‥‥野生の本能。 そのことに、自分自身が直感した恐れを隠すためだろう。彼はさらに居丈高に言った。 「上等じゃねえか、このスベタ。てめえみてえな高慢ちきな女が、ただでここを通れると思うなよ。まずは、そのかわいい唇でキスしてもらおうか。長くて、深くて、すするようなキスをよ」 そう言いながらにやりと笑うと、男は、その「キス」の意味するところをはっきりさせるため、ジーンズのジッパーをおろした。と同時に、サンディの注意をむりやりにでもそこに向けさせようと、もう一方の手を彼女の頭に伸ばした。 ところが、そこには、彼が予期したのとはまったくちがう答えが待っていた。彼女の後頭部か、あるいは髪の毛をつかむつもりでいた彼の手が出合ったのは、なんと歯だったのだ。 サンディは、男の親指をすばやくくわえると、食いちぎってしまうほどの力をあごに込めていた。 驚きの絶叫が響く中、サンディは男があわてて引こうとした手をつかみ、その力を利用し、男の体を、右側にいる仲間のギャングに向かって投げつけた。 二人の体は、もつれ合いながらさらに吹っ飛び、小型トラックのフェンダーに激突した。一人は、そのままフロントウインドウに頭から突っ込みガラスを粉々に割った。リーダーの方は、彼が期待した場所に、期待した以上にディープな金属のキスを受けることになった。そして二人は、ふたたびもつれるように崩れ落ちた。 その時にはすでに、サンディは三人目の相手に向かっていた。 彼女のスパイクのようなヒールが、その一人の股間を直撃した。それは、すり切れたジーンズだけでなく、その下にあったものまで突き破り、引き抜くと、そのインチ分だけの血がしたたり落ちた。さらに、真っ赤に塗られた長い爪が、男の両目に致命的な正確さで突き刺さった。 男が彼女から得ようとしていた利益以上のとんでもない損失を支払わされたことに気がついた時には、すでに地面に倒れていた。叫びを上げようにも、肺にはすでにその力が残っていなかった。 サンディは、少なくともあと一人以上のギャングが背後にいるのを知っていた。だから、すかさず振り向こうとした。ところが、その瞬間、彼女の後頭部を強烈な閃光が貫き‥‥そして、暗闇が訪れた。 意識の小さな炎がふたたび揺らめきだしたとき、彼女がまず感じたのは、頬に当たる冷ややかな圧力だった。気がつくと、それは裏道の舗道で、彼女はそこに身を横たえていた。 記憶をまとめようとすると、頭の中で、巨大なハンマーが容赦ないリズムを刻んだ。 とりあえず、手をつき体を起こそうとしたのだが、なぜかそれもうまくいかない。 バラバラだった体の感覚がふたたび統合されてきたことで、やっと、その手首が後ろ手に固定されていることがわかった。どうやら、ひじのあたりも、ベルトのようなもので縛られているようだ。 その体が緊張を取り戻したのに気づき、警戒したのだろう。ギャングの一人が、彼女を起こし、舗道の上に座らせた。 「上等だぜ、このスベタ。仲間がこれだけやられたんだ。礼だけはきっちりさせてもらうぜ。さあ、そのかわいらしい口を開けろよ。もし噛んだりしたら、お前の乳を切り取って食わせるぞ」 それが単なる脅しでないのは、遠くから射し込む光に、ナイフの刃がキラリと光ったことでわかった。 肉厚のコックが、歯に押しつけられ、むりやりそこをこじあけた。 すぐにそれが、荒々しい力で前後運動を始め、ストロークごとに深く侵入して、彼女ののどをつまらせた。 その歓迎すべからざる侵入者を体が拒絶したのだろう。彼女は、胃の中身が逆流し、それを押し返そうとするのを感じた。しかし、胃がそれを押し出すより先に、侵入者の方が、自らの中身を速い間隔のパルスで噴出してきた。 サンディののどは反射的にそれを拒否しようとしたが、むせかえりそうになり、逆にそれを飲み下していた。 その凶暴なインベーダーによりのどをふさがれ、乏しい呼吸に、彼女の意識はふたたび遠のき始めていた。 気を失う寸前、やっとそのコックは引き抜かれたが、そのせいで、彼女の体は前方に折れるように倒れ込んだ。それで、結局は息がつまった。今や危険なものとさえなりつつあるコルセットと、腕を不自然に縛られた状態では、圧迫された肺に導き入れることのできる空気は限られていた。 と、さっきとはちがう手が彼女のあごをつかみ、その力で起こされた。ぼんやりとかすみ始めた目の前に、また、さっきとはちがうコックが現れた。 しかし、それが次の襲撃を始めるより先に、さらにちがう2本の手が、後ろから彼女の腰をつかみ、持ち上げてきた。 聞き覚えのある息づかいに、あごに加えられている力に抗して振り向くと、そこに、先刻のリーダーが立っていた。彼の鼻は明らかに骨折し、そこからしたたった血が、口――少なくとも1本以上、歯が欠けていた――から流れる血と合流し、あごの先からしたたっている。他にも、目のあたりから流れた血が、その顔に筋を描いていた。 その腫れた唇から発せられたうなりは、かろうじて意味が聞き取れるというものだった。 「よくもやってくれたな、このスベタ。今度は、お前がぼろぼろになる番だぜ。ぼろぼろにな」 彼はそう言うと、サンディのスカートのスリットを尻が丸出しになるところまで引き裂いた。暗闇の中で、その肌がほの白く浮かび上がった。 繊細なレースのパンティも、同じように引き裂かれてしまった。 ただ、リーダーは、その怒りのためか、あるいは肌色のストラップのせいか、彼女がその下につけていたガフには気づかなかったようだ。 彼は、すでに出していた自分のコックを、彼女のアヌスに押しつけてきた。 「おい、そっちの穴でいいのか?」 ギャングの一人がきいた。 「ああ」 リーダーは、残忍な声で言った。 「この方が、こいつに痛い目をみせられるってもんだ」 「それにしても、こっちで濡らしてからの方が、滑りがいいんじゃねえか」 ご親切にも、サンディの目の前の男が言った。 「滑り? そんなもん、このスベタにゃいらねえよ。どうしてもいるってなら、こいつ自身が血でも流すさ」 それが、彼の答えだった。 その太いコックが、彼女の傷つきやすい部分に何度もたたきつけられ、ついに小さな突破口を開けると、そこにめり込み、急速に押し広げた。 サンディの体の中に溶岩が流れ込み、か弱い組織は引き裂かれ、そこにごついインベーダーのための余地をつくっていった。リーダーの言葉どおり、噴き出す血が、それを助けた。 ギャングの一人がまたあごを開かせ、空室となっていたそちら側をもふたたび利用し始めた。遠のく意識の中で、サンディはかろうじてそれを認識した。‥‥。 強い痛みが人間を失神させるというのは、迷信だ。 脳自体が直接打撃を受け活動を停止した場合を除けば、体に痛みを感ずると、脳は、複合的な化学物質を分泌し、全身にあふれさす。この物質は、気を失わせるのではなく、その痛みを止めさせようと――現実にそれができようとできまいと――体のあちこちを活性化する。そして、それは、痛みをより強く感じさせることにもなる。 ただ、意識のレベルで言うなら、それは、認識が覚醒することを意味しない。 サンディの意識は、ゆがめられたあごや、頭の中で刻みつづける巨大なハンマーや、それにも増して、彼女の体の最奥で体全体を焼き尽くすように白熱して燃える炎を、より遠ざけようとしていた。認識全体を次第に薄暗闇で覆っていき、その結果、彼女は、あごの痛みをあまり感じなくなり、直腸の中て燃えさかる炎も、まるで遠くの出来事のように感じていた。 ‥‥、そんな彼女の世界に、なにかの音が戻ってきた。彼女の感覚を揺り動かし呼び覚まさざるをえない音‥‥いや、声が。 「‥‥サンディ、サンディ、しっかりして。あたしよ。わかるでしょ。サンディ、さあ、意識をしっかり持って。サンディ‥‥」 彼女はまず、自分の腕が縛りから解かれていることを感じた。次には手‥‥やさしい誰かの手。そのふたつの腕は、彼女の体全体を支え、横抱きしていた。 声はまだつづいていた。そして、彼女は、その声の主‥‥マリリンの姿を求め、ゆっくりと目の焦点を結んでいった。 ‥‥ちがうわ。そうじゃないでしょ。マリリンはもっと、無邪気に笑ってなきゃ。そんな悲しそうな顔してちゃ、ダメでしょ。 サンディは、その笑顔を示そうと、自ら笑ってみせようとした。ところが、唇が引きつり、うまくいかなかった。 そのことで、やっと、全身を覆う痛みに気づいた。サンディは、思わず、拷問にかけられたその唇から、小さなすすり泣きを漏らした。 それが、マリリンに、サンディの自失状態からの回復を伝えることになった。 そして、マリリンの次の言葉は、他のメンバーに向けて発せられた。 「ジェイミ、彼女の持ち物を集めて。キャロル、車をとってきて。バナはもう一台を。コンスタンス、このブタどもに息がないかチェックして。行動開始!」 その命令に従い、女たちが即座に動いた。 サンディの未だ混濁している思考の中で、何かがポキッと折れる音がした。でも、彼女にはまだ、それがなんなのかよく思い出せなかった。 ただ、今わかっているのは、自分がひどく傷ついているのだということ、傷ついているからマリリンが抱いていてくれるのだということ、傷ついているから友人たちがいっしょにいてくれるのだということ‥‥それだけだった。 静寂の中、「みんな、死んでるわ」という、コンスタンスの――まるで、その事実をどこかにファイルするとでもいうような――声が響いた。 そこへ最初の車が到着し、サンディの体がやさしく運び込まれた。 マリリンはそこで新たな命令を下したわけではないが、ただちに基地に戻り、診療所に集合しろというその意図は全員が理解していた。 運転を買って出たジェイミは、無謀という言葉でも足りないくらいのめちゃくちゃな勢いで車を飛ばし、あっという間に基地のゲートが見えてきた。車が近づいてくるのに気がついた衛兵は、到着と同時に即座にゲートを開けた。ジェイミの運転のとんでもないスピードに、逆に、何らかの危機的事態を察知したからにちがいなかった。 そのままスピードを落とすことなく基地内を突っ走ったジェイミは、一刻でも早く軍医を呼ぼうと、ホーンを鳴らしながら診療所の駐車場へと滑り込んだ。 そのドライブの間、マリリンは、サンディを寝かさなかった。もし彼女が眠りに落ちれば、そのまま帰ってこないような気がしたからだ。 サンディの様子を一目見るなり、医師は助手たちに中に運ぶように言い、チームのメンバーには理解不能な指示をあれこれと出した。しかし、彼の自信に溢れる話し方を見て、彼女たちは、傷ついた同僚を彼に託した。 医師は、彼女たちをその場で止め、マリリンだけを治療室へと入れた。 深夜、兵舎に戻ってきたマリリンは、彼女たちにサンディの病状と経過を伝えた。 心配された頭部の打撲は、一撃だけによるもので、しかも彼女の豊かな頭髪が衝撃を分散したおかげで、骨や脳に大きな損傷はないとみられる。 ただし、肌には大きなアザがあり、より深刻な内出血の可能性も否定はできない。 唇には裂傷があり、また腫れも見られるが、これは、エル・スプレモのやさしい奉仕による傷とさほど変わるものではない。 その結果、医師は、治療の優先順位の一番に、傷ついたアヌスの修復を挙げた。 彼もまた、サンディに全身麻酔による睡眠を与えることをよしとせず、局部麻酔――それはどうにも耐えられない痛みを和らげるだけのものだ――によって、その組織の縫合手術を行った。おかげで、彼女はふたたび、意識の内と外を漂うことになったが、それが彼女の中の生きようとする意志に緊張を与えつづけた。 手術が終わり、彼女は眠りに落ちた。しかしそれは、昏睡ではなく、疲れ切ったことによる通常の睡眠だった。そこにバイタル・サインを読み取った医師は、やっと彼女に休息を与えた。 chapter 4 Trapped? chapter 5 Tragedy! chapter 6 Tranquil? chapter 7 Trance? chapter 8 Trail's End? chapter 6 Tranquil? ‥‥沈静? 翌日、サンディが目覚めたとき、まず感じたのは体の痛みだった。前夜のトラウマは、ありのままに受けとめるには、まだ、あまりに大きすぎた。その記憶は、時間的にも、意味的にもばらばらで、遠くにかすんでいた。 ただ、激しい痛みが体のどこから来ているのかだけは理解でき、それとともに深い羞恥が襲ってきて、自分の背負う重荷に気づかざるを得なかった。 その変身した兵士は、ベッドの中で、一人さめざめと泣いた。自分の弱さが、チームとマリリンを裏切り、窮地に立たせたと感じたからだ。 やがて、モニターでそんな様子を見ていたらしい看護士がやって来た。 「落ち着いて、ハニー。もうだいじょうぶよ」 彼女は、すすり泣く少女をなぐさめた。 でもサンディは、返事することすらできなかった。前夜、何人もの侵入者に蹂躙(じゅうりん)されて以来、ずっとのどがつまっている感じだった。 彼女は首を振り、救いのない否定の気持ちを表した。涙が、頬を伝ってベッドを濡らした。 「どこか、痛むの?」 看護士がきいた。 「先生の判断を仰がないと、私にはなにもできないのよ。先生を呼ぶ?」 みじめな思いの中、サンディは、なにより一人になりたいと思った。だから、もう一度大きく首を振ると、そのまま、何もない壁の方に向きを変えてしまった。 しかたなくナースステーションに戻った看護士は、結局、医師に電話を入れた。 その時、医師はちょうど、サンディの経過について、マリリンに報告していた。 そのブロンドのチームリーダーは、電話の会話から、サンディが目覚めたことをすぐに察した。そして、医者が電話を切るより先に、部屋を飛び出し病室へと向かっていた。 ベッドサイドに立つと、マリリンはすぐに、サンディに覆いかぶさるようにして、その体をいたわりをこめて抱きしめた。 向きを変えたサンディは、まるで母親にすがる子供のように、マリリンの胸に顔を埋め、泣いた。それは、彼女のケガを悪化させてしまうのではないかと心配になるほどの泣き方だった。 「だいじょぶよ。いい子ね。だいじょうぶ。もう、だいじょぶだから‥‥」 マリリンは、サンディの髪をやさしく撫でながら、同じ言葉を繰り返していた。 チームメイトというにはあまりに親密な、そんな二人の抱擁に、後を追って入ってきた医師はただ黙って立ちつくした。 永遠とも思える時間の後――実際には数分に過ぎなかったのだが――、そのすすり泣きがしゃくり上げるようなものに変わり、サンディは澄んだグリーンの目を上げて、マリリンの輝くブルーのそれと視線を合わせた。 「ごめんなさい、マリリン」 彼女は、まだ泣き声でそう言った。 と―― 「いや、あやまる必要などない」 マリリンは、故意にそうしたらしい抑揚を押さえた口調で――いわば、将校から兵卒への絶対的で反論の余地のない命令として――、そう告げた。 その言葉に反応するかのように、サンディは泣きやみ、その体がピッと緊張した。 そして、マリリンから体を離し、あらためてその顔を見上げた。つい今しがたまでやさしさといたわりに満ちていたその目に、確固たる決意が表れていた。 「君は、持てる力を最大限に発揮した」 マリリンは、そうつづけた。 「あのブタどものうち二人はすでに意識を失い、三人目も君が逃げ出すには十分なほど負傷していた。軍隊広しといえど、5インチのヒールとタイトスカートを身につけ、三人のストリートギャングを打ち倒す能力を持った兵士は、あと三人か四人しかいない。いうまでもなく、われわれのチームメンバーだけだ。君が抱えた唯一の問題は、あのブタどもが三人より多かったことだ。そしてそれは、君の誤りではなく私の判断ミスだ。チーム全員で動くのでなく、君一人に行かせたのは、私なのだから。しかし今、私は、そんなことで君を失いたくはない。君には、これまで君がしてきたのと同様の、最善の努力を期待している」 そこで話が終わったと思ったのだろう。医者が割って入ろうとした。 しかしマリリンは、今のサンディにとって、医療より、精神的に支えてやることの方が先決だと感じた。彼女が、チームにとって、そしてそのリーダーにとって必要不可欠な人間なのだということを理解させ、納得させてやる方が大事だと。 それで、医者の動きを目配せで止め――その視線には、彼女こそがこの作戦の責任者なのだという強い意志が込められていた――、さらに、部屋から出て行くよう合図した。 「‥‥君が今日、エル・スプレモの訓練を免除されるのは覚えているね」 医者が出ていくと、マリリンは、あの悲劇の前の楽しかった時間を思い出させるように言った。 「その代わりに、君には、訓練の次の段階に進んでもらおうと思う。午前中には、外国語のインストラクターを来させよう。まだ他のメンバーには話さないでほしいが、その言語から、君は、作戦のターゲットとなる国を知るだろう。それは、君たちが予測しているような中南米の国ではない。その独裁者も、エル・スプレモと呼ばれているわけではない。まあ、その国の言葉としては、同じような意味なんだがね。少なくともこの何日間かは、君は時間をもてあますだろう。その間を利用して、君には、チームの言語学習のリーダーになってもらいたいと思っている。体に差し障らない程度にがんばってほしい。もちろん、作戦に出動するまでの間に、美しさを取り戻すことも忘れずに。‥‥なにか、他に質問は?」 サンディの見開かれた目には、事態の急変に驚いている様子が如実に表れていた。自分の体がだめになり、お払い箱になると感じていたのに、そこにあったのは、自分に対する称賛と、チームにとってかけがえのない存在なのだという確証だったからだろう。 兵士への動機づけにはさまざまなやり方があるが、サンディに対しては、信頼を示してやることがなによりものきっかけになることを、マリリンはよく心得ていた。そうすれば、この緑の目をした娘は、どん底から這い上がり一挙に高みにのぼる。そこに必要なのは、ひとつかふたつのシンプルな命令だけだ。それが困難に満ち、危険を伴なうものだとしても‥‥いや、そんな命令にこそ彼女は奮い立つ。 マリリンは、メンバー一人一人が思っている以上に、一人一人のことを理解しているのだ。 マリリンは、サンディの傷つけられた体をこれ以上動揺させるのはよくないと考え、ベッドサイドを離れた。 そのまま部屋を出ていこうとすると、サンディが「ありがとう」とつぶやいた。 マリリンは、それが自分の役割だからといわんばかりに短くうなずいた。自分に課された役割は、チームの資源をより有効に使うこと。そして、サンディに対しても、そうしたまでだと。 しかし、彼女は振り向きもせず、そのまま部屋を出た。もし、彼女の目にうっすらとたまっているものを見られたら、サンディを絶望から救い出した司令官のイメージを壊してしまいそうだったからだ。 彼女は、高いヒールと揺れる腰が許す限りの大股で廊下を急ぎ、医師を探した。 医師は、彼の患者を治療するために、この日から数日、何度かにわたり、恥ずかしいけれどもどうしても必要な幕間狂言(※)を演じた。 (※訳注 原文は‘interlude’:「ふたつのエピソードの間の出来事」という比喩であると同時に‘intrude’=「侵入する、突っ込む」の意を匂わせていると思われる) そのおかげもあり、サンディは順調に回復していった。 彼女がふたたびやる気をよみがえらせたのには、入院中、仲間たちが見舞いに来てくれたことも大きい。彼女たちは、ダイニングルームでの女の子っぽいおしゃべりをそのまま持ち込み、毎日のつらい訓練の中からでも面白かったことをみつけてはきゃっきゃとはしゃいだ。時々、訓練が完了した後の作戦の目的地についてあれこれ詮索するのにはちょっと困ったが、サンディは、そんな彼女たちを心から愛していることに気がついた。 言語学習には毎日数時間が費やされ、サンディはすぐに、例のピッキング技術程度には――こちらも暇を見つけては練習していたのだが――実力を身につけた。 一週間後、彼女は自室に戻ることを許された。 まだ以前のように優雅に歩くというわけにはいかなかったが、アザは次第に消え、傷ついた唇も治って、その姿は美しさを取り戻していた。 部屋に戻ると、そこに、例の事件の経緯について報じた地方紙が置かれていた。 ある裏道で、ギャング団らしい五人の男の変死体が発見された。死因はすべて首の骨折による窒息死だった。一人は、トラックのウインドウに衝突することで骨折したと見られ、また一人は、骨折以外に、何らかの鋭利な刃物で失明させられ、その上去勢されたような傷跡があった。さらに一人は、致命傷となった首への打撲を受ける前に、鼻を骨折させられ、歯を折られていた。 現場に性的暴行の痕跡があったことから、彼らは、レイプの最中に何者かに襲われたと見られる。女性にはこのような犯行は無理だと思われ、連れの女性が暴行されているのに気づいた数人の男性グループが急襲し、報復したものと考えられる。警察もその線に沿って、一人以上の女性を同伴した二人以上の男性グループを目撃した人間を捜している。 そう報じた後、記事は、こうした事件に触発され、行きすぎた自警団主義がまん延することに警戒を示しつつも、この事件の被害者たちに同情の余地はないとの論評で結ばれていた。 その後の1週間でサンディの体はほぼ回復し、次の週からは女性化訓練が再開された。 暴行による心の傷は、彼女のまなざしに影を落としたが、それが悲しげな娘という印象をさらに強調し、予期せぬ効果ともなった。彼女はますます気を引く存在となり、出合ったほとんどの男たちが――男としての責任感の強い男はもちろん、騎士道精神の希薄な男でさえも――、救いの手をさしのべずにはいられない女性になっていった。 しかし、すべての平穏は、必ず終わりを迎えるものだ。 傷が完治したところで、サンディは非武装戦闘訓練にも復帰し、エル・スプレモと対戦した。 メンバー全員が、中でもサンディ自身が、その闘いぶりの驚異的な進歩に驚いた。彼女は、殺人的な技を次から次へと繰り出し、相手を追いつめると、最後の瞬間には、そののど元に、大きな音を響かせて手刀を食い込ませていた。 これは、エル・スプレモを震え上がらせ、彼女がこの訓練を修了したことを宣言させた。 相手が男っぽい脅しに出てきたとたん、彼女は反射的に守りから攻勢へと転じていた。あのトラウマによって彼女の技能は失われていないばかりか、より破壊的な力を手に入れたようだ。 残った問題は――もしそれが問題だとするなら――、力の加減ということだろう。そこには、自分でも抑えきれないすさまじい怒りがあった。 しかし、この日の驚きは、それだけにとどまらなかった。 マリリンがついにチームの他のメンバーにも作戦の目的地を明かし、実際の攻略計画について最初のブリーフィングが行なわれたのだ。 計画は、一見、単純なものだった。 その国に潜入後、彼女たちは、ハレムの女奴隷として拉致される。 奴隷たちの総数は驚くほど多いので、エル・スプレモ(彼女たちはまだその名で呼びつづけていた)が手をつける順番がめぐってくるまで、通常、何ヶ月間かの猶予があるようだ。その間、女たちは「清いまま」でいることが義務づけられているが、ハレム内でなら比較的自由に動きまわれるらしい。新入りがうろついていても怪しまれることもない。そんな立場を利用してハレム中心部の内殿に造られた生物戦研究所の動向を探る。そして、科学者たちの出入りがなくなる時間帯を見はからい、唯一の入口に全員で集合。内部に侵入し、培養のための感染媒体をすり替える‥‥というわけだ。 ただ、そこにはひとつ大きな問題があった。 マリリンは出所を明かさなかったが、ある情報源からもたらされた情報により、エル・スプレモに雇われた科学者たちがどのようにして細菌の保管されたエリアまで入るか――つまり、彼らが、どうやって新鮮な精子を射出するか――の詳細がわかった。 内殿への通路や重要ポイントのドアのそばには、ハレムから選ばれた女が一人ずつ鎖でつながれて配置されている。女たちは、研究所内などで何が行われているかわからないよう目隠しされ、その手は縛られている。ミトンのカバーがかぶせられたその手の中には、彼女たちに割り当てられたドアのスイッチが握らされている。ドアは二重構造で一人しか通れない。鎖でつながれた女たちは、男が彼女の口の中に射精したときだけ、そのボタンを押すようしつけられている。それに背いた場合、死ぬほどの罰が与えられるという「調教」を受け、そう条件付けられているのだという。 問題は、もし、そのドア係のうちの誰かが、何らかの理由で不審を抱きドアを開けなかった場合だ。単にドアを通るだけなら、その女から力ずくでスイッチを奪うことはできるだろう。通報させないためには、手早く女を拘束し、どこかに隠せばいい。しかし、それだけでは決定的な欠陥があった。この作戦は、侵入の事実を敵に感づかせずに完遂しなければならないのだ。ドアの前から女がいなくなったのでは、すぐにばれる。次にドア係が交代する時間まで、チームのうちの誰か‥‥本物のドア係と背格好の似通った誰か一人がその場に残って、身代わりを務めなければならないということだった。 それはつまり、チーム全員が、自分の口を精子の容器として差し出す覚悟ができるまで、作戦に取りかかれないということを意味していた。 この論理的帰結は、当然ながら、チームメンバーの嫌悪感を誘った。ジェイミを除いては‥‥。 と、そのジェイミが立ち上がった。 「ねえ、みんな、聞いて。その行為自体は、けっしていやなことじゃないのよ。あたし、何度もそういうことをしたことがあるの。みんなのうち何人かは、あたしがそうなんじゃないかって、ずっと疑ってたでしょ。サンディは、最初から知ってたわよね。じつはあたし、男とも女とも、どちらともできるの。で、そんなあたしが思うのは、誰でもみんな、本当の性感帯は、耳と耳の間(訳注 頭の中)にしかないってこと。もし、誰か本当に好きな人がいて、その人を悦ばせたいと思ったなら、あなたが相手にしてほしいと感じる肉体的行為は、あなた自身だってしてあげられるはずよ。そのことが、あなた自身の悦びにもなると思うの。男の人のコックをくわえることを悦びとして受け入れたとたん、行為そのものの形なんて、気にならなくなる。もちろん、あたしだって、縛られて、目隠しされて、誰とも知らない男のものをしゃぶるなんて、いやだわ。でも、それは、コックをくわえることがいやなんじゃない。それが、強制されてることがいやなだけ。もし作戦に必要なことなら、行為そのものは克服できると思うの。‥‥あたしたちならね」 いつものジェイミには似合わない長いスピーチの後、ジェイミは座った。聞いていたメンバーたちは、彼女の性癖に関する噂が本当だったという事実以上に、そのキャラクターとは反する言葉の熱さに驚いた。 そして、そのジェイミの言葉をきっかけに、彼女たち全員が――偶然の一致というより、長い間に培われたチームワークということだろう――まったく同じ行動をとっていた。 次の瞬間、マリリンも含めた全員の視線が、サンディに注がれたのだ。 今ジェイミが言ったことに対して、彼女たちの中で最も恐れと嫌悪感を持っているのは、まちがいなくサンディのはずだった。 彼女のオーラルセックス初体験は、残忍なレイプによるものだったのだ。あのことが、他のメンバーにさえトラウマとなり、よけいに拒否感が募るのだから、当の本人である彼女にはぜったいに許容できないだろう。それでもなおかつ、彼女が、今ジェイミの示したような、とらわれない気持ちを持とうというなら、他のメンバーができないとはとても言えない。 サンディの目の奥に、あの暴行の記憶が浮かんでいるのが、彼女たちにも見て取れた。その痛みの大きさは、彼女が、誰の視線からも微妙に目をそらせていることでよくわかった。しかし、その視線は、堅く結束した仲間たち全体からは、けっしてそらされることがなかった。 やがて、その目が、マリリンの顔の上で焦点を結んだ。 マリリンは、強制のいっさいない、しんぼう強いまなざしで彼女を見守っていた。それは、言外に、サンディが決めたことなら、どんなことでも支持するつもりだと語っていた。 サンディは次に、ジェイミに目を向けた。 その深い目の両性愛者は、これまで一度だって、他のメンバーに押しつけがましい振る舞いをしたことがなかった。たとえ自分がまわりから受け入れられなかったとしても、そんな自分自身をつつましやかに受け入れて生きてきたのだ。そして、そのつつましさで――自分の選んだライフスタイルを無理矢理認めさせようとするよりずっと――、他のメンバーたちの信頼を勝ち得ていた。 サンディは、ジェイミの目を見つめ、この物静かなレディが持つ心優しい哲学を拒否する理由など、どこにもないと感じた。彼女はもう、ずっと前から「かれら」などではなく、「あたしたち」のひとりなのだ。 「‥‥わかったわ、ジェイミ。で、どうすればいいの?」 サンディは、静かにそう問いかけた。 ジェイミはそこで、マリリンを見た。サンディの言葉が、チーム全体の決定なのだということを確認したのだ。 マリリンがそれに無言でうなずくと、ジェイミは、みんなの方に向き直り、言った。 「そうね、それは、何ができるようになりたいかによるわね。機械的に、テクニックだけを身につけたいのか、それとも、本当に恋人を悦ばせる方法を学びたいのか。実際の女の人だって、機械になってることはよくあるわ。でも、あたしは、できればそれを、愛の行為として学んでほしい。パートナーと愛を分かち合う方法として学んだ方が、お互い、拒否感を持たずにすむと思うしね。とりあえず、好きな人同士、ペアを作ってやってみない? もし自分が、これまでにいいフェラチオをしてもらった経験があるなら、その立場を変えれば、やり方はわかるでしょ。そんな経験がないって人は、あたしに相談して」 その時、チーム内にちょっとした目配せが行き交った。メンバーたちは気づかなかったが、マリリンもコンスタンスをちらりと見た。コンスタンスはちょっと困った顔をし、マリリンもすぐにそれにうなずいた。 「いいでしょう」 マリリンがブリーフィングを再開した。 「ジェイミの言うとおりにやってみましょう。あたしもパートナーを見つけなきゃいけないけど、それはまあ、後の話として、みんな、今、彼女が言ったように賢明に取り組んでください。それから、この件に関しては、最低限のプライバシーを尊重したいと思います。あたしは、あれこれ詮索するつもりはありません。実際の行動については、それぞれの判断に任せます。さて、じゃあ、言語レッスンを始めましょうか」 その言葉とともに、新しい訓練が始まった。 マリリンがすでに、ターゲットとなる国の言語をそれなりに話せるようになっていたことには誰も驚かなかった。これまでも彼女は、どんなことでもメンバーに先駆けて自ら身につけてきたからだ。 ただ、サンディまでもがそれを修得していたことにはちょっと驚いたようだ。 しかし、そのおかげで、彼女たちは、軍が派遣した正式の言語教師以外に、2人の家庭教師を持つことになった。 それもあり、その後二三週間で、彼女たちの言語能力は格段の進歩を遂げた。もちろん、まだ流暢に話すというわけにはいかなかったが、たとえば、小耳に挟んだ会話の中から重要な単語を聞き分ける程度の能力は手に入れていた。 ある晩、ベッドの準備をしながら、サンディは、心に決めていたことをそろそろ実行に移さなければいけないと感じた。 見るところ、キャロルとバナの間で何かが進行していることは明らかだった。そしてそれは、必然的にサンディとジェイミがペアになることを意味していた。 もちろん、ジェイミに対してかつて持っていたような抵抗感はなくなっていたが、それとは別の抵抗感はやはり強い。 レイプされた経験はサンディに重くのしかかり、その手の行為を悦びとして受け入れられそうになかったし、性欲すらも感じなくなっていた。 でも、サンディは、ジェイミが男からキスされているのを見た時、自分の中にわき起こった感情を忘れてはいなかった。この1年間近く、女性のペルソナで暮らしてきたことが、外見以上に、心の中にさまざまな影響を及ぼしているのが自分でもよくわかった。やさしい抱擁の前に屈服することを、以前ほどには気味悪く感じていないのだ。ましてや、ジェイミの見かけは、まったく若くて美しい女性だ。ふつうの男に比べれば、格段に抵抗感は少ない。もっとも逆に、そんな男でも女でもないような関係は、従うべき規範も、真似すべき手本もなく、それ自体が困惑するものではあったが。 いずれにしても――ジェイミが無理強いしてくるようなことはけっしてないだろうから――、サンディの側からその気を見せないかぎり、ことが始まらないのはたしかだった。 そこでサンディは、いつものようにクレンジングするかわりに、メイクをより手の込んだものに直した。そのあと、艶のある黒髪をブラッシングし、高いヒールのミュールを履き、さらにエメラルドのネグリジェを身につけた。それは、今や彼女のトレードマークともなった、ぎりぎりの薄さと、ぎりぎりの透け感のある、見えそうで見えないというデザインだった。 そんな身繕いがすむと、彼女は、ジェイミの部屋へと向い、そのドアをノックした。 「どうぞ」 声にノブを回し、中に入ると、ジェイミもまた、サンディと同じように、きれいなネグリジェとメイクで待っていた。 「今夜、来るんじゃないかって、思ってたわ」 黒い瞳の少女が言った。 それに対し、サンディは、おずおずとうなずき、ためらいがちに髪を揺すった。 ジェイミは、サンディに近づくと、手を差しのべた。サンディはごく自然にその手をとっていた。そして、その手に導かれてベッドに隣り合わせて腰掛けた。 「あなた、バージンよね」 ジェイミが言った。 「もう‥‥、そうじゃないわ」 サンディは、つらそうに答えた。そのつらさには、なぜそんなことを思い出させるのかという気持ちがにじんでいた。 「ううん、あたしが言いたいのは、そういうことじゃないの。あなたには、愛し合うっていう意味でのセックス経験はないんでしょ?」 ジェイミの言葉に、サンディは目をそらし、小さくうなづいた。 「だから今夜は、あたしが、愛するってどういうことなのか、見せてあげようと思うの。あなたは、何もしなくていいわ。ただ、リラックスして楽しんで。今夜は、お返しとかも考えなくていい。もし、あなたが愛することの意味を理解できたら、今度、またしてくれればいいから」 「でも、そういうのを愛っていうの?」 サンディは、おずおずときいた。 「ええ、たしかに、一生を添いとげようっていう種類の愛とはちがうわね。だけど、パートナーの悦びを自分自身の悦びより大事にしたいって感じることは、立派な愛だと思うの。少なくともセックスの場では、それこそが愛だってあたしは思ってるわ」 その言葉とともに、ジェイミはベッドを滑り降り、サンディの足もとにひざまずいた。 そして、エメラルドのネグリジェのすそをたくし上げると、それとおそろいのパンティを露わにした。ジェイミの手の動きに合わせ、サンディが腰を浮かすと、そのパンティが、なめらかな脚の上を滑って下りた。 つづいて、ジェイミの手でガフがはずされ、サンディは思わず体をふるわせていた。なにより戸惑いがまさり、まだ興奮してはいなかったが、ジェイミのやさしい手で、睾丸が本来あるべき位置に下りてきたことで、さらに全身がふるえた。 目の前のジェイミの姿を見ていれば、その中に隠された体の構造など忘れ、女の子‥‥それも驚くような美少女だと思うことは、むずかしいことではない。サンディは、自分の中にまだ残る抵抗感を抑え込み、そんなイメージに没入していった。そして、目を閉じ、後ろ手をついてベッドに体をあずけた。 やさしい指が、サンディのものを包むように握った。それにまた体をふるわせ、気を取られているうちに、その先に、蝶がはばたくようなやさしいタッチのキスがされた。 サンディは、次第に高まっていく感覚に、気持ちが集中していくのを感じた。ジェイミがどんなふうにその感覚を呼び起こしているのかを学ぶというより、そのセンセーションに否応なく巻き込まれていくのだ。 巧みな舌使いがさらに興奮を呼び、また、表面から液体が蒸発するちょっとした冷たさにジェイミの唾液を感じ、サンディのものは、健康な若者なら誰でもそうなるだろう反応を示していた。 彼女…彼のものは、次第に激しくなる心臓の鼓動とともに大きさと硬さを増していき、今やはっきりとその存在を誇示していた。ジェイミの紅い唇がその先を包み込んだときには、さまざまな情動が入り乱れ、何とも名状しがたい声で、彼女…彼はうめいた。 ジェイミの絶えることのない奉仕の前に、かすかに残っていたサンディ…ビーチのためらいは、激しい衝動に飲み込まれていった。その衝動は、かつて彼女…彼が自分自身の手でやってみたどんな体験よりも強烈だった。そのあえぎ以上に、そして想像していた以上の強烈さに、彼女…彼自身が翻弄されていた。 と、そんな…彼の全世界が、いったん、そのいきり立つ器官に急速に収縮し、そして次の瞬間、まるで銀河系の爆発ともいえる猛烈な勢いではじけた。その噴射の勢いは、彼の感覚をも超えていた。 ビーチは、体の中の精子すべてが、ジェイミの従順な口の中に吸い込まれるのを感じながら、正気と狂気の狭間をさまよっていたが、しばらくして、やっと、彼自身の世界観が戻ってきた。 と同時に、この数カ月間感じることのなかった激しい羞恥に襲われた。自分の見かけが今、美人の女性であることが、とてつもなく恥ずかしいことに思えたのだ。 今、彼の胸は、きれいな形に突きだし揺れていた。彼の顔からは、メイクの匂いが立ち上っていた。彼の唇からは、口紅の味がしていた。そのすべてが、まちがっていると感じられた。 彼は、その美しいネグリジェをすぐにも脱ぎ捨てたいと思った。真っ赤な爪をすぐさま剥ぎ取ってしまいたいと思った。女を装うことなどやめ、すぐに男に戻りたいという気持ちに支配された。 そう感じながら、体を起こしたところで、ジェイミと目が合った。 どうしようもないほどの自己嫌悪に歪む、美しい…男の顔に、ジェイミも気がついたようだ。 「サンディ、どうかしたの?」 ジェイミがきいてきた。 「こんなの、おかしいよ。まちがってるだろ。あた‥‥僕は、こんなところにいるべきじゃないんだ。だって僕は、女の子じゃないんだから。僕は男なんだ。全部が全部、まちがってる」 ビーチは、吐き捨てるように言った。 「ねえ、ちょっと落ち着いてよ」 ジェイミは、それを押しとどめるように言葉を挟んだ。 「たぶん、そんなふうに思うのは、ホルモンの副作用のせいよ。あなたは今、ホルモンがあなたの体をだめにしたと感じて、おびえてる。そうでしょ。もしかして、ここに来てから、あなたは、マスターベーションもしてなかったんじゃない?」 「えっ? そんなこと、するわけないだろ」 「どうして?」 ジェイミは、さらにそうききかえした。 「たとえどんな格好をしてたって、あなたは、ノーマルな性衝動をもったふつうの若者なのよ」 「ノーマル? メイクして、ハイヒールを履いてることの、どこがノーマルだって言うんだ!」 サンディは、さらに腹立たしげに言った。 「なにを着てるかで、人間が変わるわけじゃないでしょ。‥‥『軍服を着ているから軍人なのではない。入隊証書にサインした瞬間から、君自身が陸軍なのだ』‥‥なんちゃって」 ジェイミは冗談めかして言った。 それが、思わぬ効果を生んだ。陸軍が好んで使うそのスローガンのお馬鹿な引用に、ビーチは、つい吹き出してしまったのだ。 やはり、今のは、体の中に溢れた薬のカクテルが発作的に作用したせいらしかった。彼の中の自己嫌悪は急速に収束し、次第に自尊心を取り戻しはじめていた。 まるで二次曲線のグラフでも描くように、ビーチは、見る見るサンディへと戻った。 やっと、いつもの穏やかな笑顔を取り戻したサンディは、手をさしのべてジェイミを立たせ、横に座るようにうながした。 「‥‥ありがとう」 サンディは言った。 「なんだか、気持ちが落ち着いたわ」 「うん、あれだけ出せばね」 ジェイミが笑い返した。 その言葉に、サンディは、ふたたびおろおろと目を泳がせた。しかし、ジェイミが唇についた最後のクリームを舐めとるのを見て、照れ笑いするしかなかった。 「‥‥もお、そういう意味じゃないわよ」 そう言い返した後、サンディは、またちょっと何か思いまどう顔になり、その視線を、ジェイミの短いネグリジェのすそにかいま見えるデルタ地帯へと落とした。 と、ジェイミもそれに気づいたらしく、いたわるように言った。 「さっきも言ったでしょ。あなたがほんとにしたいと思った時でいいの。今夜は、部屋に帰って眠って。だけど、また来てね」 ジェイミの言葉に感謝しながらうなずき、サンディは足もとにからまっていた下着をたくし上げた。最後まで上げる前に、彼女は小さなため息とともにガフを装着し、さっきまでいきり立っていたそれを押し込むと、その上をエメラルドのパンティで隠した。 ヒールの高い室内履きに足を通し、立ち上がったサンディは、ドアへと向かった。きっと自分の欲望をがまんしているにちがいないジェイミは、そんなことはおくびにも出さず、サンディをエスコートしてくれた。 出口まで行ったところで、サンディは立ち止まり、その親友に顔を向けた。今夜の出来事を今一度思い返し、なんだか、このまま出ていくのはよくない気がしたのだ。 考える前に体が動いていた。サンディは、両腕でジェイミの体を包み込むと、口紅で彩られた唇を、仲間(もしかして‥‥恋人?)の同じように色鮮やかなそれに重ねていた。 たしかに、そのキスは、友情の範囲を超えていたが、未だ恋愛感情とは呼べない気もした。もしそういう感情だとしても、それは、まだ芽生えたばかりだった。ジェイミの方はすでに、友達から恋人に変わる心構えができているのだろう。そのキスにこめられた情熱に、そんな思いが伝わってきた。サンディ自身も、その思いに応えたいと感じたが、まだわずかに抵抗感が残っていた。それで、唇を離すと、また来ることへの約束を込め、もう一度チュッと唇を触れ、おやすみを言った。 翌朝のサンディとジェイミの様子を見て、マリリンは、すべての訓練生たちが、これまで以上に親密な人間関係に踏み出したことを覚った。キャロルとバナは、すでに、前よりずっと情熱的で濃厚な関係で結ばれているようだった。 それに気づいたマリリンは、その親密さが無理につくり出されたものでなければいいがと心配になった。そんな関係は、逆に、チームの結束を壊しかねない。しかし一方で、テーベの神軍の評伝を読んでいた彼女は、恋人でもあり戦友でもあるという関係が、高潔で強力な軍隊をつくることがあるという史実も知っていた。 そして、自分がどこかいらだっている原因は、自分自身にはまだ、そんな相手も機会も見つかっていないからだと結論した。 ただ、サンディとジェイミの関係についてのマリリンの観測には、じつは、ちょっとした誤解があった。 今朝のジェイミは、明るく元気いっぱいで、サンディが屈服感を持たないように気づかっているように見えた。そのくせ、明らかに彼女に夢中になっている感じだ。他方、サンディはといえば、どこか煮え切らず、未だ気持ちの整理がついていないように見えた。もし、サンディが昨夜、性的な満足を得たのなら、こうはなっていないだろう。おそらく、ジェイミだけが一方的に楽しんだにちがいないと、マリリンは思った。 つまり彼女は、性の悦びの提供者と享受者を完全に取り違えていたわけだ。 とはいえ、このチームはどんな問題をも乗り越えるにちがいないと考えたマリリンは、それについては何も言わずに一日をスタートさせた。 メンバーたちは、いつものようにワークアウトをこなし、ドレスアップした後、実際の作戦を想定した模擬演習に取り組んだ。 マリリンはすでに、目標の内殿とその中に隠された生物戦研究所のそうとう詳しい見取り図を、どこかから入手していた。その見取り図をもとに、以前チームから脱落しやることがなくなった兵士たちが、基地の一角にそのレプリカを造ってくれていた。例の二重ドアや拘束装置までふくめ、かなり完璧な再現らしい。 そこでリハーサルすることで、チームメンバーは、すぐに研究所の構造を理解し、侵入経路の詳細も頭に入れることができた。 演習の中で、その役割分担も決まった。サンディとキャロルは、ハレム内で活動する際、また脱出する際、敵の目を攪乱するための工作を主要任務とすることとなった。内殿に潜入する際には、二人で攻撃に備え護衛の役割を担当する。ジェイミは、もちろんキーピッキング。マリリンがそれをバックアップする。そしてバナが、細菌の感染媒体をにせ物とすり替える作業を担う。コンスタンスは、そもそも精子を差し出すことが無理なわけだから、内殿に入ることはできない。当然、外での見張りとなる。 ハレム内には、あちこちに、男性の侵入者を殺害するための武器が配置されていたから、逆に、彼女たち自身は武器を用意する必要はなかった。 作戦のシミュレーションはできたものの、ひとつだけ、コントロールできない要素もあった。彼女たちが都合よく拉致され、ハレムに連行されるかどうかだ。ただ、それは、さほど困難なことではなさそうだ。 エル・スプレモは、以前から国際世論に背を向け、かつ、国内の言論をも完全に統制している。だからあまり知られていないが、この国および周辺国で、行方不明になった外国人美人女性のグループは多い。そのうち何人かは捜索要請も出されていたが、エル・スプレモはそれを無視しつづけている。その結果として、また、そんな貧困な国への観光など、たいていの場合は家族に反対され、それに逆らって出かけているわけだから、拉致と思われる行方不明が大きく問題化することもないまま現在に至っているのだ。 そうした事実をかんがみ、マリリンは、以前、街に出た時と同様に、キャラクターごとに分けたふたつのグループでこの国に近づいていけば、まちがいなくハレムに連行されると判断した。どちらのグループにも、目をつけられるだけの要素はそろっていた。 模擬演習の後、言語実習をこなし、その後ディナーをとり、この日の予定もつつがなく進んだ。夕食を終えたところで、彼女たちは解散し、それぞれの部屋へと戻った。 そこでサンディは、昨夜と同様、入念なメイクをし、そのプロポーションを際立たせるネグリジェを身にまとった。そして、昨夜同様ジェイミのドアの前に立ち、ノックして部屋に入った。 「‥‥来ちゃった」 サンディがちょっと恥ずかしげに言うと、ジェイミはうなずいた。 「もう、気持ちの整理はついた?」 ジェイミは、けっして無理強いしたくはないというやさしい口調で尋ねてきた。 「ええ、たぶん」 サンディが答えると、ジェイミは、さらにちょっと考えるようにしてから言った。 「ねえ、こうしない? いきなりっていうのもなんだから、まず、お互い抱き合ってちょっとお話しするの。で、気分が乗ってきたら、何度かキスする。そんなふうにムードをつくってからの方が、いいでしょ」 その提案は、一面では、サンディを狼狽させるものだった。それは、感情を重視したやり方だ。ジェイミのことを、単なる練習台などとしてでなく、リアルな恋の相手としてとらえるということだろう。 でも、一面では、その方がまっとうにも思えた。ジェイミの基本的な考え方は、セックスというのは、相手を悦ばせることに悦びを感じることだという。それは、けっして独り善がりでなく、お互いが、よりよい恋人になるということだ。 もちろん、サンディとジェイミの関係は、ロマンス小説の中で語られるような恋人どうしにはなれないだろう。でも、二人の間には、軍隊という組織の中で培われてきた仲間意識があった。その上、特殊な訓練プログラムの中に隔離されたことによって生まれた強い連帯感があった。それにも増して、お互い、魅力的であることをめざしてつくりあげてきたそれぞれの女らしさに、強く惹かれ合っていた。 もし、目の前にジェイミと同じくらいきれいな女性がいたなら、サンディはためらいなくキスするだろう。そして、実際の話、ジェイミの本来の体の構造がどうであろうと、サンディは彼女を女性と見なすことがふつうになっていた。 一瞬の間に頭を駆けめぐったそれらの思いが表れる間もなく、サンディはジェイミに歩み寄り、その体に腕をまわしていた。 「あなたは、誰よりも大切な人よ」 サンディは、ジェイミの耳もとにそうささやいていた。 「あなたもよ」 ジェイミが答えた。 「あたしはね、好きになるのに、男とか女とかは関係ないと思ってるわ。でもね、だからって、誰でもいいってわけじゃないのよ。ううん、むしろ、恋人を選ぶ基準は、ふつうの人より厳しいと思ってる。あたしが愛することができるのは、やさしくて、思いやりがあって、愛情深い人だけ。たとえば‥‥、あなたみたいに」 言葉は、恋人たちが何世代にもわたって紡ぎ上げてきた愛のメソッドだ。そのことによって、人間の愛は、動物を超え、生物学的衝動をも超えてきたのだ。 サンディとジェイミの間でも、それは、歴史上の恋人たち同様、効果を発揮した。 数分のうちに、その抱擁はより熱のこもったものになり、唇と唇は、お互いを求め合っていた。 ジェイミの情熱的なキスに応えることに、今夜のサンディは、もうためらわなかった。自分自身の思いの高まりにまかせてキスを返し、ついには、ジェイミをベッドの上に押し倒すようにして唇を押しつけていた。 そして、今夜は、サンディの側が、ジェイミの足もとにひざまずく番だった。 ジェイミがすでにガフを着けていないことに、サンディは先刻から気づいていた。実際、ベッドを降りてひざまずいたサンディの目の前で、ジェイミのあずき色のパンティは、彼女の生まれついての性を証明し、つっぱっていた。いちおうパンティはそれを抑え込んでいたが、でも、完全には覆いきれず、その先がはみ出すほどになっていた。 サンディはそこで、この状況をどう受けとめ、ことをどう進めたらいいのか、イメージの方向を模索した。自分の本来の性を否定し、自分を女だと思い込んで進めることもできるだろう。一方で、ジェイミのかわいさを基準にして、彼女のことを、ちょっと変わった器官を持つ特殊な女性としてとらえることもできる気がした。 でも、結局のところ、それは、どちらかに決められるようなことではなかった。ジェイミはジェイミ、そして、サンディはサンディ自身でしかあり得ない。サンディは、素直な気持ちで、ジェイミのかわいらしさとともに、そのコックを、愛おしい存在として受け入れることにした。 自分が演じている役割の複雑さに思い煩うことをやめると同時に、サンディは、自分自身の隠されたものが、むくむくと活動しはじめるのを感じた。 そして、その行為を進めるにしたがって、そんな煩悶は完全に消え失せ、自分はけっしてまちがったことはしていないという確信が涌いてきた。 その行為が、相手にどれほどの悦びをもたらすものか、サンディはすでに自分の経験からよくわかっていた。今や彼女は、そんな悦びを与えることに、夢中になっていた。 もちろん、まだそのテクニックは未熟だった。でも、ジェイミは、むりやり腰を突き出すようなことはせず、しんぼう強くサンディの奉仕を受けつづけた。そして、そのことによって、無言のうちにサンディにテクニックを伝授した。 その時が来た。 サンディによってジェイミが興奮の頂点に達し、ほどなく、ショートカットの少女は、ロングヘアの少女の口の中に、エナジーとパッションを注ぎ込んでいた。 皮肉なことではあったが、かつての悲惨なレイプ体験が、サンディに、精液の味と口当たりを堪能させ、彼女は、さほどの抵抗もなくそれを飲み込むことができた。 収縮しはじめたジェイミのものから、最後のクリームをやさしく吸い取った後、サンディは、そこから口を離した。そして、気を失ったように呆けたジェイミの顔を、満足げに見上げた。その1秒か2秒の間、ジェイミは目を白黒させていたが、やがて、微笑みを浮かべ、見上げている友人の顔に目を向けてきた。 「どうだった? あたし、うまくやれてた?」 サンディは、大きな瞳で無邪気そうにきいたあと、気持ちが抑えきれないように、くすっと笑った。 「う〜む、気に入らないわね」 そんな否定の言葉に、今度は、サンディの顔が瞬く間に曇った。と、ジェイミは笑い出し、つづけた。 「たしかに、驚くほどうまかったわよ。でも、あたしの知ってるかぎりでは、あなたは未経験の女の子のはずよ。少なくとも、心からの行為は、これが初めてなんでしょ。なのに、どうしてそんなに上手なわけ?」 その言葉に安心したように、サンディが答えた。 「そりゃ、あたしには、いい先生がいるんだもん」 そして、立ち上がると、ジェイミの隣に寄り添うように腰を下ろした。 と、そこで、ジェイミは、今のサンディの奉仕にお返しするというように、サンディの体に当てた手を下へと滑らせた。しかし、サンディはその手をつかみ、途中で止めた。 そして、こうささやいた。 「今夜は、あたしのための夜でしょ。あたしが、あなたを悦ばすためのね。部屋に戻るまでの間、もう少し、ふたりでいちゃいちゃしてたいの」 ジェイミは、それにうなずくと、ふたりでゆったりと横になれるよう、体をずらしながらベッドに倒れ込んだ。 実際の作戦決行がいつなのか、それを知っているのはマリリンだけで、他のメンバーにはなにも知らされていなかった。しかし彼女たちは、いつその瞬間が訪れてもいいように、本番さながらの演習を繰り返していた。メンバーたちは、どんな不測の事態が起きた場合にも、それぞれの役割の代行ができるところまで、その演習を練り込んでいった。 一方、夜の演習の方も同様につづけていた。彼女たちは、最初の新鮮な感覚が過ぎたあとも、満ち足りた感動を共有できるところまで、それを深めていた。 ある晩、部屋のドアがノックされるのを聞き、サンディはあわてて、もういちど鏡をのぞき込んだ。 その顔は、思わず微笑んでいた。慎ましいジェイミは、これまで、自分の方から部屋にやってくることはなかった。今夜、どうやら初めて彼女の方から訪ねてくれたらしいことがうれしかったのだ。 メイクが完璧なのを確かめた後、サンディはいそいそとドアに向かった。そして、いつもの「悲劇のヒロイン」という表情よりずっと明るい輝くような笑顔でドアを開けた。しかし、そこで彼女は、小さな驚きの声とともに動きを止めた。 そこに立っていたのは、マリリンだったのだ。 「こんばんわ」 マリリンの口調には、これまでサンディが聞いたことのない、どこか躊躇(ちゅうちょ)しているような響きが混じっていた。 「誰だと思ったの?」 「え? あ、いえ、その‥‥べつに」 サンディの方も、ちょっとうろたえながら答えた。 おそらくマリリンは、サンディが誰を待っていたのか知っているのだろう。でも、それ以上追求することなく、こうきいてきた。 「入っても、いい?」 「え、ええ、もちろん」 サンディはそう言うと、ブルネットの髪を揺すりながら、道を空けた。入ってきたマリリンは、いつもものごとをはっきり言うチームリーダーには珍しく、どこか不安げな様子でたたずんでいた。 「あたしがどうしてここに来たか、なんとなく、気がついてると思うけど‥‥」 そのブロンドの女性は、そう切り出した。 「あなたたちがすすめている『特殊訓練』に、あたしも取り組みたいと思ってるの。それには、パートナーがいるでしょ。よかったら、あなたがそれを引き受けてくれないかと思って。ジェイミはたぶん、許してくれるでしょ」 あまりの驚きに、サンディは言うべき言葉を失った。 いや、嫌悪したわけではない。むしろ、わくわくするような気持ちすら抱いていた。 サンディの繊細な少女っぽさに比べれば、マリリンは完璧な女だ。たしかにサンディも、クリスタルの訓練のおかげで、チームの誰にも負けない女性としての魅力を身につけている。でも、彼女の中にはまだ、青臭く田舎臭い少年が生きていた。そんな彼女の目に、ブロンド美人の典型ともいえるマリリンの姿は、この上なく気をそそられる存在として映っているのだ。 とはいえ――その姿がいかに美しいとしても――、将校が二等兵の部屋まで来て、オーラルセックスを申し出るなどということは、思考の限界を超えていた。 もしサンディが、その外見ほどに洗練された会話のセンスを持っていたのなら――イエスであれノーであれ――しゃれた答えを返せたかもしれない。しかし、それさえできず、彼女はしばらくの間、取り乱したようにおろおろしていた。 しかし、そんな逡巡も、サンディ自身の中からわき上がってくるものによって、打ち負かされた。 この間、彼女が体験してきた夜の習慣から、彼女の体はすでに――マリリンが現れる以前から――ほてり、臨戦態勢になっていた。その外見がどうあろうと、いわば「さかり」のついた20歳。目の前のフェラの誘いに打ち克てという方が、どだい無理な話だ。 その結果、サンディは――まあ、ある意味キャラクターには似合った――恥ずかしげな顔で、うなずいていた。 と、その年若い少女の手を取ったマリリンは、そのままベッドまで連れて行った。サンディは、いわばされるままに、そこに座った。 そこでマリリンは、くすっと笑うと、例の頭が空っぽな顔つきになり、言った。 「うふ‥‥。じゃ、おけいこ、はじめるね。あたしぃ、思いっきり感じるセックス・トイになりたいの。‥‥んふ、そりゃあ、あたしだって、やりかたくらい、わかってるわ。だけどぉ、あたし、ほんもの見るの、初めてだから、ドキドキしちゃう」 とたんに、サンディのネグリジェの一部が、むくむくともりあがり脈打った。すでにガフをはずしていることも一目瞭然だった。 マリリンのちょっと体をくねらせるようなセクシーな仕草は、揺れるブロンドとも相まって、素朴な少女の心をエロティックに駆り立てた。サンディのあえぐような息づかいと動悸の高まりを見て取ったマリリンは、さらに媚びるような笑顔を浮かべ、こともなげに支配権を握ってしまった。 「さあ、横になって。うふ、あなたは、なにもしなくていいのよ。全部あたしにまかせて、お勉強させてね」 マリリンは、そのくすくす笑いの中に、これが「お勉強」であることを強調した。 そんな流れに押し流されるように身を任せていると、すぐに、優しいけれど独特なマリリンの奉仕がはじまり、サンディのそこはむくむくともち上がり、若い活力に満ちていきり立った。 そのブロンド美人のテクニックは、ジェイミから受ける刺激とはあきらかにちがっていた。もっとメカニカルというか――こういう行為にそんな言い方が許されるとするなら――もっと知的な感じがするのだ。 とはいえ、それが最高に感じるものであることはまちがいない。おそらくマリリンは、本を読んで、どうやったら男のものを興奮させられるかという知識を正確に得ているにちがいなかった。 またたく間に、サンディは引きつったような声を漏らし、絶頂へと昇り始めていた。 上司から実験材料のように扱われているという奇妙な興奮とも相まったそのうめき声に、マリリンは、ちょっと首をもたげ、唇を引いた。まだ頂点に達するのは早すぎると思ったのだろう。 しかし、彼女がその行為を再開した時、サンディの興奮は、そのままつづけるより、さらに高みへと上昇することになった。そこでマリリンは、とっておきのテクニックを試そうと考えたようだ。怒張したサンディのものを包んだ唇が、根本に向かって、これまで以上に深く降りはじめた。 サンディも、その変化を感じていた。それは、気が遠くなるほどの快感だった。 自分の亀頭が、狭まったマリリンののどに突き刺さるのを感じ、サンディは、ジェイミとの交わりでは一度も経験したことのない鮮烈な感覚が走るのを覚えた。 ほぼ同時に、マリリンの唇が、シャフトの根本まで達し、無毛の下腹部の肌をくすぐった。自分の目でそれを確かめずにはいられなくなったサンディは、思わず首をもたげていた。 見ると、そこには、ゆさゆさ揺れるブロンドのカールに包まれたマリリンの顔があり、その大きく開かれたルビーの唇が、奉仕の対象物をすっかり呑み込んで覆い隠していた。そのせいで、サンディ自身の下腹部は、まるで本物の女性のようにさえ見えるのだ。 と、そこで、マリリンののどの奥でなにかが震えるような感覚があり、それと同時に、サンディは爆発していた。 その衝撃は、マリリンをもはじき飛ばしてしまいそうなほど強烈だった。その瞬間、ブルネットの娘の体は弓のようにしなり、ハイヒールは床を蹴って宙に浮き、のけぞった頭が、ボディ全体をはね上げた。 それでもマリリンは、まるでロディオのチャンピオンのように、サンディの体のすべての痙攣を乗りこなし、そこをくわえつづけた。 サンディに現実感が戻りはじめ、それが萎えてきたところで、やっと、マリリンはそのナマのおしゃぶりから口を離した。 その顔に、これまで演習中に何度も見た自信にあふれた笑みが広がった。唇の端を持ち上げるその笑みは、恋人を天国に導いたという――まあ、世間の常識から見れば、地獄絵ともいえるが――満足感の表れにちがいない。 ここまでにもう、ふつうではない性役割を演じることの恥ずかしさや嫌悪感を克服してきたサンディは、もちろんそれを、天国ととらえていた。この間、能動的にも受動的にもセックスを楽しむすべを知ったことで、ジェイミとの初めての時のような混乱を見せることもなかった。 白黒させていた目の焦点が合ったとき、サンディは、自分の中から自然に湧き出した新たな称賛のほほ笑みとともに、そのリーダーであり恋人でもある人物を見つめていた。 ところが、それに対するマリリンの反応は、くすくす笑いと例のペルソナとともに、その称賛のまなざしを、軽くいなしてしまった。 「あ〜ん、もぉ、最高」 ブロンドを揺らして体を起こしながら、マリリンは言った。 「こんなにすてきなことだって、どうして教えてくれなかったの? そしたら、あたし、もっと早くしてあげてたのに。いじわるね」 そこでサンディは、その言葉を遮るように手をさしのべ、彼女の腕をとって、ベッドの上に座らせた。 「‥‥えっ、そんな。あたしはべつに、いいのよ」 マリリンは訓練によって習得した女の甘え声を残しつつも、冷静な大人の態度を取り戻して言った。 「ううん、お返しとか、そんなんじゃないの。あたしが、したいの。あなたが‥‥ほしいの」 サンディは、そう言うと、ベッドを滑り降り、そのブロンド美人の前にひざまずいて、太腿にかかったネグリジェの裾を引き上げた。 マリリンはまだ「武装」を解いていなかった。つまり、ガフを着けたままだった。そのせいで、隠れていたものを引っ張り出した後、それが勢いを取り戻すまでに、多少の手間が必要だった。でも、やさしい指でなで、つやのある唇でくわえ、いたずらな舌でなめると、柔らかかったそれが見る見る堅さを増し、ついには、立派な軍人にふさわしい力強さで屹立した。 いつもジェイミにしているのと同じように愛情を注ぎ込むことで、マリリンが感じてくれているのが、サンディにはうれしいことだと思えた。 一方でサンディは、はるか上の階級の士官に対し、こんなふうに力を及ぼしていることに、奇妙な興奮を抱いてもいた。その興奮は、ブロンド美人のもだえ声が次第に大きくなるとともに、さらに高まっていった。 ふつうの女性ならそれだけで耐えられない、のどの奥への圧迫を、サンディが甘受できたのは、もしかすると、例の残虐なレイプ事件の皮肉な結果だったかもしれない。 以前、同様の攻撃の恐怖を味わっているぶん、逆に、その感覚を体が覚えていた。マリリンのコックが徐々に侵入してくる衝撃は、少なくともあの時に比べれば、ショッキングではなかったし、どうしてもがまんできないことでもなかった。 いや、がまんどころか、関係をより深く受け入れることは、むしろ喜びだとさえ思えた。 もちろん、古代から生物が発展させてきた吐瀉反応に抗うことは、けっして楽ではないのだが、この世で最も尊敬している人物と愛を分かち合うことは、この上ない悦びだと感じられた。 マリリンのシャフトを徐々に下りていた唇が、その根本の肌に口紅の跡をつけたところで、サンディは、ちらりと目を上げた。と、マリリンのブルーの瞳が震えるように動いた。それを見たことで、サンディのグリーンの瞳も喜びにあふれ、彼女はあることを決意した。さっき、マリリンが感じさせてくれたのと同じ感覚を感じさせてあげたいと思ったのだ。 でも、具体的に、のどをどう使えばいいのか? ちょっと考えた末、サンディは、その亀頭を丸ごとのどの奥に吸い込むようにした。とたんに嘔吐感がこみ上げたが、そのぜん動が、マリリンの亀頭を絞りあげるように働いた。先刻と同様のことが、立場を変えて起こっていた。いや、その効果は先刻よりもすごかったようだ。 マリリンの体は、強力なバネのように張りつめて弾み、サンディはその荒馬にはねとばされそうになった。さらに、そのエレガントな口もとから訳のわからない叫びを発しながら、マリリンは、まるでブロンドのカールとハイヒールの先がくっついてしまうほど弓なりにのけぞった。しかし、実際にそうなる前に、マリリンのものから次々になにかが発射された。音も聞こえず目にも見えなかったが、それは直接サンディの胃に向かって猛烈な勢いでほとばしった。 しばらくして、マリリンのものが出て行ったとき、サンディは、自分がそのクリームの味さえわからなかったことに気づいた。発射位置が、舌の味蕾よりずっと奥だったからだ。 「‥‥ふぅ、すごかった」 マリリンがため息をつくように言ったので、サンディは思わず笑ってしまった。 「ふふ、すごいのは、そっちでしょ。すごくいい女だったわよ」 「ふたりとも、すごくいい女で、すごくいけない子ね」 マリリンも、笑い返した。 「これで、あたしも準備完了。いよいよ作戦開始ね」 「えっ、ほんとに?」 サンディは驚いてきいた。 「ええ」 マリリンは、それに大きくうなずいた。 「今夜はよくやすんで。ジェイミには、あたしから、今夜あなたは来られないって言っとくから。明日中に準備して、あさってには出動よ」 chapter 4 Trapped? chapter 5 Tragedy! chapter 6 Tranquil? chapter 7 Trance? chapter 8 Trail's End? chapter 7 Trance? ‥‥恍惚? マリリンがサンディに告げたとおり、二日後、チームは旅立った。 彼女たちは、例のふた組のトリオに分かれ、別々の航空会社の別々の空路をたどって、しかし、どちらの組も二日うちには、エル・スプレモの国の隣国に到着していた。 それぞれが降り立った街から、さらにしばらくの間、観光を装った旅行をつづけ、ふた組は、次第に、貧しいエル・スプレモの国と接する国境地帯へと近づいていった。目指したのは、以前から拉致と思われる行方不明事件が頻発している町だ。 目的の町に入ってからは、そこに腰を落ち着け、それぞれのトリオごとに、毎日ほぼ同じスケジュールで行動した。同じ時間帯に同じレストランで食事し、同じ道を歩くわけだ。 残された問題は、いつ拉致の手が伸びてくるかということだったが、それは結局、時間の問題でしかなかった。 ある暗い夕暮れ、ホテルへの帰り道を歩いていると、マリリンが、キャロルとサンディに警告するようにささやいた。 「どうやら来たみたいよ。わかってるわね。がんばっちゃだめ。多少の抵抗はするにしても、すぐに捕まること」 うかがい見ると、たしかにふたつの影が、いかにもという感じの忍び足で近づいてきていた。その感覚に、サンディの脳裏には思い出したくない記憶がよみがえり思わず黙り込んだが、他の二人は、薄明かりの中に入ってきた人影に気づいていないそぶりで、おしゃべりをつづけていた。 そのはしゃぎっぷりは、ちょっとわざとらしい感じがしないでもなかったが、襲撃者たちは不審を抱いた様子もなく次第に距離をつめてきた。 いちおう、この手の工作のスキルは持っているのだろう。エル・スプレモの手下たちは、女三人の拉致なら、男二人でじゅうぶんだと考えているようだ。 たしかに、その襲撃は手際よかった。 まず片方の男が腕をつかみ、驚いて声を上げようと開けた口に、すかさず、もう一人がボール型の猿ぐつわをかませる。最初に声を出せなくしておいて、その後、さらなる拘束を加えるのだ。 一瞬後には、すべてが終わっていた。 サンディたちは全員、後ろ手に革手錠をはめられ、その上、肘のあたりも幅広の革ベルトで固められていた。両肘が触れるほど強く絞られたにもかかわらず、肩の靱帯を痛めずにすんでいるのは、つらい訓練によって得た柔軟性のたまものだろう。 さらにもう一本の革ベルトが両脚にかけられ、女らしく柔らかなふくらはぎに食い込んで、歩行の自由を奪った。 そして最後に、他のものほど痛みはないにしろ、彼女たちの自由を完全に奪うものが着けられた。目隠しされたのだ。 マリリンの忠告どおり、彼女たちはたいした抵抗もしなかったのだが、拉致犯たちは、そうは感じていないらしい。すべてがかたづいたところで、男の一人が、忌々しげになにか毒づいた。やはり、エル・スプレモの国の言葉のようだ。 「おい、静かにしないか」 もうひとつの声がそれをとがめたが、男はまだ不平をつづけた。 「だってよ、この赤毛のスケ、俺の指を噛みゃあがったんだぜ。その上、このブーツで、ここを蹴りゃあがった」 それに対して、もう一人は笑いながらからかった。 「いつまでも口ん中に指を突っ込んでるからだろうが、まぬけ。そんなまぬけだから、大事なとこを足蹴にされんだよ」 「ちくしょう、もし、またあんなまねしやがったら、今度はこいつの歯を全部抜いて、俺の大事なものをぶち込んで‥‥」 そこまで言ったところで、男たちが緊張したように口をつぐんだ。どうやら、もうひとり別の人物が近づいてきたようだ。 と、すぐに、命令口調の声がした。 「馬鹿者! そんな冗談は、口が裂けても言うな! 貴様らは新兵だから知らんのだろうが、この前、総統閣下の虜囚に手をつけたと疑われた連中がどんな目にあったか、よく覚えておけ。総統閣下はときどき、新参の女たちを首実検なさる。それだけでなく、この前は、何を思われたか、女たちの体まで検査することをお命じになった。膣や、直腸や、胃の中をな。すると、そのうちの一人の体から精子の痕跡が見つかったんだ。実際には、その女が、拉致される直前に男とやっていたのかもしれん。しかし、総統閣下は、そうはお考えにならなかった。女を拉致してきたチーム全員を、即刻、去勢し、目をつぶしてしまわれた。その上、両手を切り落とさせたんだ。それだけじゃないぞ。その男たちを、そのまま、ハレムの中に解き放った。おそらくやつらは、ハレムの女たちにやさしくいたぶられながら死んだんだろうよ。だからな、もし貴様が、この女たちに手を出そうとでもしたら、その前に‥‥、俺が貴様を殺す!」 なんとか理解できたその言葉を聞きながら、サンディは、どうやら、すぐ危うい目にあうことはなさそうだと思った。 ただ、当面の危険がないということは、苦痛がないということではない。手首を固めた革手錠や、あごをしびれさせ始めた猿ぐつわは、とても快適なものとは言えなかった。 次に耳に入ってきたのは、無線機のガーガーいう音だった。電波状態が良くないらしく、無線機の向こう側の言葉は――覚えたばかりの外国語でもあり――ほとんど理解不能だ。しかし、こちら側でしゃべるリーダーの言葉は、声の調子からも、拉致の成功を報告しているらしいことがわかった。 数分後、軍用トラックらしい車がやってきて、彼女たちは、それに乗せられた。そこでもまた、危険とは言わないまでも、けっして心地よくはない扱いを受けた。無造作に荷台に放り込まれたのだ。 しかし、体が荷台の床にぶつかる痛みは感じずにすんだ。 そこにはすでに何人かがいて、その柔らかな体がクッション代わりになったからだった。 折り重なった不快さを解消しようと、お互いがもぞもぞと体を動かしたが、手と脚を固定された状態では、なかなか思うようにいかない。しかし、その体の接触だけで、もう一組のトリオも首尾よく拉致されたことを知るにはじゅうぶんだった。 手枷足枷に猿ぐつわ、さらに目隠しまでされ、チーム全員が、エル・スプレモのもとへと護送されていた。いや、先刻の彼らの会話から察するところ、どうやら「総統」と呼ぶのが正しいようだ。 五感のほとんどに制約を受けている彼女たちにさえ、いつ国境を越えたのかがわかった。ある時点から、道路状態が極端に悪くなったからだ。 そしてまた、その総統とやらの宮殿に近づいた時も、おおよそ見当がついた。今度は、ずっとつづいていた荷台の揺れがおさまったのだ。おそらく、宮殿の周辺にだけ、自動車に乗れる特権階級が住んでいるということだろう。 そのドライブに要したのが何時間――あるいは何日――だったか、ずっと暗闇の中にいた彼女たちには判断がつかなかったが、ともかくも、やがて車は止まり、彼女たち六人は、屈強な男たちの肩に担がれて運ばれ、どこかよくわからない場所に立たされていた。 手足を縛られ、そびえるようなヒールを履き、足の指を動かしてちょっと位置を変えることさえままならない状態で、彼女たちは危うくバランスをとっていた。 と、そこへ、女の声が響いた。 アクセントもほぼ正しく、はっきりと聞き取れる英語だったが、その語調は、なにかの祈祷のように平板で抑揚のないものだ。同じ単語が必要以上に繰り返されるせいかもしれない。 「おめでとう。お前たちは、今日から、偉大なる総統閣下のご奉仕組に加わることになりました。お前たちは、その美しさによって、偉大なる総統閣下に選ばれた者たちです。つねに人民の幸せを願い、果てしない労苦を重ねておられる偉大なる総統閣下を、お前たちの美しさでお癒しし、お慰めする。女としてこれほど名誉なことはありません。その名誉ある役割を果たし、ここで暮らしていくために、お前たちが守らなければいけないルールは、至って簡単です。まず第一に、その美しさをつねに保ちつづけること。もし、偉大なる総統閣下が、奉仕組の中に魅力のない女を見つけられたときは、女官長たる私の責任が問われます。ここには、お前たちが美しさを追求するために必要なもの‥‥化粧品も、服も、スタイルを維持するための運動設備も、すべてが揃っています。それらを利用して、つねに自分自身を磨き上げておきなさい。もちろん、見かけだけでなく、心の美しさも大切です。悲しそうな顔や、ふてくされた顔、また、ここの暮らしが楽しくないという顔をしている女は、魅力のない女だと見なされます。そんな女は、ここでは存在を許されません」 そこで一区切りあり、女の声はつづいた。 「第二に、お前たちには、貞操を守る義務があります。もちろん、偉大なる総統閣下に対しては、そのかぎりではありません。偉大なる総統閣下がお求めになったときには、喜んでお前たちのすべてを捧げなさい。偉大なる総統閣下のお悦びは、お前たちの悦びとなり、お前たちの体は、その悦びにうち震えることでしょう。そんな時は、偉大なる総統閣下のお疲れになった心をお癒しするために、できることはなんでもしなさい。偉大なる総統閣下のお求めになることには、どんなことにもすすんで従うこと。そこに、いっさいのためらいは許されません」 さらにその声は、同じ調子で陰惨な内容を告げた。 「第三に、もしこの宮殿内で、偉大なる総統閣下のお許しを得ていない男を見かけたときは、即刻、お前たちの手で抹殺しなさい。そのための武器が、宮殿内のあちこちに用意されています。何らかの事情で武器が使えない時にも、歯や爪などを使い、お前たち自身の体を投げ打ってでも、その義務を果たすのです。たとえその男が、お前たちの父親や兄弟であろうとも、躊躇することは許されません」 そこで、語調がちょっと強まった。 「最後に、お前たちが知っておかなければならない規則がもうひとつあります。今言った内容を、もし守れなかった場合、お前たち自身が、すぐさま罰を受けるということです。死刑ではないまでも、それに等しい罰だと心得ておきなさい。もちろん、奉仕組としての仕事を拒否したり、ここから脱走しようとした場合には、それ以上の罰が課せられます。ここに来たからには、これまでの人生はすべて忘れなさい。偉大なる総統閣下のもと、今日から新しい人間に生まれ変わるのです」 そこで、新参の女奴隷たちから目隠しがはずされた。 彼女たちの目は、自然に、今の声の主を探した。 そこにいたのは、話の内容ほどではないにしても、えもいわれぬ不気味さを漂わせた女だった。彼女たちより年上であることはまちがいないが、40代なのか、あるいは、もしかすると90代なのかさえ見当がつかない。思ったより小柄ではあったが、それは、女としての柔らかさがすべてそぎ落とされた結果として、ダイヤモンド並みに硬い芯だけが残ったという感じだった。 その姿から漂う威圧感は、このハレム全体を、神のような力で意のままに支配していることをうかがわせた。真っ黒な瞳孔の中にある異様なギラつきは、その傲岸さが、目と同様に真っ黒な邪心から発しているものであることを如実に物語っていた。 ここへ連れてこられた若い女たちは、おそらく彼女を見たとたん、その姿に震え上がり、抵抗する気力も萎えるのだろう。しかし、マリリンのチームのメンバーは――面白いことに、全員が同じイメージを心に抱きながら――冷静に観察していた。 この女が支配する世界がどんなものなのかはまだよくわからないが、この女のことは、みんなよく知っていた。姿形はちがっても、その威圧感は、彼女たちが「エル・スプレモ」と呼んでいたインストラクターのそれにそっくりだったのだ。今の言葉にしても、最初の日にエル・スプレモが浴びせかけてきた脅しの言葉と同じ響きを持っていた。 要するにそれは、新入りたちの自尊心を打ち砕くことだけが目的の虚勢なのだ。それを見抜き、メンバー全員が、彼女のことを恐るるに足りないと感じていた。 全員の目隠しがはずされたのを確認したところで、女がつづけた。 「私の名は、スカダ。ここのルールが守れるかどうか、お前たちひとりひとりにききます。今言ったように、反抗することは許されません。しかし、すすんでそれに従うというなら、この宮殿の中で自由に暮らすことが保証されます」 そう言うと、彼女はまず、マリリンに目を向けた。その完璧な女らしさは、まだ十代かそこらにしか見えない他のメンバーとはあきらかにちがう。スカダという女もそう感じたらしく、マリリンを新入り奴隷たちの事実上のリーダーと見なしたようだ。 マリリンは、女の顔を見てうなずいた。 と、一人のハレムの女が近づき、マリリンの肘とふくらはぎを縛っていた革ベルトを解いた。 ハレムの女官長は、そのあと、年齢が上だと判断したらしい順にメンバーたちに顔を向け、それぞれがうなずくのを確かめた。やはりいちばん若く見えるらしく、サンディが最後になった。 それぞれの脚の縛りが解かれて歩けるようにはなり、肘の絞めつけがなくなって腕や肩の痛みからも解放された。しかし、それですべてが自由になったわけではなかった。 「もし今後、私に逆らったらどうなるかを心に刻みつけるために、猿ぐつわと手錠は、明日の朝までそのままにしておくことにします。夜が明けたら、他の女たちにはずしてもらいなさい。以上です」 その言葉とともに、女官長と取り巻きの女たちが部屋を出て行った。 残されたメンバーたちは、しばらくそこに立って、痛むあごや、未だ自由のきかない両手首がどうにかならないかと、ごそごそ体を動かしていたが、やがて、お互いの顔を見合わせ肩をすくめた。 それにうなずいたマリリンは、向きを変え、さっき女たちが消えた廊下へと歩き出した。 時刻はすでに真夜中を過ぎているようだ。夜明けまではほんの数時間だろう。 そう思い部屋を出た新入りの女奴隷たちは、その夜明けまでの時間、それぞれ、一見、出口を求めてさまようかのようにハレムの中を歩きまわった。 あごと手首をこんなふうに拘束されていては、どうせゆっくりと休めない。それなら、早いうちに、ハレム内部の構造を頭に入れておきたいと考えたのだ。 例によってヒールが6インチのブーツを履き、つらそうに歩くキャロルでさえも、その目的をとげるため、ハレムの中をくまなく見てまわったようだ。 まるで果てしない歴史の中をさまようような時間の後、窓の外が白みはじめ、やがて、太陽の光が差し込んできた。 メンバーたちはそれぞれに、起き出してきた女を見つけ、自由を奪っていたあとふたつの縛りを解いてもらった。大きく伸びをしたあと、その女たちに礼を言うのもそこそこに、彼女たちは、差し迫った用を足すため、化粧室をさがし飛び込んだ。 その個室でスカートの下から引っ張り出したものはもちろんのこと、今後、彼女たちは自分たちの正体を隠し通さなければならないわけだが、個室を出て化粧直ししている間も、周囲の女たちから不審を持たれた様子はない。実際、そこにあったさまざま化粧品を使い、拉致によって乱れた顔を直し終えた頃には、彼女たちは、美人揃いのハレムの女たちの中に完全に溶け込んでいた。 衣装部屋にずらりと並んだ衣類の中から適当なネグリジェを選んで着替えた彼女たちは、お互いの無事を確認したあと、手近なベッドルームに入り、足りなかった睡眠をとることにした。 六人が起き出したのは夕方近くだったが、例のハレムの女官長はとがめ立てもしなかった。どうやら、彼女たちの姿がハレムになじんでいることで、昨夜の女たちだという見分けさえつかなくなっているようだ。 いずれにせよ、ことを起こすまで目立たない方がいいのはまちがいなかった。 それで彼女たちは、他の女たち同様、きれいなドレスを着、食事中などもおとなしくし、従順に状況を受け入れているふうを装っていた。 一方で、新入りの女たちがいっしょにいることは何の不思議もなかったから、彼女たちは集まって、ひそひそと女の子っぽくおしゃべりするようなこともできた。そこで交わされていた会話が、じつは「作戦会議」だったとしても、その様子を不審がる者はいなかった。 お互いが得た情報を交換することで、数日中には、ハレム内のおおよその様子は把握できた。あと足りないのは、生物戦研究所の科学者たちの動向だけだった。 言うまでもなく、侵入は、夜、研究所の中が手薄になった時を狙わなければならない。ところが、どうも、夜も当直の科学者がいるらしく、なかなかそのタイミングがつかめないのだ。 彼女たちは、数日間、内殿につながっていることがわかった通路の入口を交替で見張りつづけ、彼らの出入りを探った。 そんなある日、マリリンがチーム全員を招集し、こう告げた。 「いよいよ決行よ。今夜、研究所はカラになるわ。遅くとも11時までには、全員が出て行くそうよ。なんでも、明日、国家的な催しがあって、重要人物が研究所を視察するらしいの。だから今夜は、すべてをきれいにかたづけて、研究所から退去するように言われてるらしい。いい? 例の通路前に11時半に集合。武器はそれぞれで用意してくること。ただし、音のするものは禁止。‥‥他に、何か質問は?」 「そんなこと、どうやって、わかったわけ?」 バナが不思議そうにきいた。 「悪いけど、それは言えないの」 そんなマリリンの答えに、バナの目がちょっと陰った。そして、その陰りが他のメンバーにも広がった。 ここまでいっしょに闘ってきた仲間に対し、秘密を持たれることは、心外だと感じたのだ。 しかし一瞬後には、全員がうなずいていた。これまで、マリリンの判断に間違いはなかった。それに今夜は、軍隊としての精度、軍隊としての統制が要求される時なのだ。もともと、彼らの関係は将校と兵卒。この一年間演じつづけてきた女友だちとしての関係の方が、本来ありえないことだった。 メンバーたちの顔つきは、その瞬間、陸軍軍人に戻っていた。 ここにそろえられている服が、派手な色目で、かつ動きにくいものばかりだというのは、ある意味しかたのないことだろう。靴はどれも華奢だし、スカートはみんなタイトで、戦闘には不向きだ。 メンバーたちは、できるかぎり短くてスリットの深い服を探し、色はなるべく地味なものを選んだ。そして、靴を脱ぎ裸足になった。 予定どおりの時刻に例の通路で落ち合った彼女たちは、すばやくその中に進んだ。しばらく行くと、小部屋のような場所があり、ドアの前に、鎖につながれた最初の女がいた。 うなだれて床に直に座った彼女は、きつく目隠しされ、縛られた両手にはミトンのカバーが被されていた。首輪につながれ壁に固定された鎖は短く、せいぜい寝ころぶか、ひざまずくかの範囲でしか、行動の自由はないようだ。思ったとおり、そのミトンカバーからはケーブルが延び、それがドアへとつながっていた。 メンバーたちはそこで、コンスタンスの顔を見て、うなずき合った。彼女にはこれ以上進む手だてがないわけだから、当然、ここで別れることになる。ここに残り、人が来るのを見張るのが彼女の役割だ。 お互い、もう一度うなずき合ったところで、マリリンが、胸を張るようにし、鎖につながれた女に近づいた。 その前に立つと、マリリンは、無言のまま、目隠しされた女のあごをつかみ持ち上げた。もちろん、低い声が出せないではないのだが、この間身についてしまった言葉の抑揚から、不審を抱かれるのを防ぐためだ。 そこでスカートをたくし上げ(女が目隠ししていなければ、きっと驚いたにちがいない)、その姿には似つかわしくないものを取りだしたマリリンは、それを、とらわれの女の口へと運んだ。 すると女は、まるでオートマトン(自動機械)のように、それをくわえ、激しく首を前後に振り始めた。 ほぼ一瞬後、女の口は、その労働への報奨として、マリリンの精子を受けていた。 反射的に、ミトンに包まれた彼女の手がかすかに動き、それに連動して研究所に向かうドアが開いた。 そのドアがどれくらいの時間開いているのかわからなかったこともあり、マリリンは、すかさず、そこを通り過ぎた。と、ドアをすり抜けた足もとがちょっと沈む感じがあり、それとともにドアが閉じた。どうやら通り過ぎたところで、床のスイッチが作動してドアが閉じる仕組みらしい。これなら問題はないだろう。 以前入手した情報どおり、ドアは二重構造で、マリリンのすぐ目の前にもうひとつのドアがあったが、こちらの方は、後ろのドアが閉まると同時に自動的に開く。一度に一人しか通れないようにするとともに、内から外に向かう場合は、それを判別して、二枚のドアが自動で開くための仕組みだ。 そのふたつ目のドアの向こうには、さらに内殿への通路がつづいていた。内部では一団となって動く方がいいと考えたマリリンは、そこで他のメンバーを待った。 さほどの時間を要さず、メンバーたちも次々に、例の「通行料」を払い、その二重ドアを通ってきた。 「オーケー」 最後にサンディが入ってきたところで、マリリンはうなずいた。 「急ごう。でも、音は立てるな」 司令官然とした言葉づかいになっているマリリンを先頭に、彼らは廊下を進んだ。 彼らは銃器を携帯していなかった。ハレム内に備えてある銃にはサイレンサーつきのものがなかったからだ。ただ、それぞれがナイフの類は身につけていた。 この分野で、サンディのメイクスキルに負けないほどの才能を発揮するのはバナだ。ことにナイフ投げは、百発百中の腕前である。そんなこともあり、バナは、他のメンバーより多くのナイフを持ってきていた。服のあちこちからナイフのつかが突き出るその姿は、まるで美しく突然変異した新種のヤマアラシといったところだ。 しばらく行くと通路の脇にドアがあり、このドアにも鎖でつながれた女がひとりいた。ドアの脇の壁には「研究者休憩室」のプレートがある。おそらく科学者たちが着替えたり、仮眠をとったりするエリアなのだろう。 見ると、女の口が傷つき、赤むけたようになっている。よほど乱暴に扱われたようだ。マリリンが言っていたとおり、今夜、科学者たちは、全員がそそくさと着替え、出ていったにちがいない。 近づくと、目隠ししているにもかかわらず、女がすすり泣いているのがわかった。彼女を救ってやりたいという思いはやまやまだったが、そんな気持ちを抑え、メンバーたちは無言で前を通り過ぎた。 その頃、外に残されたコンスタンスは、他のメンバーたちが思ってもいない行動をとっていた。じつは、サンディの姿が最初のドアに消えるやいなや、持ち場を離れ、ハレムのはずれへと向かったのだ。 いくつもの部屋を通り抜け、いちばん奥まで行ったところに、メンバーたちがまだ一度も足を踏み入れたことのない厳めしいドアがある。このハレムで「罪」を犯し、罰を下された結果、生死の境をさまよっている女たちが「収容」されている部屋である。 そのドアを開け、暗い室内に入ったコンスタンスは、横たわり、小さなうめき声をあげているひとりの女に近寄った。 「コニー」 コンスタンスは、ささやくように、そう呼びかけた。 「コニー、目を覚まして」 その言葉に、女はぼんやりと目を開けた。 どこからか漏れてくる薄明かりだけでも、その女が、美人揃いのハレムにふさわしい美貌の持ち主であることはよくわかる。体はそうとうに痛めつけられているようだったが、その顔にケガはないようだ。もし彼女が生き延びたなら、また、ハレムの中で最も残酷な役割につかせようという思惑からにちがいない。 しかし、美人であるという以上に、そこにはもっと驚くべき事実があった。その顔は、今、彼女の上にかがみ込み見つめている人物と生き写しなのだ。そこには‥‥コンスタンスが二人いた。 もし、この様子を誰かが見ていたなら、二人が双子であることにすぐ思い至るだろう。ただ、しばらく見ていれば、その容貌が微妙にちがうことにも気づくはずだ。 横たわったコニーの方が、起こそうとしているコニーより、顔の輪郭がやわらかい。エレガントな顔つきに変わりはないものの、彼女の方が、よりやさしい感じを抱かせるのだ。さらに、その姿がか弱くに見えるのは、ケガをしているからだけでなく、白鳥のように細い首をしているからでもあった。 彼女の目が、目の前の人物の顔に焦点を結ぶのに、1分近くかかった。そして、それと同時に、彼女は驚いて身を引いた。 「‥‥だ、誰?」 しかし、その声は、叫ぶというより、ささやくようなものになっていた。コンスタンスの正体を反射的に悟ったせいかもしれない。 いや、コンスタンスと呼ぶのは、もはや正しくないだろう。チームの中で最もエレガントだと思われていたその人物は、他のメンバーがこれまで聞いたことのない声でこう答えていた。 「しっかりしないか、コニー。自分の兄貴の顔も忘れたのか?」 「‥‥えっ? ダニエル? どうして、こんなとこに‥‥? それに、その格好は、なに‥‥?」 「だから、お前を助けるためじゃないか。ここに来るには、こんな姿になるしかないだろ。お前を救い出すために、僕は、お前が情報を送っていた人たちに近づいて、この作戦への協力を申し出たんだ。さあ、行こう。動けるかい?」 「ここから逃げ出すチャンスがあるなら、飛んでだってみせるわ」 本物のコニーはそう言ったが、体を起こしただけでつらそうにうめいた。 ダニエルは、あわてて、その体に手を添えながらきいた。 「いったい、どうしてこんな目にあったんだ?」 「内殿のドア係をやるためには、あのスカダに反抗的な態度をとる必要があるの。私は、これまで何度もそうしてきたわ。今朝も、あの女を怒らせるために、わざとヘアセットせずに髪を乱れたままにしておいた。そしたら、いくら言ってもきかない娘だって、お仕置きされたの。たぶん、あばら骨が2本は折れてると思う」 彼女は、そう説明しながら、女装した兄の助けを借り、なんとか立ち上がった。 しかし、折れた肋骨のせいで、兄に引っ張り上げられた時にも、そして、兄がそのなで肩でかつぐように腕を支えた時にも、痛そうな顔をした。けっきょく兄は、妹の体を両腕で抱くようにして歩かなければならなかった。 そのせいで、彼らの足取りはどうしても遅く、一刻も早く持ち場に帰らなければならないコンスタンス‥‥いや、ダニエルは、気が気ではなかった。途中、かねてから見つけておいた安全な隠し場所に本物のコンスタンスを寝かせると、彼は、内殿の入口へと急いだ。 一方、その内殿の中では、いくつかのドアを通り抜けたメンバーたちが、研究所の細菌貯蔵施設の前までたどり着いていた。 そこには、もちろん、目隠しされ鎖につながれたドア係の女がいた。 ただ、その少女っぽい女の様子は、これまでの女たちとあきらかにちがっていた。 その手にはミトンのカバーが被されておらず、ただ後ろ手に縛られている。肘も、メンバーたちがここに連れてこられた時と同様の太い革ベルトで動かないように固定されていた。つまり、どこにもスイッチらしいものを持っていないのだ。 少女の上半身は裸にむかれて乳房が露出し、下半身にだけドレープのたくさんついたスカートを履かされていた。そのスカートが広がる下に低いスツールがあり、どうやらそこに腰掛けさせられているようだ。 その姿を見て、メンバーたちは、無言で顔を見合わせ、首をかしげた。 どこか不自然に上体を張りつめ直立させたその少女が、男のものが張りつめて直立するのを、どうドアに伝えるのかが不可解だ。 しかし、とりあえず、ドアを反応させる方法はそれしかないのだろう。 そう考えたらしいマリリンが、少女の前に進み出た。 と、その気配を感じた少女が、すぐに口を開いた。それで、マリリンは、自分のものを取り出すと、その口に持っていった。 とたん、少女は、まるでむしゃぶりつくという感じでそれをくわえ、すぐに猛烈な勢いで首を前後しはじめた。その姿は、色情に狂っているようにも見えるが、一方で、早くそれをすましてしまいたいという感じにも見える。 そんな行為を受け、チーム司令官の男らしさは、またたく間に証明された。 その噴射と同時に――少女がスイッチを押した様子がないにもかかわらず――ドアが開き始めた。 ただ、その瞬間、緊張していた少女の体から、ふっと力が抜けた感じがした。 次は、当然、バナの番だった。 彼女は、このハレムに来た時から、アップに結った髪の中に小さなカプセルを隠している。例のすり替え用感染媒体が入ったカプセルである。彼女が中に入らなければことははじまらないのだ。 マリリンが通ったドアが閉まった時から、鎖につながれた少女の体はふたたび緊張し、不自然に直立した姿勢に戻っていた。そして、2番目の「男」に対しも、すぐに狂ったようにその行為を始めた。 バナもまたたく間に絶頂に到達したが、恋人どうしの行為として訓練を積んできた彼女たちにとって、この少女の機械的な奉仕は、やはり味気ないものとしか感じられなかった。 どうなっているのかはよくわからなかったが、ともかく、またドアが作動し、バナもそこを通っていった。 問題が起きたのは、ジェイミの時だった。 ジェイミが自分のものを差し出すと、いったんそれをくわえた少女が、拒否するようにむせた。そして、体を反り返らせるようにして、ジェイミのものをはき出したのだ。 「あなた、誰?」 少女は、目隠しされた目で相手を探るようにして、きいてきた。 とまどったジェイミが黙っていると、少女は、ふたたび口を開いた。 「誰なの? あなたは、総統閣下じゃないでしょ。ここを同時に通れるのは、総統閣下がいっしょにいないかぎり、二人だけなのよ。もし、三人目が通ろうとしたら、大きな声で助けを呼べって言われてるわ」 「‥‥くそっ」 キャロルが小声でつぶやいた。 サンディは、その少女をじっと見つめていた。 その緑の瞳は、今の少女の言葉に含まれた意味を吟味していた。少女は、不審者が来たら叫べと言われているようだ。それにもかかわらず、今、彼女は、叫ぶのでなく問いただしてきた。 もしかしたら、この娘を味方につけることができるかもしれないと感じた。 しかし一方で、それ自体が、こちらの秘密を探る罠である可能性もあった。 今ここでとれる道はふたつしかない。彼女を説得し協力を求めるか、それとも、気絶させて力ずくで通るか。 しかし、ドアが開く仕掛けがわからない状態で、気を失わせてしまうのは得策ではないと思えた。 「‥‥いいかい? よく聞いて」 サンディは、少女に向かい――男の声で――ささやいていた。 「僕らは、この中に用があるんだ。君が力を貸してくれるなら、僕らは、必ず君をここから救い出してあげるよ」 「そんなこと、できるわけないわ。そんなことすれば、あなたたちだけじゃなく、私まで殺される」 少女は、震えながらも、そう反論してきた。しかし、まだ、叫んだりはしなかった。 「もし、君が協力してくれないというなら」 サンディは、ちょっと脅すような調子で言った。 「君からドアのスイッチを奪うまでさ。少なくともあと一人は、ここを通る必要があるんだ。さあ、スイッチはどこにあるんだ?」 「それは、無理よ。だって、私はスイッチなんて持ってないもの。スイッチは‥‥私の中、‥‥その‥‥つまり、私の‥‥あそこに突き刺さってるんだもの。男の人のあれをくわえた時、私のあそこが絞まる力でスイッチが入るの。それ以外のことで、無理に絞めようとすれば、私は殺される」 「いいじゃないか。ここには君と僕らしかいないんだ。通してくれよ。そしたら、僕らは必ず君を逃がしてあげるから」 「だめ! そんな約束、信じられない。それに‥‥、私、男のものをくわえた時以外、力が入らないんだもの‥‥」 「わかったよ。じゃあ、そうするまでさ」 混乱している少女を制するように、サンディが言った。未だ叫び出さないところを見ると、彼女はあきらかにここから逃げたがっていた。それをじゃましているのは、見つかった時の恐怖だけのようだ。 最初こそ「総統」の調教によって真性のマゾヒストにされているのかと思ったが、どうやら、恐怖からそう振る舞っていただけらしい。ここの女たちの多くが、じつはそうなのかもしれない。 実際――と言うべきか「にもかかわらず」というべきか――、ジェイミが歩み寄ると、少女は従順にそれをくわえ、ドアを開ける作業を始めた。 中に入るとすぐに、ジェイミはマリリンに、外で起こっていたことを報告した。それを聞き、マリリンはすぐに、サンディとキャロルが中に入ってこないつもりらしいことを悟った。殺人細菌のすり替えは、三人だけでやるしかないようだ。 計画とはちがったが、こうなった以上、例のドア係の少女がへたな動きをしないよう見張っていることが、サンディとキャロルの優先任務だ。この部屋に残されたさまざまな痕跡から、目的の細菌のありかを探り出すためには、サンディの洞察力に頼りたいところではあったが、それはあきらめるしかないのだろう。 そう思いながら部屋を探索しはじめたマリリンだったが、数分後には、彼女自身が、細菌が保管されていると思われるキャビネットを指さしていた。 すぐさまジェイミがその鍵を開けると、たしかにそこに目的のものがあり、すかさずバナが、その中身をすり替える作業を開始した。 これほど的確な判断は、マリリン以外にはなしえなかったにちがいない。しかし、ジェイミもバナも、マリリンの判断力の鋭さには慣れていたから、それを当然のことと受けとめていた。 その作業はほんの数分で終わり、彼らはその場をあとにした。 「ボス、問題が生じました」 マリリンたちが出てくると、サンディは――聞いている例の少女に、できるだけ正体を悟られないよう――いつもとはちがう男っぽい声と言い方で言った。 「ここの仕掛けの詳細を、彼女‥‥名前はジェニファーというそうですが、‥‥彼女から聴取しました。彼女の座るスツールからは、油圧スイッチを仕込んだ張り型が突き出ていて、それが体に挿入されているのだそうです。ドアが閉まった状態では、その張り型が体内で巨大になって抜くことができない。つまり、それが彼女の体を固定する役割も果たしているというんです。彼女の膣に大きな力がかかった時だけ、それがしぼみ、ドアが開く。しかもそれは、彼女の意思ではどうすることもできず、彼女が誰かのものをくわえた時だけ起こるらしいです」 ジェニファー自身を目の前にしてそんなことを言うのは忍びない気もしたが――まるで先刻のジェニファーの行為のように――感情を込めない機械的な口調で、サンディは報告をつづけた。 「ここまで苦労して成し遂げたことを、やつらに感づかれ、台なしにするわけにはいきません。そのためには、まず第一に、彼女をその仕掛けからはずして連れ去る必要があります。つまり、もう一度彼女にあの行為をさせなければなりません。そして第二に、われわれのうち一人が、彼女の身代わりとなって、あのスツールの上に座って張り型を体に入れ、固定される必要があるということです」 そこでサンディはちょっと口調を変え、けっして重々しく聞こえないように言った。 「さあ、言ってください。その任務にふさわしいのは誰ですか?」 しかし、その目の奥には、恐怖の影が潜んでいるのもたしかだ。 今の言葉に、チームメンバーたちは、目隠しし鎖につながれた少女を見やった。 彼女の髪は、サンディと同じ黒のストレートロング。目隠しさえすれば、おそらくサンディは、彼女と見分けがつかなくなるだろう。そして、サンディの以外のメンバーでは、それは無理なことだった。 「そ、そんなことを、君に命ずるわけにはいかない」 マリリンは、珍しく動揺したように言った。 「わかってます。ですから、これは‥‥志願です」 サンディは、ふたたび、重々しくならない口調で答えた。しかしそれは、あきらかに自分の中の恐怖を隠すため、短い言葉を選んだという感じだった。 もちろん、チームメンバーには、誰ひとりとして膣はないのだから、その張り型を体内に入れるとすれば、方法は一つしかない。そして‥‥。 ジェニファーに取って代われるのはサンディだけかもしれないが、そこへの、卑劣で残酷で暴力的な強姦を経験しているのもまた、サンディだけなのだ。 いや、そのトラウマがどうのという以前に、現実に肉体上の問題もあった。拷問のような経験でいったんは破壊された彼女の下半身の組織が、新たな拷問に耐えられるとは思えない。しかも、今度の拷問は、おそらく人間のサイズをはるかに超えた、まぎれもない拷問具によるものなのだ。 サンディはそこで、まるで平生と変わらないとでもいうように顔の前に降りてきた髪を振り払ったが、それがじつは、思わず出てしまった身震いを隠すための行為だったことが、彼女をよく知るメンバーたちには痛いほどわかった。 にもかかわらず、気合いを込めるように背筋を伸ばしたサンディは、全員が見つめる中、ジェニファーの前につかつかと歩み出た。 「さあ、いい子だ。今度は僕のをくわえておくれ。イカせてくれたら、そこからはずしてあげるよ。そして僕が、君の役を代わってあげよう」 その言葉に、ジェニファーは、意味がわからずとまどったようだ。いや、とういより、これ以上規則違反を犯しつづけることの結果を恐れたのかもしれない。サンディのものを口に含みはしたが、その行為はおずおずとしたものとなった。そのせいで、サンディはなかなか目的を達せられなかった。 しかし、やがて、ジェニファーは、その若い軍人の鼓動に誘われるように、首を振り始めた。もしかすると、ここから逃げ出せるかも知れないという思いが勝ったのかも知れない。 いずれにせよ、サンディは間もなく、それを果たしていた。 細菌保管施設につながるドアがふたたび開き、同時に、その見えない拘束具から解かれたらしいジェニファーが、ゆっくりと腰を浮かし立ち上がった。 サンディーは思わず、彼女が立ったあとのスツールを見やっていた。その中央から突き出たものは、今のところ、そんなに大きくはない。親指とさほど変わらないくらいの太さだ。さらにその表面は、ジェニファーが出したらしいジュースで濡れていた。とりあえずはこれが、潤滑剤の役目も果たしてくれそうだ。 「これが、そんなに大きくなるのか?」 サンディは、思わず聞いていた。 「めいっぱい」 その責め具から解放されたジェニファーは、まるで他人ごとのように言った。 「それは、イケるね」 サンディは、ため息をつきながらそう言うと、着ていたものをすべて脱ぎ、ジェニファーの例のスカートを身につけた。そして、そのいまわしい装置に向かって、ゆっくりと腰を落としていった。 大きく広がったスカートを持ち上げ、沈んでいくと、その出っ張りが尻に当たった。すぼまった筋肉をゆるめる努力をしながら、彼女はそれを自分の体に納めようとした。 しかし、それはそんなに簡単ではなく、尻の肌がスツールにつくまでには、ずいぶん時間がかかった。 「だいじょうぶか?」 マリリンが、まるで新婚初夜の夫のようにきいた。 「え、ええ‥‥平気。さあ、始めて」 サンディも弱々しい声でそう答えてから、言い直した。 「つまり、その‥‥ドアを作動させて」 まだ細菌保管施設のドアは開いたままだから、侵入の痕跡を隠すためには、そこを閉めなければならない。 サンディが覚悟を決め目を閉じると、誰かがいったんドアを通り、すぐに出てきた。 ドアが閉まると、サンディの体の中の機械のペニスが、ぐいっ、ぐいっと、その大きさを増しはじめた。 目を閉じたサンディは、最初こそ平静を装っていたが、やわらかい組織が押し広げられ、弾力を失っている古傷が張りつめた時点で、小さな声を漏らした。それがやがてうめき声に変わり、さらに、あえぎながらの呪いの言葉へと変わった。 スカートの下で、最初の血の一滴が吹き出したのがわかった。 「マ、マリリン‥‥」 サンディが、思いを振り絞るように言った。 「約束してください。予定通り、早くここを脱出して。僕を待とうなんて思わないで。僕は、かまわない。この作戦の意味をじゅうぶんにわかっているから」 「ああ、この作戦は、必ず成功させる」 マリリンは、それに応えて約束した。 「われわれには、この作戦を完璧にやり遂げる義務があるんだ」 痛みに耐えるためぎゅっと目を閉じていたサンディには、その時、マリリンが「われわれ」という言葉に込めた決意の表情を見ることができなかった。そして、そんなマリリンに対し、他のメンバーたちが強くうなずいたのもわからなかった。 サンディを置き去りにはしない。 チーム全体がそう思っていることを確認したマリリンは、すぐに次の司令をくだした。 「キャロル、ジェニファーは君に任せる。いつ気が変わるかもしれないから、目隠しはそのままで。サンディの服を着せて、なにかで縛って猿ぐつわもしよう。ジェイミは、彼女から首輪や手錠をはずして、サンディにつけてくれ。‥‥サンディ、すまない」 その言葉に、サンディはうなずいたが、体の内部から押し寄せる痛みに、何を謝られたのかさえよくわからなかった。今の彼女にできるのは、先刻までのジェニファーのように、ひたすら背筋を伸ばし、その痛みを少しでも和らげようとすることだけだ。 ジェイミは、つらそうな顔で、しかし手早く、ジェニファーからはずした首輪や手錠や肘のベルトをサンディの体に装着していった。 サンディは、まるでそれが自らの義務だとでもいうように、上半身を直立させ、されるままになった。 最後に、固く閉じた目の上にさらに目隠しがされ、サンディは、地獄の責め苦にさいなまれながら、暗黒の闇の淵へと下りていった。 サンディをそこに残し、拘束した少女を連れたチームメンバーたちは、内殿の出口へと急いだ。夜はすでにその大半が過ぎ、研究所に人が戻ってくる時刻が近づいていた。 人に気づかれることなく、なんとか最後の二重ドアにたどり着いたメンバーたちがそこを抜けると、コンスタンス――だと未だ彼女たちが思っている人物――が待っていた。 メンバーたちは気づかなかったが、マリリンだけは、出てきた瞬間にコンスタンスに目をやり、彼女がかすかにうなずくのを確かめた。 コンスタンスの側は、ドアから出てきたメンバーが一人足らないことに驚いたようだったが、その代わりに、縛られ目隠しと猿ぐつわをされた少女がいるのを見て、中で何が起こったのか、おおよその察しはついたようだ。メンバーが戻ってきた以上―― 一部の手違いはあったにせよ――その目的を果たしたことも明白だった。 その場には最初のドア係の女がいたから、マリリンの目配せで、彼女たちは無言で通路を引き返しハレムに戻った。手近な部屋に身を隠すと、そこで、マリリンが新たな命令を下した。 「ジェニファーは連れて逃げることにする。キャロル、まず、彼女を、脱出まで見つからないところに隠してくれ。そのあと、近衛兵の制服を一着調達すること。他のメンバーは、サンディを奪還するための任務を遂行する。とりあえず、もう一人、身代わりになりうる女を捜さなければならんが‥‥」 「し、しかし、そんなことをしている時間はないでしょう」 ジェイミが、ためらいながらも異を唱えた。 「あと十分もすれば夜が明けます。そうなれば、研究所の中にも人がやってきます」 「ああ、わかってる。日中、もう一度潜入するための何らかの手は考える。それまで、サンディには耐えてもらうしかない」 マリリンは、確固とした口調でそう言い、同時に、今チームメイトの一人が陥っている苦境を、あらためて全員に思い起こさせた。 しかし、その間、サンディが味わっていた苦しみを、本当にわかっていた者は誰ひとりとしていなかった。誰も実際にはその痛みを感じていないというだけでなく、もし、誰かひとりがサンディの代わりになっていたとしても、サンディほどの苦しみを味わうことはなかっただろう。 なにしろ、サンディだけが、肉体的にも精神的にも大きく傷跡を残したアナルレイプの経験者なのだ。肥大したその責め具ではち切れそうな彼女の直腸は、心臓の鼓動ごとに、鋭い痛みを全身に走らせていた。そこから流れ出した血は、すでに彼女の体を貧血状態にし、抵抗する力を奪うだけでなく、生存まで危うくしていた。 それでも、まだ彼女は耐えていた。生きようとする思いを体の中に保っていた。チームメイトすべてと同様、こことはちがう価値観を持つ世界を希求する心を失ってはいなかった。 また一方で、まさにかつての悲惨な体験が、そんな気持ちを支える力ともなっていた。前に一度、この烈火に焼かれ、そこから生き延び、ふたたび立ち上がってきたという経験が、サンディの心の支えにもなっているのだ。 彼女は自分のことを、一人の人間というより、苛烈な環境の中でも生き延びてきたあらゆる生物の代表ででもあるかのように感じていた。二度に及ぶ悲惨な体験を、地球誕生以来、何度も生物たちを襲った烈火としてとらえ、生と死のボーダーラインの上でバランスをとりながら、危ういダンスを踊っていた。 しかし、さらに激しい痛みがつづくうち、次第に頭が空白になり、そんな考えすらも持てなくなってきた。 部屋の照明がこれまで以上に明るくなった時も、目隠しされた彼女はそれに気づかず、意識は、その空白の中に溶けそうになっていた。 しかし、近づいてくる足音に気づいたことで、サンディはなんとかその意識をつなぎとめた。 その足音は、どすんどすんという男っぽいもので、チームメイトたちのものでないのはすぐわかった。 サンディはそれに落胆したが、一方で、緊張から分泌したアドレナリンが、意識をはっきりさせてくれた。そのおかげで、精神的混乱を取り繕うこともできた。 近づいてきた何人かの足音が、彼女の前で止まった。 「おお、総統閣下。この女は、これまでにも増して上玉ではないですか。見かけない顔だが、新人でしょうか?」 その声は、必要以上に弾んだ口調でありながら、その中に媚びと恐れが入り交じったものだった。 「なに? ふむ、わしも覚えのない顔だ。今日は、黒髪でスタイルのいい者を置けと命じておいたから、そのとおりではあるが‥‥。もし、これでは重点エリアにふさわしくないと言うなら、明日は、巻き毛のブロンドでもっと胸の大きいのを手配させよう」 こちらの声は、くぐもったような低音だったが、時折、オーバーヒートしたベアリングのように神経に障る「音」が混じる。 いずれにせよ、彼らが話しているのは「総統」の国の言葉だ。つまり、女を機械としか見ない国の言葉、美人かどうかは語れても、彼女の内面については語れない言葉である。 「いえいえ、総統閣下のコレクションの中に、人を失望させるようなものがあろうはずもございません。中でもこれは、一級品中の一級品でしょう」 「ふむ、そんなに気に入ったのなら、お前にやってもいいぞ。ただし、わしが味見したあとにな。お前が言ったように、たしかにこの顔に記憶はない。なのに、なぜここにいるのか? 見るところ西洋人、それも呪うべきアメリカ人のようだ。まあ、楽しむなら、アメリカ娘がいちばんだがな。なにしろ、こいつらは、ぜいたくに育って耐えることを知らん。それだけ、いたぶり甲斐もあるというものじゃて」 そこで言葉が英語に切り替わり、サンディに問いかけてきた。 「お前、英語はわかるか?」 サンディが無言でうなずくと、いきなり、平手打ちが飛んできた。そのせいで、サンディは、後ろに大きくのけぞり、内部で固定された下半身がさらにきりきりと痛んだ。 「わしがきいたことには、ちゃんと言葉で返事をせんか」 頭上から、怒鳴り声が飛んだ。 「‥‥は、はい、総統閣下。英語なら話せます」 痛みにあえぎながら、サンディは答えた。 「ふむ、で、お前は、わしに抱かれたことはあるのか?」 「いいえ、総統閣下」 「ならば、なぜ、お前がここにおる? スカダは、わしが手をつけるまで、新しい女にこの手の仕事はさせぬはずじゃが」 「二日前、あたしは、お化粧をサボりました。それで、その罰として、どこかのドア係をしろと言われました。あたしが、それはできないと言うと、女官長様はさらにお怒りになり、ここを担当しろと」 サンディは、自分の運命を甘受したとでもいうように、感情のない声で答えた。 「なぜできぬなどと言った?」 不機嫌そうな声がそう聞き返した。 「あたしはまだ、女官長様がおっしゃるようなことを一度もしたことがありませんから」 「ん? つまり、お前は、まったく男を知らぬと?」 その声に、今度は下卑た響きが混じった。 「はい、総統閣下、これまで、あたしは男の人と手をつないだことさえありません」 サンディは、大きくうなずき、無垢な娘としての演技をつづけた。 と、それを聞いた「総統」が、突然、ひきつるように激怒した。 「なんだと! スカダは、お前の処女を、わしではなく、そんな機械に奪わせたというのか」 サンディは、それに答えなかったが、その必要もなかったようだ。 先刻から、いっしょに入ってきたもう一人の男が、サンディのまわりを調べている気配は感じていた。誰だかはわからなかったが、どうやらその男は、サンディの座り方がおかしいと気づいたようだ。そして、ドレープのスカートをまくり上げ、スツールの上にたまった血の海を見つけた。 「おお、総統、ご安心ください。有能なる臣下、スカダはけっして忠誠を破ってはおりません。ご覧ください。こやつは、こんなふうに総統のプレゼントを楽しんでおります」 男がサンディの後ろに回ってスカートを持ち上げたおかげで、サンディの正体が完全にばれることがなかったことだけは幸いだった。 「おお、さすがスカダじゃ」 総統は、嘲笑のこもった声で言った。 「この装置をまさかこんなふうに使うとはな。この女も、男を知る前に裏の味を覚えられるとは、この仕事もさぞや楽しかろう」 まわりを取り囲んだ何人かの男たちが、大声で笑った。それは、男っぽくパワフルな笑いのつもりかもしれないが、サンディの耳には、まるで、ガキ大将たちが虫眼鏡でアリを焼き殺して笑いあっているような幼稚な残酷さに聞こえた。 それ以上の会話もなしで、男たちの一人がサンディの前に立った。そして、その唇に、なにかが押しつけられた。サンディは、その最初の一人に対して、ドアを開くためのサービスを始めた。 直腸の筋肉はすでに激しく痛み、うまくいくかどうか自信はなかったが、息がつまるような発射と同時に体が痙攣し、サンディはなんとか、その装置を絞めあげることができた。 ドアが開き、体の中の張り型が小さくなった。しかし、腰を浮かせて逃げ出せるほど収縮する前に、その男はドアを通ってしまった。張り型はふたたび巨大化し、彼女の体を内部から拘束した。ほんのつかの間の神経の休息は、ふたたびやってきた責め苦をかえって大きなものに感じさせ、サンディを絶望的な思いにさせた。 そんな一瞬の弛緩と新たな責め苦が次々に繰り返され、一人、また一人と、男たちがサンディの前に立ち、そしてドアを通っていった。そのサイクルごとに加えられるその部分の損傷に、サンディは力ない悲鳴を上げ、さらに血を流した。 研究所の外で身を隠した他のメンバーたちは、次なる計画を練っていた。すでに研究所が動き出し人が増えているこの時間、秘かにサンディを救い出すためには、これまでとはちがう偽装工作をとるより他に手はない。そこでマリリンは、ついに決断した。 「しかたない。コニー、いよいよ君の出番だ」 マリリンの目配せに、メンバーたちは首をかしげたが、当のコンスタンスだけは、うなずいて立ち上がった。 その姿を見上げた他のメンバーは、次の瞬間、あ然とすることになった。コンスタンスがその赤毛の髪に手をかけると、それがすぽっとはずれたからだ。さらに彼女は、着ていた服まで脱いだ。そこに現れたのは、まぎれもなく男らしい姿だった。その胸はなんの手も加えられておらず、その髪は軍人のクールカット。チームの中で唯一、本物の女性だと思われてきた人物は、まわりを取り囲む女装者たちの誰にも増して男そのものだった。 「隠していて申し訳ない。僕の本当の名は、コンスタンスではなく、ダニエル・マクリーンというんだ。じつはそもそも、この作戦をマリリンに提案したのは僕なんだ。それが成功できることを彼女に確信してもらうためにも、僕はあえて体にも手を入れずにいた。女装して女として振る舞うことにこれだけ習熟した君たちにだって見破れなかったことが、その証明になったってわけさ。それに、作戦が思わぬ局面を招いた際、君たちにはできない役割を担うためにも、僕は男のままでいたんだ。たとえば、今みたいにね」 ダニエルはそう言うと、キャロルがどこかから盗み出してきた近衛兵の制服を身につけていった。さらに、頭からはずした「コニーのウィッグ」の一部を切り取り、くすねてきたらしい化粧品をも利用し、太い眉や簡単には見破られそうもない口ひげを巧みにつくっていった。 ダニエルがその作業を進めている間に、すでに、キャロルとジェイミは、サンディの身代わりにすべき女を物色しに出ていた。サンディにうり二つというような女はそうそう見つからなかったが、ここにいる多くの女の中には、長い黒髪でスタイルのいい者はいくらでもいた。そんな中から、二人は身代わりの女を選び出した。総統のため、あるいは、もしかするとハレム女王スカダのためかも知れないが、ハレム内のあちこちにSM用の責め具がそろっていた。その中から、目隠しや拘束具や猿ぐつわをさがし、二人は手早く女を縛り上げた。 その女を受け取ったダニエルは、横抱きに抱きかかえると、人のいないすきを見計らい、例の内殿への入口へと向かった。そして、例の「通行料」を何度か払い、研究室へと急いだ。 ダニエルがサンディのいる場所までやって来た時、すでにサンディの裾からもれた血が床にまで広がり、その顔は完全に蒼白になっていた。ただ拘束されていたというだけでなく、何人かの人間たちが、つまり、何本もの男根が、彼女を責めさいなんだ末に通り過ぎていったのは明らかだった。それでもまだ、彼女の体内の冷酷な機械は、彼女を責めつづけていた。 サンディの意識はすでに生と死の狭間をただよっているようだが、失神しそうになるたびに、か弱い金切り声を上げ、体を起こした。体が傾くことで、中の責め具が烈火の痛みを与えるからにちがいない。 ダニエルが近づいても、もはやサンディには、その足音を察知する力も残っていないようだった。女官長が交代の要員を連れてきたのかも知れないのに、それにすら関心が示せないほど、意識は遠のいている。 それを悟ったダニエルは、拷問具の上のチームメイトに顔を寄せ、呼びかけた。 「サンディ、意識をしっかり持って。助けに来たよ。さあ、いっしょに帰ろう」 後に思い出そうとしても、サンディはこの時のことをほとんど覚えていないという。ただ、ある単語だけが、はっきりと耳に残っていると。 「帰る」 その言葉だけが、彼女の意思をかろうじてつなぎとめた。 目隠しをはずされたサンディは、その意思の力で目を開き、前にひとりの男が立っているのを見た。‥‥近衛兵? 意識が戻り、体の中に突き刺さっているものの痛みがぶり返したこともあり、その男を見るサンディの目に、警戒の色が浮かんだ。その警戒は、もちろん、サンディがまだ「ダニエル」を知らないからなのだが、それでも、その目にはどこか、サンディを安心させるものがあった。 ダニエルが同じ言葉をもう一度ささやいたことで、そして、そのささやきにも安心をもたらす響きがあったことで、サンディの心は、痛みのせいで引きずり込まれていた絶望の淵から、少しずつ浮上をはじめた。 でもそれは、けっして容易なことではなかった。だいいち、そこから逃れるためには、少なくとももう一度、その痛みに立ち向かわなければならないのだ。 「サンディ、すまない。でも、この局面を打開するには、こうするしかないんだ。なにも、僕を最後までイカそうとしなくてもいい。これをいくらかストロークして、それであのドアが開くのならば‥‥」 ダニエルはそう言いながら、ズボンの中から、そのものを引っ張り出した。 でも、ダニエルはわかっていなかった。すでにひどく損傷しているサンディの括約筋は、そのメカニズムを始動させるには、あまりにも力なかった。 結局、ドアを開けるだけの力を加えるのに、数分を要した。 彼女の口に入ってきたものが大きな圧力を加え、さらにそこから大量に発射されたものが彼女の体内に圧力を伝えることで、その力を借りるようにして、なんとかスツールの突起物を絞り上げることができたのだ。 ドアが開いたのを見るやいなや、ダニエルは、サンディの体をその忌まわしい機械から持ち上げた。 代わりに連れてきた――本来まったく罪のない――少女を、そこに据えることに、ダニエルは心が痛んだ。せめて、悪い病気にかかったりしないよう、その機械をきれいにすべきだとも思った。でも、その時間すらなかった。 彼は、心を鬼にして、新しい見張り女を,そこに座らせた。 名前も知らないその少女は、そのとたん体を震わせたが、目隠しされ、縛り上げられていては、どうすることもできないと思ったのだろう。その運命を甘受するとでもいうように、卑劣な変態マシンの上で、大人しくしていた。 ただ、彼女のこの状態が、長く続くわけではないだろう。ハレムの女官長、スカダは、この少女を、昨日からここにいたジェニファーだと思っているのだから、間もなく交代要員を送るはずだ。 実際――これはダニエルの知らぬことだが――、その頃スカダは、総統の有無を言わせぬ命を受け、金髪カールで乳房の大きな女を用意し、交代の準備を整えていた。 ここの規則では、ドア係の任を解かれた女は、ハレムへと戻される間、しばられ、猿ぐつわをされ、目隠しされることになっている。そこで、ダニエルは、サンディに対してもそうしたのだが、サンディ自身は、それをまったく覚えていないという。多量の出血で貧血状態に陥っていたというだけでなく、長時間つづいた極度の疲労から、自分の身に起こっていることを認識しようとする気力さえ萎え、ほとんど自失状態だったからだ。それはこのあと、最終的に彼女の身柄の安全が確保された時までつづく。 ともかく、ダニエルは、チームのメンバーたちが待っていた内殿への通路の入り口までサンディを連れ出すことに成功した。 そのあと彼は、ふたたび「彼女」の服装に戻った。ただ、その髪型の一部には、いつもきちんとしていたコニーには似つかわしくない乱れがあった。例のつけひげのため、一部がざんばらに切られていたからだ。 chapter 4 Trapped? chapter 5 Tragedy! chapter 6 Tranquil? chapter 7 Trance? chapter 8 Trail's End? chapter 8 Trail's End? ‥‥作戦完了? マリリンは、ハレムからの脱走を、日没直前に決行すると決めた。 完全に日が落ちてから女たちが出入り口のゲートに近づけば、そこに立つ警備兵が警戒することはまちがいない。まだ空が明るいうちに至近距離まで近づいて警備兵を襲撃する。脱出に成功すれば、あとは宵闇のシェルターが追っ手から守ってくれるというわけだ。 チームのメンバーたちは、この怪物のような体制を支える何びとであれ、また何であれ、消し去ることにためらいはなかった。むしろ、サディストの自称「総統」につきしたがう者たちの命を奪うチャンスを、歓迎さえしていた。 先陣を切ったのは、身長のあるキャロルだった。彼女は、例の六インチのヒールがつくり出すはすっぱな気取りとともに、ゲートに近づいていった。マリリンが、やはり男の目を引きつけざるを得ない「ゼリーが弾む」歩き方でそれにつづいた。 ハレムを牛耳る女官長スカダは、かつて逃亡を謀った女たちがどんな悲惨な死に方をしたかを示すことで恐怖による支配をつくり出し、もう、脱走など考える者はいないと慢心しているにちがいなかった。 これは、さほど驚くことではない。すでに朝鮮戦争の頃には、半ダースの警備兵で数百人の囚人をコントロールする無慈悲な捕虜政策ができあがっていた。決め手となったのは、警備兵の銃に込められた弾丸の数だ。たとえば暴動でも起こせば、集団脱走も可能だろう。でも、先頭に立った者たちは確実にその自動小銃の餌食となる(そして、大半は死ぬ)。それを知りながら危険を冒す者などいないのだ。 このハレムの女たちを管理する手法も、まさにそんな脅しによるものだった。囚人たちの心を恐怖で満たし、脱走など考えも及ばなくしているのだ。しかしその「脱走などあり得ない」という思いは、警備兵の心にまで浸透し、やはり慢心を招いていた。 マリリンとキャロルは、こちらを向いた警備兵の気を引くように笑いかけながら近づいていった。じつは、その陰に隠れ、小柄なバナも秘かに忍び寄っていた。 ある地点まで来たところで、キャロルが、髪をかき上げるようにし、イヤリングを落とした。 それを拾い上げようと上体を折り曲げるキャロルの動きに誘導され、ことに、そこに伸びたすらりと長い脚に吸いつけられるように、警備兵の視線が下に流れた。 その瞬間、キャロルの陰から飛んだバナのナイフが、のど仏に突き刺さったのを、警備兵自身さえ、認識するいとまはなかった。 次の瞬間、チーム全員が動いた。今、必要なのは、なによりスピードだろう。ただ、残念ながら、今のチームには、そのスピードを望めない事情もあった。 バナは、警備兵ののどからナイフを抜くと、銃を奪い取った。 マリリンは、そこでいったん建物の方に戻った。猿ぐつわと手錠をしたままのジェニファーを連れて来るためだ。とはいえ、ジェニファーは脚の自由はきいたから、動けないわけではない。 問題は、サンディだった。極度の貧血状態で半ば気を失っている彼女を連れ出すのは容易ではない。彼女は、無意識のうちにも歩を進めようとしていたが、実際には、ジェイミが抱えるようにして運ばなければならなかった。さらに‥‥。 最後に、ふたたび近衛兵の扮装に戻って現れたコンスタンスの腕の中には、やはり瀕死状態に見える‥‥コンスタンス?。 それを見て、マリリン以外のメンバーはあ然とした。 「いい? 聞いて」 マリリンが言った。 「彼女こそ、本物のコンスタンス・マクリーンです。先に潜入して、ここの情報を伝えてくれていたのは彼女なんです。もちろん、彼女も連れて帰ります。拷問で肋骨を負傷しているようなので、みんなの協力が必要です。もうこれ以上、あなたたちに隠していることはありません。あとは、追っ手をまき、いくつかの警戒線を突破するだけです。さあ、行きましょう」 こうして、チームはハレムを抜け出した。 それは思ったより簡単に見えるかもしれない。しかし、全体主義の国家というのは、概してこんなずさんさを持っているものだ。恐怖による支配は、いつしか恐怖にしか反応できない国民性をつくり出し、人々を怠惰にしてしまう。 弱っているメンバーたちをかばいながら、モータープールまでやってきたところで、ジェイミが一台のバンのキーロックを解き、エンジンを始動させた。 全員が乗り込んむと、ダニエルが運転席に着いた。 しばらく走ったところにあった検問所で、ダニエルは、新たにハレムに供給する女たちを調達しに来ているのだと告げた。警備兵は、後部の車室にちらりとのぞく猿ぐつわのジェニファーを見ただけで、ゲートを開けた。なにより、ダニエルが着ている近衛兵の制服がパスポートになっていたのだろう。 もちろんこれはスポーツではないのだから、フェアプレイが要求されるわけではない。ここでも、バナのナイフで警備兵の命を奪うこともできた。しかし、彼女たちはその男を生かしておいた。彼はいずれ、この夜、ここを通ったのは、男が運転する車だったと証言する唯一の目撃者になるのだから。 その頃、宮殿では、警備兵の死体が発見され、さらに、女たちの何人かが姿を消しているのも発覚した。うち6人については、最近同時に移送されてきた女たちで、そもそも誰かの脱走を手助けするために共謀していたのではないかという推測もされた。しかし、いっしょに消えたあと2人の女たちとの関係ははっきりしなかった。 ともかく、少なくとも1人の負傷者を含む8人の女たちに対する捜索命令が直ちに発せられた。 人々が同等に扱われる社会でなら、その命令も効力を発揮しただろう。 しかし、総統が治める国は、そんな洗練された社会ではなかった。 当の総統自身の身辺を警護するエリートの制服は、それ以外の制服を着た兵士たちに有無を言わせなかった。彼らにとってその制服の権威は、逃走者などでなく、むしろ追跡者として映った。彼らは、バンの後部をあらためることもなく、あわてて道路封鎖を解いた。もちろん、捜索の対象は逃亡した8人の女たちで、男は含まれていなかったことも大きい。 もし兵士の一人でも、ダニエルに疑問を持ったのなら、彼は後に、総統から勲章ももらえただろう。しかし、ダニエルに対してまともに口をきける兵士さえ、一人もいなかったのだ。 こうしてチームは捜査網をかいくぐり、国境までたどり着いた。 マリリンは、彼女らしい周到さで、脱出地点にある隣国の町に医療チームを待機させていた。チームメンバーたちの「特異体質」をよく心得ている医者や看護師たちだ。 その国は友好国だったから、そこから先は公然と、アメリカ大使館の公用車で空港まで行くことができた。 総統の束縛下から逃れて14時間後、チームはモンタナの基地に戻っていた。 ジェニファーに男姿と女姿の両方を見られたのは、チームメンバー中、じつはダニエルだけだった。だから、ダニエルについては、ジェニファーも、ハレムに潜入するため女装していたのだろうと考えていた。しかし、他のメンバーについては、ちょっとした誤解をしていた。例の研究室につながれている時、彼女は目隠しされていたことで――その上、あんなことをしたわけで――、自分をそこから救い出したのは、男性の部隊だと信じ込んでいたのだ。そして、ハレムに戻ったところで女性たちに引き渡され、彼女たちといっしょに逃げたのだと。 さらに帰国後、彼女はこんな話を聞かされた。「総統の国の工作員は合衆国にも潜入しているから、もし君がハレムから脱走してきたことがわかれば、必ず連れ戻され、ひどい目に遭う」と。それは、「国家機密を守れ」などというより、確実に効力を発揮した。その結果、ジェニファーは、証人保護プログラム(※)を受け入れ、新たなアイデンティティとして生きることになった。 (※訳注 ‘the witness protection program’重大事件の証人の身を守ることを目的に,実際にアメリカにある制度 いわゆる「お礼まいり」などを防ぐため、まったく別名・別人格のパスポート、運転免許証、社会保険番号などが交付され、新たな住居や生活費など、さまざまな保護・援助が受けられる) 本物のコニーもまた、チームの秘密の核心を知っているわけではなかった。彼女も、ジェニファー同様、別人として生きることになった。 さらには、ダニエルまでもが、それを選んだ。 以前なら、彼女?‥‥彼がチームを去ることは、他のメンバーの悲しみとなっただろう。訓練中、コンスタンスが見せていた、どこか冷たく距離をとった態度は、他のメンバー同様、女としてのベルソナだと思っていたのだから。しかしそれが、家族同然になったメンバーに対し、ある秘密を持っていた結果だとわかった今、どうしてもそこに、見えない溝ができてしまった。もちろん彼女たちは、今でもコンスタンス‥‥ダニエルのことが好きだし、尊敬もしていた。しかし、その溝が、どうしても修復できないことがお互いにわかり、別れることにしたのだ。 訓練に集められ、途中で脱落していった兵士たちは、もとの部隊に戻された。復隊にあたり、彼らはもちろん、機密を漏らさないよう厳重に勧告されたが、今後、無期限とも言える長期にわたり、監視を受けることになるはずだ。 とはいえ、彼らの口から機密が漏れる危険は少ないだろう。もし、大量殺人ウイルスが無害なものにすり替わっているという情報を、かの総統が知れば、ふたたび,その最終兵器をつくらせるのは必至だ。そんなことになれば、彼ら自身の生命さえ危ういのだ。その事実は、身柄の拘束以上の拘束力を持っていた。 そんなわけで、今や五人となったチームのメンバーたちは、帰国して数日後の夕方、ラウンジに集まっていた。 サンディの体調はほぼ回復していたが、その瞳は、さらに深い憂いをたたえたものになっている。悲惨な体験で心を引き裂かれた無垢な少女‥‥そのはかなげな印象は、人々から、守ってやりたいという衝動をさらに引き出すだろう。それはもはや、ベルソナの域を超え、「サンディの真実」にさえなろうとしていた。 いや、サンディだけではない。他のメンバーたちも、このミッションを経た今、女として育ててきたペルソナが、もともとの人格だと思えるほどになっていた。 「それにしても、ほんとに長い道のりでした」 マリリンが、穏やかな微笑とともに言った。 メンバーたちは、マリリンへの同意というより、それぞれのたどってきた道を思い出すようにうなずき、先を促した。 「そして今夜、私たちには、新たな選択が求められています。今、『私たち』と言ったのは、これが私の命令ではないからです。私自身もふくめ、それぞれが自発的に決めなければならないことです。じつは、私たちのもとに、ある招待状が届いています。それに応えるため、今のうちに決めておかなければならないことが三つあります。その招待は、大統領からなんです。大統領とファーストレディが、私たちに会いたいと言っています。もともと、このミッションの最高司令官は大統領だったわけですから、招待自体は、拒否することのできない命令と言っていいでしょう。でも、そこからが問題です。大統領と夫人は、できれば、女の姿で来てほしいと言っているんだそうです。そこで第一の選択は、それに応えるかどうか。これについては、強制はされていませんし、全員が同じ選択をする必要もありません。なにを着てどう振る舞うかは、各人に任されています」 マリリンは、そう言って全員を見渡すとつづけた。 「次に二番目の選択についてです。たとえ大統領との会見に女として出席したとしても、そのことで、私たちがもとの性に戻る機会を奪われるわけではありません。会見までには時間もありませんから、その間に体をもとに戻す手術をするのは無理でしょうが、そのあとなら、望む人には、それに必要な手立てを講じるようにと言われています。もちろん、今の状態をつづけたいという人にも、それにふさわしい境遇を準備する権限が私には与えられています。その場合は当然、もとの部隊に戻るわけにはいきませんから、ダニエルがそうしたように、新しいアイデンティティとして生きることになります」 マリリンはいったん言葉を切って、ふたたび全員の顔を見た。 「ただ、そこに三つ目の選択が出てきました。じつは大統領が、私たちのチームの存続を望んでいるようなのです。今回のミッションの成功を見て、大統領は、このユニークな能力を活かせる事態が、ふたたび起こるかもしれないと考えたようです。私たち自身がそれに応える決断をすれば、陸軍の特殊部隊として、このまま残留できることになりました。もちろんこれは、以前の志願の際に要求した範囲を超える話です。あなたたちは、もうじゅうぶんに任を果たしました。私も、以前のように、義務とか、名誉とか、国家とかを持ち出すつもりはありません。あなたたちはすでに、それを体現しています。その上に立って、私たちのチームが持つ能力が、国にとって有効か、いえ、必要かどうか、それぞれの自由意思で判断してください」 そこで、全員が考え込むような時間があったあと、マリリンがふたたび口を開いた。 「大統領との会見の予定は、一週間後です。そこで私たちは、どう振る舞い、大統領になにを話すのか‥‥?」 その言葉に――以前もこんなシーンがあったが――全員の視線がサンディに集中した。コンスタンス/ダニエルがいなくなった今、彼女が事実上の副司令官になったという以上に、彼女がチームの中で最も多くのことを体験し、なかんずく、新しいライフスタイルに伴う苦難を、一身に受けているからだ。 その姿は、思いに沈んでいるように見えた。一瞬、そのグリーの瞳の中に、鋭い痛みが走ったのもわかった。 しかし、一瞬後には、その痛みがこれまで見せたことのないような喜びの表情に取って代わった。見かけは15歳の少女だが、その無垢な心を引き裂かれ、25歳にも見えていた姿が、初めてのダンスパーティに向かう18歳の娘の顔になった。そして、明るい笑い声とともに言った。 「うふ、他の人のことはよくわからないけど、あたし、この前、通販カタログで、すごくかわいいイブニングドレスを見つけたの。あなたたちに取られる前に注文しちゃった。ごめんね」 そして、少し真面目な顔になり、つづけた。 「マリリン、あたしたち、あなたとはじめて会った時とはずいぶん変わったわ。ううん、見かけだけの話じゃないの。あなたは前に、この任務にとって大事なのは見せかけじゃなく内面だって言ったでしょ。それは、今もずっと正しいんだと思うわ。今、あたしは、自分のことを男だとは感じてないし、男に戻りたいとも思わない。でも、同じくらい、女になりきりたいと思ってるわけでもないの。あたしも、このチームも、男とか女とかにとらわれないユニークな存在だと思うし、それでいいんじゃないかな。今のあたしに言えるのは、みんなが大好きだってこと。照れずに言えるわ。あたしはみんなのことを愛しています。だから、もしみんなが許してくれるなら、このチームからは離れたくない」 その言葉とともに立ち上がったサンディは、マリリンのところまで歩み寄り、か細い指をその肩に這わせるようにして、彼女をも立たせた。そして二人は、男同士には絶対できない親密なハグをかわした。エメラルドの瞳が、輝くサファイヤの瞳に笑いかけると、他のメンバーたちも寄ってきて、そのハグに加わった。 このチームの関係性は、たしかに、軍隊の命令と規律によって培われたものだ。でも、ひとつちがうのは、このチームが死を賭して戦うことがあるとすれば、それは、チームメイトへの愛のためなのだ。これほど強いことが、他にあるだろうか。 大統領との会見ほど、話のクライマックスにふさわしいものはないだろう。でも、それは、チーム存続の決断に比べれば、さほどの劇的さもない。なにしろ、このアメリカの王宮で開かれるボール(※訳注 舞踏会)にやってきたシンデレラたちは、美しいドレスの下に、ボールを隠し持っているのだ。 チームがホワイトハウスに到着し、最初の一人が公用リムジンから降り立った時、入り口階段で護衛に立つ海軍兵たちの目玉が飛び出す音が、たしかに聞こえた。さらにそれは、次から次へとつづいた。 彼女たちは、それぞれが培ってきた女としてのベルソナに、さらに磨きを掛け、この場に臨んでいた。 キャロルは、海軍兵たちに誘惑の目線を送り、目が合ったひとりの顔を彼女の髪ほども真っ赤にさせ、それ以外の兵たちに不満のうなり声を漏らさせた。 サンディは、繊細なレースのハンカチを取り落とし、拾ってくれようとする男たちによる暴動のようなレースを引き起こした。それは、壮麗な玄関ポーチで起こったのだが、いくらサンディの気を引くためとはいえ、口もとに浮かぶにやついた笑いは、彼らがヨーロッパの貴族とはちがうことを示していた。 マリリンが見せたのは、言うまでもなく「タテゆれ」だ。その威厳があるとも言えるボリューム感は、キャロルのはすっぱな歩きとはまたちがう感銘を、男たちに与えた。 ジェイミの一見臆病でおとなしげな印象も、さらにちがう意味で、男たちの感銘を引き出したようだ。 バナは、全身を覆うロングドレスだからこそ、深いスリットからちらりとのぞくレースとともに、その男たちの感銘がどこから来るのかをはっきりさせていた。 とはいえ、チームのうち、この場に最もふさわしい気品をただよわせているのはサンディだった。その姿は、この国の王の招きで表敬訪問した、由緒ある国のプリンセスという印象を醸し出していた。 彼女のトレードマークともなっている見えそうで見えない生地とデザインでつくられたドレスは、彼女がまとうことで、「一般庶民」には手の届かない超高級品にさえ見えた。 しかし、そのことが、思わぬ事態を招いた。 ファーストレディの怒りを買ってしまったのだ。 国家のために多大な犠牲を払い、自らの身を捧げた兵隊たちがやってくると聞かされていたファーストレディは、その服装や装飾品がどんなにみじめだったりけばけばしかったりしても、寛大な心とリベラルな精神でホワイトハウスに迎え入れようと決めていた。それは、貧しい人々や社会の標準を外れた人々に対しても、彼女がけっして偏見を持っていないことを示すだろう。 ところが、やってきたのは、輝くほど美人の女(の兵隊?)たちだった。彼女はキツネにつままれたような気持ちになった。そして、こう考えた。 「これは、よく知られた私の寛容さを利用して、私を陥れるための陰謀にちがいないわ。この人たちは、どう見ても女。それも、並外れた美人ぞろいじゃないの。きっと、誰かが陰で暗躍しているんだわ。もちろん、この女たちも、私に恥をかかせるために選ばれた、政敵たちの手先にちがいない」 なにより、ファーストレディはよく知っていた。 「とび抜けた美人というのはいつだって、男社会でまともに戦おうともせず、男の偏見に耐える心の余裕さえ持たず、男に媚び、外見だけで勝負しようとするものよ。私は、人並み程度の美人でよかったわ」 少なくとも、彼女自身はそう思っていた。(※) (※訳注 この小説が発表された1997年は、ビル・クリントン政権2期目の初め このファーストレディ像は、ヒラリーを意識したものと思われる) いずれにせよ、彼女の頭の中では、哀れな女装者が、ホワイトハウスの鉄壁のセキュリティを――ミッションの成功によって――突破し、闊歩するなどという図は、そもそも想像できていなかったのだ。 彼女は、夫である大統領の耳もとに口を寄せ、そんな自分の憤りを伝えた。と、大統領は、なぜかほっとするようなため息とともに、うなずいた。 大統領が無類の女好き(※)であるという噂は、つねに敵対的なマスコミのネタにされてきた。 (※訳注 くどいし蛇足だが、この小説の発表は1997年 モニカ・ルインスキー事件発覚の前年である) そんな彼は、先刻から、今日の主賓たちへのリアクションに戸惑っていた。男だと聞かされている彼らに対し、なぜ自分の体はリアクションするのかということに。 だから、妻が「彼女たちは女だ」と断言したことに、多少なりとも安堵したのだ。 そして、これはまたひとつ、幸運が訪れたとも感じた。‥‥いや、五つか? しかし、大統領夫妻は二人とも、高度な政治家だった。そんな自分の悶々などおくびにも出さず、他の列席者同様、正式な晩餐会のルールにのっとり、微笑みをたたえながら‥‥待った。少なくとも大統領は――それに多くの取り巻きも――、政治の表舞台、なかんずく晩餐会などというものは、マスカレードに他ならないと心得ているのだ。 それにしても、主賓たちは、この晩餐会のホストが誰であるかも忘れたように、なかなかやってこない。ずらりと並んで出迎える他の招待客たちにいちいち長々と挨拶している。それは軍人仲間にとどまらず、さまざまな分野からの客に及んだ。というか、他の客たちが、いちいち呼び止め、彼女たちがこちらに近づくのをじゃましているようにしか見えない。どうやら晩餐会が始まる前から、彼女たちは社交界の花になったらしい。 チームメンバーたちがやっと主催者が並ぶ場所にたどり着いたところで、大統領は、チームリーダーとおぼしき、金髪の女性に声を掛けた。 「君がマリリンだね。失礼を承知で言えわせてもらえば、君は、私が想像していたのと、ずいぶんちがうよ」 「あら、大統領、いったいどんな姿を想像なさってたのかしら?」 マリリンは、エレガントな額を持ち上げるようにして、大統領を見上げた。 「いや、まあ、その‥‥」 それだけで、大統領はしどろもどろになった。 その時、隣に並ぶファーストレディの瞳の中に、怒りの感情があるのを読み取ったマリリンは、いつもの聡明さで、大統領はもちろん、ファーストレディ自身さえ気づいていない、その怒りの本質を理解した。 そして、伸び上がるように大統領の耳に口を寄せ、男の声でささやいた。 「大統領閣下、どうか奥様に、私たちがやきもちを焼く対象ではないことを伝えてあげてください。ご存じのとおり、私たちは特殊な訓練を積んだ軍人です。これはすべて、その訓練の成果なのです」 その野太い声に一瞬凍りついた大統領の顔は、やがて、悪い冗談かなにか聞かされた時のような、複雑な笑いに変わった。 そんな二人の様子を見た彼の妻は、どうやら、さらに怒りを募らせたようだ。マリリンに、そして、そのチームメンバーに、冷たい視線を投げかけた。 「あなた方が、ご自身の言うような存在だと信じることは、私にはとてもできそうにありませんわ」 ファーストレディは、慇懃な言葉の中に冷淡さを込めた声音で言った。 「ええ、それこそが、あたしたちにとっても、大きな問題でした、奥様。あたしたち自身、自分の中にこんなキャラクターが存在するなんて、信じられなかったんですから」 マリリンの次に大統領の前まで来たサンディが、微笑みながら答えた。そして、例の手の甲を上にするやり方で、大統領に握手を求めた。大統領は、それにつられたように体を折り曲げ、エレガントなその甲にキスしていた。いや、じつは、妻の視線から隠れてサンディの胸元に注目するには、その方法しかなかったからかもしれない。呼吸に合わせ、そのもり上がりが透けて見えるのを期待したのだろう。その間、彼の目はドレスのその部分に釘付けになっていた。実際、大統領にキスされたサンディは、そこで大きなため息をつき、彼の期待に応えた。 サンディの次に並んだ燃え上がるような赤毛の娘は、ファーストレディーになにかささやいた。キャロルの言葉は、語調も内容も衝撃的だったのだろう。ファーストレデイは驚いたように目を見開いたあと、あらためてサンディの顔を見やった。その視線には、怒りよりも畏怖のようなものが込められていた。いや、恐怖と言った方がいいか。 ホワイトハウスの儀典長は、チームメンバーたちが晩餐会を快適に楽しめるよう配慮した席割りをしていた。少なくとも、各席の客たちが、快適に彼女たちを楽しめるような席割りを。 その結果、彼女たちはそれぞれ一人で、さまざまな政府機関のお偉方たちに取り囲まれることになり、しとやかに振る舞わざるを得なくなった。あのキャロルでさえもだ。 もっとはっきり言えば、脂ぎった好色じじいたちがそれとなく繰り出す、あの手この手の攻撃から身をかわしながら、そのイブニングパーティを過ごしたわけだ。 だから、若い海軍将校が、大統領が執務室で待っていると告げに来た時には、喜び勇んでそのエスコートに従った。いや、そこには、この間の女装生活の中で、彼女たちがはからずも育ててしまったなにかが、その若いイケメンに反応したという面も、少なからずあった。 オーバル・ルーム(※訳注 大統領執務室)に入ったところで、彼女たちは、アメリカ市民に向かってふるわれる権力のおおもとである部屋の中を、見まわさざるにいられなかった。そこに配置された絵や写真、インテリアをひととおり見終わったところで、やっと、目の前にいる三人の人物に目をとめた。 うち二人は、すでに出会った人物、大統領とファーストレディだ。 三人目は、マリリンとは面識があるらしいことが、二人の間でかわされた目配せで見て取れたが、チームメンバーにとっては見たことのない人物だった。いや、もう何千回も見た人物だという気もした。中肉中背で際だった特徴もなく、どこにでもいるようなタイプの男。ただ、よく見ると、その無表情な目は、冷酷非情さをも感じさせる。 彼は、標準的な晩餐会用のタキシード姿だったが、そのぴっちりと仕立てられた礼服を通し、よく鍛えられた体つきがわかる。給仕のようなその服より、軍服の方が確実に似合いそうだ。立ち姿も、「気をつけ」の姿勢ではないものの、背筋が伸び、まるで設計された機械のように正確なバランスを保っている。しかも、ただ無言で立っている。彼のまわりだけ、時間が止まっているかのようだった。 と、ファーストレディが、まくし立てるように言った。 「さあ、はっきりさせましょ。あなたたちの黒幕は誰なの? あなたたちは、どう見ても本物の女にしか見えないわ。特に、その髪の長い彼女。あなたはどう見たって、軍隊に入れる歳じゃないでしょ。それに、さっき、そっちの赤毛の彼女が、汚らわしい言葉で言ったような被害にあった女の子が、そんなに無垢なままでいられるはずがないわ。これは、私を混乱させて陥れようとしているなにかの陰謀よ。大統領もろともにね」 「マイ・ディア、君がそんなふうに心配してくれるのはうれしいよ。でも、結局すべてを決めるのは有権者だから」 本来は多大な力を持っているはずなのに、なぜか力ない声が彼女を制した。誰かに力を吸い取られたのか、力を出せない弱みを握られているのか、あるいはもっと大きな力でねじ伏せられているのか、それはわからないが、その声は、臆病そうに響いた。 「サム」 そして大統領は、ファーストレディが反論してくる前に,第三の人物に話を振った。 「どういうことなのか、説明してくれないか」 と、その男は、注意深く言葉を選ぶようにして答えた。 「はい、大統領閣下。キャロルが奥様になにを申し上げたかは存じませんが、おおよその推測ならつきます。まずその前に、奥様に説明させてください。この部隊全員が、男性の生殖器を持つ、遺伝子的にも完全な男性であることは、私が保証いたします。彼らの女性としての外見も、また女性らしい振る舞いも、彼女たちの驚くべき努力のたまものなのです。彼らが本質的には男性であることは、曲げようのない事実です。おそらくキャロルはあなたに、ミッションの過程でサンディが見舞われたいくつかの苦難について,率直な言葉で語ったのでしょう。しかし、もしそれをお疑いなら、医者によって書かれたカルテを証拠として示すこともできます。そんな経験をしたにもかかわらず、サンディが未だ無垢な少女のように見えるとおっしゃるなら、それはむしろ、彼女の強靱な精神への賛辞に他なりません。男であれ女であれ、それは希なことだと思います。シーホース作戦(※)の成功のカギは、なによりチームワークでしたが、その中でも、サンディが果たした貢献は顕著なものでした。サンディ、いや、彼女のもうひとつのベルソナ、サンフォード・ビーチ二等兵は、まちがいなく、20歳の陸軍軍人です」 (※訳注 ‘Operation Seahorse’「シーホース」はタツノオトシゴの英名 タツノオトシゴは、他の動物には見られないユニークな生殖形態をもつ メスの体の方に突起があり、メスはそれをオスの腹部にある育児嚢に差し込んで産卵、卵はその中で受精・生育・孵化する お腹の大きいオスが稚魚を放出する様は、さながら「妊娠・出産」のよう この作戦名も「オスが《造精能力を持ちながら》メスの役割を果たす」といったところからつけられたのだろう) 自分たちが従事した作戦に、そんな名前があったことを初めて知り、チームメンバーの間にちょっとしたざわめきが起こった。そして、その瞬間、完璧な無表情だと思っていた「サム」がちらりとこちらを向いた。そのドヤ顔もまた、驚きだった。 しかし、サムはそれ以上なにか言うわけでもなく、大統領に向き直り、次の命令を待った。 でも、大統領が「命令」を出したのは、サムにではなく妻にだった。 「ディア、そろそろパーティに戻って、客たちのご機嫌をとっておいてくれないか。私は急な執務で、あと数分席を外すと遺憾の意を伝えてくれるとありがたいんだが」 ファーストレディは、彼女自身も初めて会った執事だか木っ端役人だかわからない人物によってその主張を穏やかに否定されたことに、さらにいらついているようではあったが、少なくとも人前では、大統領からのリクエストに応えないわけにはいかないと思ったのだろう。しぶしぶ部屋を出て行った。 と、大統領はやっと、あのよく知られた笑顔を取り戻し、執務机の方に歩いた。そして、そこから椅子を引き出すと、彼女たちの前まで転がし、例のカジュアルな感じの座り方で腰掛けた。 「んー、その‥‥お嬢さん方、どうか、君たちも掛けてください。もし、ここまでの私の接し方に、失礼があったのなら、謝ります。なにしろこれまで、あなた方のような存在に接したことがなかったものだから‥‥その‥‥つまり、女装者?」 「いえ、大統領」 サムがそれに答えた。そして、つづけた言葉で、チームメンバーたちは初めて、自分たちが何者であるかを知ることとなった。 「標準的な用語としては、彼女たちのようなあり方を、シーメイルと呼ぶのが正しいかと。女装者のように単に女性の衣服を身につけるというだけでなく、体をも女性的に改造している。かといって、性同一性障害のように、本来女性である自分が男性の体にとらわれていると感じ完全な性転換手術を望んでいるわけでもない。そういうことだよね、君たち」 サムは、確認するようにチームを見たが、マリリンをのぞくメンバーたちは、肯定も否定もできず、ただ肩をすくめた。だいいち、彼女たちは、その「シーメイル」という言葉すら聞いたことがなかったのだ。それに、サムの言ったことが正しいかどうかを判断する以前の問題として、彼がいったい何者であるかも判断できずにいた。 それが、サムにも伝わったようだ。また、ちょっとにんまりとして、大統領の方に向き直った。 「大統領、どうやらマリリン以外は、シーホース作戦について、今日、初めて聞かされたようです。それに、私のことも、誰なのかわかっていないのかと」 その言葉に、マリリンもにんまりした。そして、大統領は、チームメンバーの表情を映したように怪訝な顔をした。 「サム、そのとおりよ。彼女たちは、作戦についてほとんどなにも知らずに、でも、それをやり通したの」 ブロンドのリーダーは、そんなチームを誇るように言った。 「ん、どういうことかな?」 大統領は、さらに首をかしげた。 「チームの中で、外部と連絡を取っていたのは、私だけだったんです。ですから、彼、サム・ゲイツが、本当の指揮者だったということも、彼女たちは知りませんでした」 サムが、その言葉を引き取って、つづけた。 「この特殊な作戦を成功させるには、自ら身を挺してそれに取り組むマリリンに、メンバーたちの尊敬と信頼を集中させる必要があった。そのためには、そんな形がいいと考えたんです。マリリンは、その指令を忠実に守ってくれたようです。マリリンを心から尊敬し信頼した彼女たちは、背景に何があるかなど、知る必要も感じなかった。以上です」 「うむ、なるほど」 大統領は、それにうなずいてから、メンバーたちに向かってつづけた。 「じつは、君たちのチームの存続を提言してきたのは、サムなんだ。そして、君たちも同意したと聞いた。私はそれに反対するつもりはないが、しかしまだ、確信が持てずにいる。君たちが他にはないユニークな能力を持つチームであることは明らかだろう。しかし今後、その能力を必要とする事態が起こるのか、そしてそこで、その能力をどう活かせばいいのか、私には見当もつかない。今回のようなミッションが必要なことがまたあるとは思えないんだ。もちろん、あってほしくもないしね」 「ええ、私たちも、あんなミッションは、二度とごめんです、大統領」 マリリンが言うと、それに、四つのうなずきがつづいた。 そして、大統領を含む全員の視線が、サム・ゲイツに寄せられた。 「大統領、個人の態度や性格が、どのくらい環境によってつくられるものなのか、また、どのくらい遺伝的に決まるものなのかは、専門家の中でも意見が分かれるところです。しかし、少なくとも軍隊という文化においては、女性兵士より男性兵士の方が、非情さや勇敢さが求められる作戦に耐えうるという事実は厳然としてあります。女性たちが身を挺してわが子を守ろうとするのと同じように、男たちは、自らの国のために犠牲的精神を発揮する。このチームのメンバーたちの肉体は、すでに男らしさからほど遠いものになっていますが、重要なのはそんなことではなく、彼女たちの内にある、男としての衝動です。このチームは、美人ぞろいの女性部隊、でも、軍人としての男性的精神を代表する部隊でもあるのです。そこに、女性兵士では果たせない存在意義がある。彼女たちのユニークな能力が役立つ事態が、今後起こるかどうかわからないという点にこそ、備えとして、このチームを存続させる意味もあるのではないでしょうか」 「わかった。いいだろう。君の方針を支持するよ」 大統領は、そう言った後、こうつづけた。 「ところで、われわれはこのささやかな秘密をどう呼べばいいんだ」 「それについては、私にちょっとした考えがあります。シーメール独立戦略遠征隊“She-Male Independent Tactical Expedition”。略してSMITE、スマイトというのはいかがでしょう。あなたの命令一下、彼女たちは、わが国の敵をスマイトする(打ちのめす)(※)」 (※訳注 動詞‘smite’は「打つ」「打撃する」の意) ゲイツはそこでまた、例のドヤ顔をした。 「サム、あなたにそんなユーモアのセンスがあるなんて、初めて知ったわ」 マリリンが、声を立てて笑った。 そこで、大統領は椅子を立ち、執務机の上に積み重ねられたなにかの書類に手を掛けた。 「気をつけッ!」 ゲイツが突然、大声を張り上げた。 ここしばらく絶えて久しかった条件反射が呼び起こされ、「チーム・スマイト」の全員がすかさず起立した。先刻ゲイツが強調した男性兵士としての鋭敏さは、ひらひらのドレスと曲線的な体に、多少じゃまされはしたが。 大統領は、最初の書類を取り上げると、公式な口調で言った。 「マリリン大将、貴君の部隊の勇敢なる武功により、今時の作戦の多大なる成功を見ることができた。よって、貴君および、キャロル・スティーブンソン、ジェイミ・フォックス、バナ・ホワイトの三名に、シルバースター勲章を授与する。‥‥もちろん、この勲章は、正式には君たちの本名で与えられるべきものだ。ただ、君たちは、誰にも、どんな場合にも、それがどんな武勲だったかを話すことはできない。その記録は、サムのもとに置かれ、厳重に管理されるからだ。君たちが実質的な名誉を得られないことを、申し訳なく思っている。でも、その理由は、君たちがいちばんよく知っているだろう」 大統領は次に、サンディの方を向いた。さらに、その前まで歩み寄り、笑いかけた。 美しいドレスと装飾品で着飾った若くて可愛らしいレディが、実際には男だということに、彼の意識は未だ混乱していたが、無意識の部分が反応していた。こんなにきれいで無垢な少女を前にして、微笑みを我慢できる男はいないだろう。 「サンディ・ビーチ」 大統領は威厳を取り戻そうとしていたが、結局、それは無理なようだった。 「貴君の武功は、もしそれが可能だとしても、どんな顕彰、どんな報酬をもってしても、報いきれるものではない。‥‥いや、もっと普通の言葉で話そう。遠い異国の地で君が発揮した犠牲的精神は、そのことをまったく知らない多くの人たちの命を救った。それは、軍人の義務などということを遥かに超える行為です。たとえ、実際の行為の詳細を伝えなかったとしても、そこで君が苦しみに耐えたことを知れば、人々は君を称えるはずです。それさえできないのが残念ですが、私は、君に名誉勲章を授与できることを、私自身の名誉だと感じています。現実的な話をすれば、君への意味不明な叙勲は、議会でやり玉に挙げられる恐れもあります。それでも私は、あえてそうしたいんです。君は、私の想像力が足りないことを教えてくれました。君が、軍人として、そのか細い肉体への邪悪な侵略と戦ったという事実は、私が信じるわが軍の規範『義務、名誉、国家』の概念を大きく変えてくれました。私には、たとえ国民の命を守るためとはいえ、君のような戦い方はできないでしょう。そんな君を尊敬しています。本当に、ありがとう」 大統領の言葉に恥じらうサンディの顔は、どこからどう見ても若い娘だった。マリリンでさえ、彼が本当は20歳の男性陸軍兵士であることが信じられない思いだった。 大統領が握手しようと手をさしのべた時、それに応えようとした彼女の手は、結局、大統領の腰を折り曲げさせ、そこにキスさせることになった。 体を起こした大統領は、そこで、先刻、同じように彼女を出迎えた時のことを思い出し、にんまりした。 その微笑みを、メンバーたちは、会見の終わりととらえた。 大統領は、晩餐会の席へ戻ることをすすめたが、彼女たちは「あんな輝かしい席で、女らしく振る舞いつづけるのはつらい」と、それを辞退した。まさか、「好色な官僚たちの相手はもうごめんだ」とは言えないだろう。 そこで、マリリンはサム・ゲイツに呼び止められ、なにか話し込んでいたが、他のメンバーは、さっさと送迎用のリムジンへと向かった。 しばらくしたところで、マリリンもその車に乗り込み、彼女たちは、ワシントンでの宿泊先であるホテルへと帰った。 「10分後に、チーム・ミーティングよ」 ホテルに着いたところで、マリリンが言った。 「着替えたら、あたしの部屋に集合」 その命令に従い、メンバーたちが集まった。 と、マリリンは輝くような、というか、活き活きした笑顔でこう告げた。 「次の作戦命令が出たわ。今夜だけはゆっくり休んで。朝になったら、また、悪者をやっつけに(※)行くわよ」 (※訳注 原文は‘we SMITE the wicked’) Based on the text FictionMania Translated by Rino Maebashi |